3月31日をもって解散するお笑いコンビ・和牛。彼らにとって初の単独冠番組『和牛のA4ランクを召し上がれ!』(南海放送、毎週日曜12:55~)が、この解散の日に100分の拡大版で6年の歴史に幕を下ろす。

ロケで愛媛県の旧70市町村制覇を目指しながら県民たちとふれあう、水田信二と川西賢志郎の素の姿が魅力の同番組を立ち上げたのは、企画・プロデューサーの徳丸博智氏。番組の誕生秘話からこれまでの思い出、そして和牛の2人への感謝や今後へのエールなど、思いを語ってもらった――。

  • (左から)和牛・川西賢志郎、徳丸博智プロデューサー、和牛・水田信二

    (左から)和牛・川西賢志郎、徳丸博智プロデューサー、和牛・水田信二

南海放送社長・会長が「超ウェルカム」

徳丸氏が和牛の存在を最初に意識したのは、彼らが準優勝した2016年の『M-1グランプリ』。そのとき、水田が愛媛県出身であることを知り、自身は東京支社で営業担当だったが、「いつか愛媛で番組をやれたらいいなくらいに思っていたんです」(徳丸氏、以下同)。

年が明けて2017年、愛媛本社の編成に異動することが決まり、送別会を開いてくれた高校の同級生でもある吉本興業の社員に「和牛さんの番組の提案とかしてもいいかな」と話を振り、その年の『M-1』で和牛が再び準優勝となったことを受け、改めて同級生の吉本社員に連絡。すると、たまたま和牛のマネージャーが隣のデスクで、重役に相談すると“GO”が出た。実は和牛自身が、かねてから愛媛で番組をやりたい意向を持っていたという。

吉本側をクリアして、今度は社内で企画を通す段階に。当時は全国区で活躍する芸人が出身県のローカル局で番組を持つ事例があまりなかったため、懸念されることも想定していたが、田中和彦社長(当時、現・会長)が水田と同じ小学校出身で、河田正道会長(当時)が水田の父で伊予市議会議員を務めた水田恒二氏と学生時代からの知り合いという縁があり、「2人とも超ウェルカムだったんです」と、一気に話が進んだ。

こうして様々な偶然が重なり、「すべてがつながった」と運命に導かれるように、2018年4月に番組がスタートすることになった。

川西「僕が愛媛に行くのは当たり前ですよ」

番組のコンセプトは、「“リアル・身近・面白い・体験”をテーマに愛媛県内を巡るロケバラエティ」。この狙いは、「東京や大阪の番組のように“面白くしてやるぞ”という感じにしても勝てないので、素の和牛さんを出して、“ほっこりと笑い”をテーマに、愛媛の人が日曜の昼に楽しめるような番組を作ろうと思いました」といい、「過激な笑いではなく、幸せで気持ちよくなるような30分を目指していたので、台本もなければ構成作家さんもついていません。“今日はここに行きます”という舞台だけ用意して、中身は和牛さんにお任せすることにしました」という形になった。

構成作家を入れないのは予算の関係もあったが、「なるべく愛媛らしさを出そうと思ったんです」という意識も。演出兼チーフディレクターの河野淳氏も、南海放送に21年在籍し、地元密着の制作会社を立ち上げた人物で、愛媛純度の高いスタッフ陣で制作されてきた。

ロケは月に1回のペースで、3~5回の放送分をまとめて収録。和牛は朝一番の飛行機で愛媛入りし、翌朝一番の飛行機で東京に戻るというスタイルだ。水田は、ロケが終わるとほぼ毎回実家に顔を出し、母の作った夜ご飯を少し食べてからロケの打ち上げに参加したり、地元の友達と飲みに行ったりするのがルーティーンになっているそうで、この番組が定期的に故郷に帰れるいい機会にもなっていたようだ。

一方、大阪出身の川西賢志郎にとって、愛媛はゆかりがあるわけではない。そんな彼に、徳丸氏が「いつも愛媛に来てくれてありがとうございます」と声をかけると、「水田も僕の実家のある大阪に来て仕事してくれてるんで、僕が愛媛に行くのは当たり前ですよ」と応えていたという。

ちなみに、解散のきっかけの1つとして、水田の劇場出番への遅刻が重なったことを2人とも挙げているが、愛媛入りの飛行機に乗り遅れたのは、水田2回・川西2回でイーブンとのことだ。