今作の意外ともいえる結末については、系譜と言っていい過去2作の『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』と『あなたがしてくれなくても』の“結末”を振り返ったとき、あの形こそが必然とも思える準備が整っていた。
2014年放送の『昼顔』は、既婚同士でありながら惹かれ合い不倫に陥ってしまった主人公だが、最終回では二度と会わないという誓約書を交わすこととなり、一人孤独に生きていくラストを迎えた。続く映画版では、二度と会わないという約束を破ってしまったことで、不倫相手が故意の事故により死亡してしまうバッドエンディングに。これは、不倫という過ちを犯した者にはその報いが必ずくる、決して幸せにはなれない…言い換えれば、そうしなければ世間も許してはくれまいという、世相を反映したような“結末”だったと言えよう。
一方、昨年放送された『あなたがしてくれなくても』は、長年のセックスレスからプラトニックな不倫関係に陥り、やがて夫と離婚し一人で生きていくことを決める主人公だったのだが、離婚した元夫と距離を置いたことにより本来の思いを取り戻し復縁するという、いわゆる“元サヤ”決着だった。これは不倫は決して許されない…幸せにはなれないという前作の“結末”から次なるステージを見せたもので、どんな罪を犯したとしても、自らの幸せの追求は避けられないという、『昼顔』を経たからこそ生まれた意外性のある“結末”であった。
そして今作はというと、『わたしの宝物』というタイトルになぞらえ、自分にとっての“宝物”は何か?を導き出すことで、それぞれの“結末”が描かれた。美羽と宏樹が、子どもを含めたこの家族関係こそが“宝物”であるとお互いが確認し合い、再び夫婦生活を取り戻す“元サヤ”決着。これは、一見『あなたがしてくれなくても』と同じ結末なのだが、今作では、夫にとって“血のつながらない子ども”が介していながらも“元サヤ”に収まることができる…それが子どもも含めた3人の“幸せ(=宝物)”であるという、新たな解釈を加えたものと言えよう。
この三部作の“結末”を比較することで、よりそれぞれの作品の深みも感じられるのではないだろうか。
冬月の“自由さ”がもたらした説得力
ここで忘れてはならないのは、“元サヤ”決着をより鮮明にさせてくれた“本当の父”である冬月(深澤辰哉)の存在だ。
“元サヤ”に収まるために必要だったのは、美羽と宏樹が持っていた“明確なもの”…今の家族と暮らしたい…というその思いだった。しかし冬月に至ってはその“明確なもの”が最後の最後まで見えず、“本当の父”である冬月こそが美羽と幸せになる権利があるのではとも思わせるところだった。
ところが、最終回でようやく冬月の“明確なもの”が見えた。それは彼の純粋過ぎる“自由さ”だ。誰にも寄せ付けない信念とも言い換えられるが、仕事にも恋愛にも生き様にも、とてつもない“自由さ”があり、だからこそ今回の結末である、“実の父”ではあるが“本当の父”ではないという考えから身を引き見守るという選択に対し、大いに説得力をもたらしたのだ。
あの冬月の身勝手ではない純粋な“自由さ”がなければ、視聴者は彼に父としての責任があるのではないかと糾弾しただろう。そしてそのキャラクターが実に現代的であり、今だからこそより理解できる存在になったのではないだろうか。
とはいえ、今作の“結末”に納得いかない視聴者も多くいるだろう。だが、全10話にわたって仕掛けられた衝撃の数々とともに、喜怒哀楽を共有することで、見たくない…けれど見たいと思わせたのは…エンタテインメントでありながら、時に自分に置き換え“考えさせられる”、その2つが両立していたからではないか。それほどに今作は、視聴者を巻き込む力強さがあったのだ。





