2012年3月にNHKを退職し、フリーアナウンサー転身後、バラエティ番組などで大活躍している神田愛花。今月8日には、初のエッセイ本『王道っていう道、どこに通ってますか?』(講談社)を発売し、王道を歩けていないという自身の人生についてつづっている。神田にインタビューし、自分の人生を認められるようになってきたという変化や、フリー転身後に気づいた自分らしさ、今後の抱負など話を聞いた。

  • 神田愛花

    神田愛花 撮影:蔦野裕

同書は、現在『FRIDAY』で連載している『わたしとピンクと、時々NY』をまとめ、加筆・再構成したエッセイ本。お嬢様の王道という私立の小学校を受験し失敗、女子アナの王道は華やかな民放キー局だと思って受けるも失敗……王道を歩めず悔しい思いをし、コンプレックスを抱いていたという神田だが、ここ数年で「王道から外れた人生でよかった」とやっと思えるようになったという。

「受験もそうですが、いつも自分が目標にしていたところに入れず、『やってもどうせダメなんでしょ』という思いを抱く時もありましたが、王道じゃない道を歩んできたことで、何も背負わず生きていられるんだなと。今すごく楽な気持ちでのびのびと生きられていてありがたいなと思っています」

NHK時代は今のようにのびのびではなく、NHKにふさわしいアナウンサーとして振る舞っていたと振り返る。

「当時はNHKの王道のアナウンサーになることが出世や活躍につながると思っていました。輝いている先輩方は王道を歩んでいる皆さんだったので、そこを目指すのが当然で、王道にならなきゃと。王道じゃなくていいと思えたのは、40歳過ぎてからです」

NHKを退職しフリーに転身したのは、東日本大震災で人生観に変化があったからだという。

「東日本大震災が起きた時、東京の局にいたのですが、放送で流れないような痛々しい映像を見たり、災害時に教育テレビ(現・Eテレ)が被災された皆さんからのメッセージを発信するチャンネルに変わるのですが、私はそのメッセージを読む役割をしていて、被災者の方の言葉を読んでいると、人生は急に終わることがあるというのをものすごく近く感じました」

そして、「明日災害で自分の人生が終わるかもしれない」と思った時に、「帯の報道番組のMC」という夢を叶えるためには外に出たほういいと考え、フリー転身を決意した。

「当時は40歳ぐらいの女性アナウンサーが帯でニュースを担当する流れがあり、私は30歳ぐらいだったので、あと10年勤めて目標に向かって頑張ったとしても、10年後に生きているのかしらという疑問が湧いてきて、外に出て放送局がたくさんある中でチャンスを狙ったほうが、明日の夢を叶えるにはふさわしい動きかもしれないと思って辞めました」

  • 神田愛花

バラエティで活躍している現状に驚き「想定外でした」

フリーに転身した当初は、「自分ってこんなに無名なんだ」と痛感したという。

「NHKの中にいるとNHKの視聴者さんと触れることが多く、ロケに行っても声をかけていただくので、皆さん知ってくださっているという勘違いをしていましたが、辞めたらNHKを見ていらっしゃらない方は知らない存在なのだとわかりました」

知名度をアップさせるためにどんな仕事も受けるようにしていたら、バラエティに引っ張りだこに。2023年にスタートしたフジテレビ系昼のバラエティ番組『ぽかぽか』ではハライチとともにMCに抜てき。テレビ出演本数が前年から240本増の363本となり、「2023ブレイクタレント」(ニホンモニター)で1位に輝いた。

「報道番組をやりたかったのですが、知られていないからオファーが来るわけがない。なので、まずは名前を知っていただくために、いただいたお仕事を全部受けて、一つ一つ真剣に向き合うという作業を、名前を知っていただくまで続けようと思い、今に至ります」

バラエティで活躍している現状に「ありがたいです」と感謝しつつ、「想定外でした。まさかという思いです」と驚きを口にし、「バラエティは私としては一番難しい現場で、一番向いてないジャンルだと今でも感じています」と打ち明ける。

「自分がお仕事しやすいと思うのはコメンテーターなんです。事前に扱うニュースが知らされ、それについて自分で調べて考えをまとめ、本番でMCの方が『神田さんどう思いますか?』と発言の場を与えてくださったときに発言できるので。バラエティ番組は、皆さんがいつ何を言い出すかわからないので準備ができず、本当に向いてないなと感じています」