当初は障がい者にカメラを向けることが難しい時代で、多くの生徒にモザイクをかけなければならず、先輩には「障がい者がかわいそうになってしまうから、番組を作っても仕方ない」とよく言われたという。それに疑問を持った橋本氏は「取材を快く引き受けてくれたイーちゃん家族は私にとっても救いでした。この家族だったら障がいがつらいとか、暗いとか、かわいそうだという概念を変えてくれるのではないか、そういう番組を作れるんじゃないかと思ってきました」と、番組制作の原動力になった。

それから四半世紀にわたり家族追い続けてきた中で、橋本氏が「イーちゃんも嫌だったことは、もちろんありますよね」と聞くと、唯織さんは「中学の頃、悩んでいる時に撮影されるのは本当に嫌でしたね。どうしてそんなところまで撮影するの?と分かりませんでした」と回答。「橋本さんのことは好きだけど、カメラを回す橋本さんは嫌いで…(笑)。でも、私を見捨てず見守ってくれたこと、今はとても感謝しています」と茶目っ気たっぷりに伝えた。

橋本氏はその当時を思い出し、「イーちゃんは弱視の同級生にいじめられて、盲学校でもいじめがあるんだということは、伝えなきゃいけないなと思っていました。ただ、すぐに報道すればイーちゃんの立場がなくなって、もっといじめを受けるんじゃないかと思っていましたので、とにかく“乗り越えて”と思って見守る道を選択しました」と苦悩を回想。つらそうな唯織さんを撮影するのは自身も心を締め付けられ、何度も撮影をやめそうになったという。

その上、中途失明者も多く、唯織さんをカメラで狙うと周りに人がいなくなってしまったため、「このままではイーちゃんに友達がいなくなってしまうと思って遠くから撮影したりしました」と、苦労を重ねながら追い続けてきた。

若かった橋本氏は、唯織さんの幼少期に、将来ピアノで成功したり、水泳でパラリンピックに出場するなど、大きな結果が出ることで番組になると考えていたという。その思いは唯織さんにも伝わっていたそうで、本人は「期待に応えられなくて申し訳ないです(笑)」と苦笑いするが、橋本氏は「やっぱりこの苦労を乗り越えて、本当に私が伝えたいことがあるんだと、イーちゃんに気づかせてもらいました」と、考えを改めたそうだ。

  • 撮影されたくなかった頃の唯織さん

テレビに要望「聴覚だけで楽しめるコンテンツを」

この講演会では、唯織さんが健常者と障がい者の壁を感じた場面を紹介。「一度、あん摩マッサージ指圧師として高齢者施設に就職しましたが、“気が利かない”と認められず、解雇されました」と明かし、「私も健常者の気持ちは分からないことがあるので、話をしてもらいながら理解してもらうことが大切だと実感します」と語る。

また近年、飲食店などの予約や注文がタッチパネルになり、操作が困難になっているのだそう。無人駅の増加も、駅員のヘルプが頼めず乗り降りが困難で、ホームから転落のおそれもあると訴える。

そして、テレビについて、「緊急速報のテロップの合図音だけが響く場合や、番組の切れ目が分かりにくいことがあります。また、アナウンサーの名前もテロップだけで終わってしまい、誰か分からないんです。テレビもラジオのように、聴覚だけで楽しめるコンテンツがあると楽しいかなと思います」と要望し、橋本氏は「イーちゃんや視覚障がい者の皆さんから教えてもらうことで、私たちも改善していきたいと思っています」と決意を述べた。