1月4日、JR貨物と全国通運連盟による「『令和6年能登半島地震』による被災自治体に対する救援物資(救助用寄贈品)の輸送について」というニュースリリースがJR貨物のサイト上に公開された。企業等が被災地の自治体に向けて寄贈する救援物資について、無償で輸送するとの内容だった。

  • 新湊線の貨物列車。日本海縦貫線は1月4日に運転再開。新湊線は1月6日に運転再開した

この制度によって運行された貨物列車の第1便が、1月11日に高岡貨物駅に到着したと報道された。コンテナを積み替えたトラックは1月12日の午前7時に高岡貨物駅を出発し、1月13日の午前9時頃に志賀町役場へ届けられたようだ。荷主は岡山県の企業で、物資は水やカップ麺など約5トンとのこと。1月12日には北海道千歳市の企業から救援物資が届き、石川県輪島市に届けられたようだ。

新湊線の維持が奏功

JR貨物が被災地の復興を支援した例として、東日本大震災における燃油輸送が知られている。太平洋側の線路が破壊されたため、根岸線根岸駅のオイルターミナルから盛岡まで上越線・羽越本線などを経由し、青森信号場から南下するという大迂回路で運行された。郡山へも上越線を経由し、磐越西線では編成を分割して続行運転という迂回路を作った。貨物列車の頼もしさを感じた人も多かったことだろう。

そして今回は新湊線が脚光を浴びている。氷見線の能町駅から分岐して高岡貨物駅まで、いまや1.9kmの短い路線だが、106年の歴史を持ち、かつては旅客営業もあったという。現在は定期の貨物列車もなく、臨時扱いで1日1往復しか走らない。鉄道ファンの間では、「いつ廃止になってもおかしくない路線」という認識だった。

  • 新湊線(赤)は氷見線の能町駅から分岐する。点線は廃止区間(地理院地図を筆者加工)

新湊線の前身となる路線は1918(大正7)年に中越鉄道によって開業した。中越鉄道は富山県で初めて開業した鉄道であり、砺波地方の農産物を伏木港へ輸送する目的で設立された。

伏木港は江戸時代に北前船の寄港地として栄え、全国に鉄道網ができるまで日本海ルートの重要な物流拠点だった。1877(明治10)年、日本海側で最初の灯台が建設され、1899(明治32)年に海外との条約にもとづく開港場に指定されると、貿易の拠点としても発展していく。

中越鉄道は1897(明治30)年に黒田~福野間(現在のJR城端線の一部)を開業させると、南北方向へ延伸する。1897年のうちに城端駅に達し、1898年には高岡駅に到達。同年、官営鉄道北陸線が金沢駅から高岡駅まで延伸された。中越鉄道のほうは1900(明治33)年に高岡~伏木間が開業。1912年に氷見駅へ延伸した。これが現在のJR氷見線である。中越鉄道は城端駅から氷見駅まで一体的に運行していたという。国に買収された後、城端線と氷見線に分割されたが、今後はあいの風とやま鉄道に移管され、一体的な運営も構想されている。中越鉄道時代の再来だと思うと感慨深い。

伏木港の鉄道輸送は、後に氷見線となる伏木駅で取り扱っていた。しかし伏木港の改良によって貨物取扱が増大すると、伏木駅を補完する目的で、庄川の対岸にある新湊へ支線を建設した。これが後の新湊線である。終点の新湊駅は現在よりもっと海寄りにあり、日本鋼管の専用線も接続された。農産物や材木だけでなく、工業製品の出荷でも活躍した。

1920年に中越鉄道は国有化され、「新湊軽便線」となった。その2年後に軽便鉄道法が廃止されたため、「新湊線」となる。当時は旅客営業も実施していたが、富山から海沿いに延伸してきた越中鉄道が伏木港に達し、さらに高岡駅へ延伸しようとしたため、協議の結果、1951年に旅客営業を取りやめ、貨物専用線となった。その後は順調に貨物取扱い量を増やし、1964年に年間貨物取扱い量が100万トンを超えた。赤字国鉄時代としては珍しく黒字路線だったという。

しかしその後、貨物輸送のトラックへの移行や国鉄の労働争議の影響で、貨物取扱い量は減少していった。荷主との専用線接続も不要となったため、2002年に路線を短縮し、新湊駅を移設する形で高岡貨物駅が開業した。近年の最大の顧客は中越パルプ工業だったが、取扱い量が減り、2018年のダイヤ改正で2往復あった高速貨物列車が廃止され、臨時列車を毎日運転するダイヤとなった。

