さらば、本多忠勝(山田裕貴)と榊原康政(杉野遥亮)。長年、徳川家康(松本潤)に仕えてきた2人の退場シーンには万感の思いがあふれた。2人の姿を通して、大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)で描こうとしてきたことが見えてきた。なぜ、家康が将軍になれたのか。第44回「徳川幕府誕生」は、サブタイトルの通り、ついに徳川幕府が誕生。タイトルバックはこの回だけの特別なもので、時代が大きく転換することを示した。

  • 左から榊原康政役の杉野遥亮、徳川家康役の松本潤、本多忠勝役の山田裕貴

■山田裕貴と杉野遥亮が老いた忠勝と康政を熱演

征夷大将軍になった家康にはいまやかわいい孫・千姫もいる。若く、知恵の優れた者たちが登用されていく一方で、家康をかねてより支えてきた功労者――若く生意気だった忠勝も康政も50代。白髪まじりで顔にはシミが。忠勝は目が悪くなり、これまで一度も戦場で傷を負わなかったことが誇りだったが、ある日、うっかり指に怪我をしてしまう。康政は、内蔵の病にかかっていた。井伊直政(板垣李光人)は関ヶ原で負った傷がもとですでに亡くなっていた。享年42歳。史実どおりとはいえ寂しい。

古沢良太氏の描く死はどこかあっけない。忠勝も康政もそうで、彼らの死よりも、その前の、生き生きしていたところを手厚く描いている。忠勝は、自身の生前の勇姿を、肖像画として残そうとしていた。が、何度も何度も描き直させている絵は本人とは似ても似つかないものだった。

「もっともっと強そうでなければ」と意気込む忠勝に、「もう別人じゃ 絵師もおまえを見ずに書いている」と淡々とツッコむ康政。2人の長い間のいいコンビ感がここに極まった。死を間近に意識して挨拶に来た康政と忠勝が発破をかけ、庭でたんぽ槍を交えて戦う場面は、若い山田裕貴と杉野遥亮がせっかく演じているのだから、高齢者の滋味深い演技でしみじみ終わるよりも、彼らの生き生きした見せ場を作ろうと思ってのことか。それがあってよかったと思うが、2人が若いなりに健闘した、老いの演技も評価したい。これが可能だったのは長いこと同じ人物を演じてきたからこそではないだろうか。

■凡人こそが人々を導き平和を維持していくことができる

家康が征夷大将軍にまで上り詰められたのは、忠勝や康政ら、家康を支える家臣たちがいたからだと『どうする家康』では強調する。上とか下とか関係なく、意見をズバズバ言ってくれる家臣がいたからこそ、家康は多角的な視点で物事を捉えることができて、いまに至ったのだ。秀忠(森崎ウィン)に意見を言うのが最後の仕事と思って奉公している康政に、家康は「老いるな、まだまだ意見してくれ」と頼む。康政は、家康が秀忠に理不尽に厳しいと批判的だったが、意見することこそ重要と家康はあえてやっていたことだった。秀忠にもっと意見する者がいてほしいと望み、自らが率先して厳しく当たった末、後継ぎを秀忠に決める。

先に生まれた結城秀康(岐洲匠)ではなく、秀忠を跡継ぎに選んだ理由を、本多正信(松山ケンイチ)は「偉大なる凡庸」と推測する。思えば、今川義元(野村萬斎)も武田信玄(阿部寛)も織田信長(岡田准一)も豊臣秀吉(ムロツヨシ)も、優れた武将たちが一代限りの天下で終わってしまったのは優秀過ぎたからで、それだとついていける人がいない。凡人こそが人々を導き平和を維持していくことができるという考え方である。その点、秀忠は於愛(広瀬アリス)に似ておおらかで憎まれないところも良い。関ヶ原に参戦しなかったことも誰にも恨みを買わず逆に良かった。みんなと話し合っていい国を作っていくことを期待されての抜擢なのだ。

「偉大なる凡庸」こそリーダーとしてふさわしい。正信の考えによれば、家康も凡人ということである。これまでずっと、松本演じる家康が、リーダーとしてのきらめきやカリスマ性に乏しい描かれ方をし、長年言われてきた策士の「たぬきおやじ」とも違っていた理由が、ここで明らかになった。

現存する家康の肖像画がどれもどしっと福々しく、でも目つきはちょっと企みに満ちているように描かれているのは、忠勝の肖像画のようなイメージ戦略かもしれない。もし、家康の肖像画がものすごく平凡に描かれていたら、レジェンドにはなりにくいだろう。

■勝者に都合よく描かれている史実としての記録

元来、史実として残っているものは勝者側の記録であり、勝者に都合よく描かれている。対して敗者の言い分は残りにくい。大河ドラマでは敗者の視点を慮ることが多く、例えば、『鎌倉殿の13人』(22年)で三谷幸喜氏は、悪人なのではないかとされてきた北条義時(小栗旬)と政子(小池栄子)の悪人ではない面を描き、本人たちは、でもきっと、後世自分たちは悪人として語られるのだろうと想像する場面を描いた。これは残された公式記録『吾妻鏡』が北条の主観で描かれていると言われていることを逆手にとったものだった。『どうする家康』では、文字だけでなく、絵もまた、事実そのものではなく、勝者の演出がたぶんに入っていることを皮肉っている。絵に注目するのは、漫画も描いている古沢氏らしい気もする。

ドラマの忠勝は実際強くはあったけれど、「わしが死んだあとも睨みを利かせる」ためにより強そうな絵を残そうとした。いまは戦がなくなったが、まだまだ心配だから、西に睨みを利かせようと準備する。それはひとえに、殿のため。彼の一番の「睨み」とは何だったか、第44回の最後にわかる。忠勝は家康の背中をずっと睨んで(見つめて)いるのだ。絵は確かにまったく似ていないが、山田裕貴の眼光鋭い瞳と、肖像画の瞳の強さが重なって見えた。

『どうする家康』を初期から支え、なくてはならない存在だった山田裕貴と杉野遥亮が去ったあと、第45回は「二人のプリンス」で、2代目将軍・秀忠を演じる森崎ウィンと、ぐっと成長した豊臣秀頼を演じる作間龍斗(HiHi Jets)の2人がどんなプリンスを演じるか、注目したい。

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