2024年度日本記者クラブ賞特別賞を受賞したテレビ静岡のドキュメンタリー番組『イーちゃんの白い杖』の取材班から、監督の橋本真理子報道制作局長兼情報ニュース部長と、番組主人公のイーちゃんこと横田唯織(いおり)さんが17日、都内で行われた同賞の受賞記念講演会に登壇した。

取材を通して四半世紀の付き合いになる2人。これまでの歩みを振り返ったほか、健常者と障がい者の壁、そしてこれからの展望などを語った――。

  • イーちゃんこと横田唯織さん(左)と、テレビ静岡の橋本真理子氏

    イーちゃんこと横田唯織さん(左)と、テレビ静岡の橋本真理子氏

父の介護で憔悴も…イーちゃん家族に「元気をもらった」

『イーちゃんの白い杖』は、静岡県焼津市に住む、生まれつき目の見えない全盲の少女・唯織さんが、「11p-症候群」という重度の障がいをもつ2歳下の弟・息吹(いぶき)さんと家族に支えられながら、いじめ、夢の挫折などいくつもの壁を乗り越え、自立する姿に25年にわたり寄り添った作品。

2018年制作の映画、2023年制作のテレビ番組は道徳など教育目的の映像としても使用されており、イーちゃん家族と取材班は映画の自主上映会の舞台挨拶に積極的に出向き、障がい者と健常者の垣根をなくす取り組みを進めてきた。橋本氏は「社会が変わるのを待つのではなくて、障がい者がどんどん世の中に出て、課題があるのであれば変えていく。この家族はそれができると信じてここまで来ました」と強調する。

息吹さんも舞台挨拶をいつも楽しみにしているそうだが、唯織さんにとって、彼の存在は大きいという。食べることもトイレに行くことも1人ではできず、受けた手術は20回、入院は50回を超えるが、「どんなにつらくても乗り越える強い弟です」と胸を張る自慢の弟。唯織さんは中学生の頃、いじめが原因で「死にたい」と思ったこともあったというが、「息吹のおかげで自殺を踏みとどまり、ここまで頑張ってくることができました」と、大きな支えになってきた。

橋本氏は小学4年生の時、父親がステージ4の口腔がんから言語障がいになり、家にこもって「死にたい」と言うこともあったという。そこから、「障がい者になったら人生が終わってしまうのか、というのがずっと私の中にありまして、もしそういう社会であるなら変えたいと思ってマスコミを志願したところもあります」と打ち明ける。

息吹さんが何度も手術に立ち向かう姿は、口腔がん・肝臓がん・すい臓がんと入退院を繰り返してきた父親と重なったそうで、「私自身が仕事と看病に疲れてどうしようもない時に、実はイーちゃんたちに会うと元気をもらっていました。“まだまだ甘いなあ”と言われているようでして、特に母親の和美さんは仕事を続けながら、2人を子育てしていたので、本当に力を頂きました。私自身がイーちゃん家族に育ててもらったのかなと思っています」と感謝した。

忘れられない言葉「お母さんのお腹の中で病気をしたから」

橋本氏と唯織さんの出会いは1998年、静岡盲学校の100周年記念式典だった。当時28歳の橋本氏の目の前をニコニコしながらスキップしていた唯織さんにインタビューしたところ、「1つ質問すると10答えが返ってくるんです。どうしたらこんなに明るい子が育つのか、どんな家族なのかと会いたいと思ったのがすべての始まりです」(橋本氏)と振り返る。

そこで、橋本氏が忘れられない言葉があった。

「小学生のイーちゃんに、スーパーで“点字が付いてるのはお酒しかないね”と話したら、“何で私は見えないの?”と逆に質問されて、私は答えられなかったんです。その時に“イーちゃんはどう思うの?”と返すしかなかったんですけど、そこで“私はお母さんのお腹の中で病気をしたから見えないと思う”とちゃんと答えて、この言葉の強さがすごいなと思って、追いかけたいと思いました」(橋本氏)

一方の唯織さんも、取材開始当時に橋本氏にかけられた言葉が忘れられないという。

「“なんで取材をしてくれたの?”って聞いたときに、“目の前を全速力で行くすごい子がいるなと思った”って言ってくださったんです。最初に聞いた時は、ただ“興味を持ってくれたんだな”としか感じてなかったんですけど、どんなことがあってもめげずに追いかけてくれたことによって、本当に私のことを知りたいんだと、そしてウソではなく本当の私の姿を見て見守ってくれてるんだということに気づけました。なので“すごい子がいるな”が、今でもすごく印象に残っています」(唯織さん)