「2023貨物時刻表(鉄道貨物協会)」で確認すると、臨時貨物列車は富山貨物駅16時11分発・高岡貨物駅17時25分着と高岡貨物駅19時24分発・富山貨物駅20時34分着の1往復のみ。富山貨物駅は大阪・青森間を結ぶ日本海縦貫線ルートの途中にあり、大阪貨物ターミナル駅、吹田貨物ターミナル駅、百済貨物ターミナル駅、岡山貨物ターミナル駅、福岡貨物ターミナル駅、名古屋貨物ターミナル駅、隅田川駅、東青森駅、札幌貨物ターミナル駅などに向けた列車が発着する。

第1便のコンテナは、岡山貨物ターミナルを0時27分に発車する新潟貨物ターミナル行の貨物列車に搭載され、10時54分に富山貨物ターミナル駅に到着。ここで新湊線の臨時貨物列車に積み替えられ、高岡貨物駅に17時25分に着いた。支援物資輸送専用列車が仕立てられたわけではなく、定期列車と毎日運行の臨時列車で対応したようだ。

新湊線は短い路線だが、富山貨物駅で積み替えることにより、全国のコンテナ取扱駅と連絡する。その新湊線がいま、被災地支援のルートとして貢献している。まだまだ扱いは少ないものの、運賃無料制度が広まれば、もっと利用が増えるだろう。ローカル鉄道が鉄道本来の大量輸送の役目を担う。新湊線は鉄道のあるべき姿を取り戻せるかもしれない。

無償輸送の条件について

JR貨物と全国通運連盟の公式サイトを参照すると、無償輸送の窓口はJR貨物になっている。全国通運連盟の「通運」は「鉄道貨物を取り扱う運送業」を意味し、簡単に言えば鉄道貨物の窓口的な存在である。通運業はかつて運輸大臣(当時)による免許制だった。現在は法律改正で自由化され、どの運送会社も鉄道貨物を扱える。その中で、鉄道貨物を取り扱う運送会社の加盟する団体が全国通運連盟となる。

荷物を貨物列車で運ぶ場合、運送会社に輸送を申し込み、運送会社が貨物列車を手配する。一方、今回の能登半島向け無償輸送における窓口はJR貨物となっている。運送会社に問い合わせた場合も、「JR貨物の承認が必要になるため、JR貨物の支店を案内する」(全国通運連盟)とのこと。

無償で貨物を送る条件は民間企業であること。貨物を受け取る側は救援物資の受け入れを表明している自治体に限られる。送り側はあらかじめ自治体の災害対策本部などに事前連絡し、品名、数量などを伝え、受け入れを承認してもらう。荷物を受け取れる人は被災自治体のみ。輸送単位は12ftコンテナ1個で、重量はコンテナ1個あたり5トン以内となる。無償輸送の取扱期間は2024年1月5日から、被災自治体の救援要請が終了するまで。ただし、国及び地方自治体が発送する場合は無償輸送の対象外となる。

JR貨物は無料で、運送会社の費用は全国通運連盟が負担する。したがって、全国通運連盟に加盟していない運送会社は無償輸送にならない。被災地に支援物資を送りたい民間企業は留意してほしい。

  • 高岡貨物駅と志賀町役場の位置(地理院地図を筆者加工)

報道によると、1月12日朝に高岡貨物駅を出発したトラックは、1月13日朝に到着するという。つまり24時間以上かかる。Googleマップの経路検測で確認すると、高岡貨物駅から志賀町役場までの走行時間は、平時であれば国道415号を経由して1時間余り。それが24時間以上になるのだから、現地の道路事情と混雑事情はかなり厳しいと思われる。

志賀町はJR七尾線の羽咋駅、千路駅、金丸駅、能登部駅が鉄道の最寄り駅となっている。七尾線は羽咋駅まで列車の運転を再開しており、1月22日に七尾駅まで運転再開予定とのこと。今後は旅客車両による物資輸送も可能だろうし、七尾線の貨物列車復活も期待したい。鉄道があって良かった。貨物輸送があって良かった。そんな意識が定着することを願ってやまない。