インスタで洗練された写真に詩的なコメントを投稿していた滉平さんの印象は、対面してギャップがあったと振り返る。
「線の細い優しそうな青年かと思ったら、地元の“輪島の兄ちゃん”みたいな感じで、素朴で正直な人で、インスタでのイメージと全然違ったんです。本当にストレートに“自分の猫に会いたいんです!”、“他の人の猫も捜してあげたいんです!”という思いが伝わってきて、とても好感を持ちました」(山田氏、以下同)
そんな熱い思いを持った滉平さんの捜索活動は、順調にスタートしたわけではなかった。
「本当に普通の飼い主さんだったので、最初は手探りでやっていました。餌を持って歩き回っていたら、知り合った動物愛護団体の人に“そんなことしても捕まらない”と捕獲器を設置する方法を教えてもらったくらい。それを自分で買って置いてみたら、野良猫が入ってたんですけど、自分の猫じゃないから放しちゃったんです。そのことをSNSに書いたら、“何で捕まえた猫をリリースするんだ!”、“何百匹もリリースしてるんじゃないか?”と、ものすごいバッシングを受けてしまいました」
だが、ここから滉平さんが本領を発揮する。プロの動物愛護団体の人などに連絡を取り、どのような行動を取ればいいのかを聞くと、捕まえた猫を一定期間保護する拠点を作り、飼い主を捜す活動を開始。その活動の輪がどんどん広がり、「輪島迷子猫捜索隊」は60人規模の組織になった上、大量の支援物資が届くようになり、捜索活動の大きな力になった。この成長のスピード感に、山田氏は「もう目を見張る勢いでした」と驚きを隠せない。
背景には、この地域の特性もあるといい、「全焼してしまった輪島朝市のエリアは野良猫が多くて、地域猫のように朝市の人たちがかわいがっていて、猫好きな人が多い街だったんです。だから、つながりが早くできて“みんなで捜そう”という気持ちになる人が多かったようです」と解説。
その上、「1人で自分の猫を捜す作業は心が折れそうになりますが、みんなが一緒に捜してくれると心強いですよね。他の人の猫が見つかると自分のことのようにうれしくて、それが“うちの子も見つかるかもしれない”と希望になるので、励まし合って活動している印象があります」と、チームの形が奏功したようだ。
「この人に頼もう」と思わせる素質のある人
東日本大震災など大きな災害でも、犬猫の捜索活動を取材してきた山田氏だが、動物愛護団体とは無縁の被災者自らが主体となって組織的な活動をする事例は見たことがなかったという。
それが実現できたのは、SNSの発達も大きい。「滉平さんのインスタのフォロワーは、ものすごい勢いで1万人を超えていき、彼の発信を受けて、助けてあげようという人がどんどん集まってきて、たくさんの救援物資が届いて、テレビの取材を受けたり、有名人から応援のメッセージが寄せられたりということがありました。それと、彼自身が輪島塗の職人というアーティストなので、SNSの発信の仕方がうまいんですよ。猫の写真の撮り方や文章の構築もセンスがあるので、“この人を助けてあげよう”という気持ちにさせる発信力があると思いました」と捉えた。
SNSの力で捜索活動が急速に充実化した一方、知名度が広がり注目されることで、誹謗中傷も拡大。まさにSNSの光と影を象徴する事象だが、見ず知らずの相手から多くの激しいバッシングを受けても、折れることなく活動を続けてきた滉平さんの原動力は何か。
「彼はわりとメンタルが強くて、大変な目にあっても妻の萌寧さんが“頑張ろうよ”と言って支えてくれているのですが、被災して本業の仕事が一切できなくなって、捜索活動に集中できたという事情もあったと思います。彼の場合、家も工房も焼けてしまい、仕事が当分できない状態だっただけに、猫捜しが心の支えになっていたのではないかと。そんな中で仲間が集まってきて、猫は時間が経てば経つほどご飯を探して遠くに行ってしまい、捕まる可能性が下がってしまうし、がれきを撤去する時にもしかしたらそこに隠れていて巻き込まれるかもしれないので、みんなとにかく早く自分の猫に会いたい。そこで、“みんなのために猫を捜そう”という強い気持ちも支えになっていたと思います」
このリーダーシップは、職人とのつながりでも発揮。福井県鯖江市の職人仲間が輪島塗に欠かせない道具を集めて無償譲渡してくれたが、それを輪島の職人たちに配る活動も行っており、「“この人に頼もう”と思わせる素質のある人だと思いました」と受け止める。
また、捜索活動を進めるにつれて、どんどん動物愛護の“覚悟”が育っていくのを感じたといい、「批判を受けることがあっても“猫を助けるためにはあきらめない”、“輪島の人が本当に求めているんだ”と、バッシングに負けない強さがありました」と実感した。