安楽死という非常にセンシティブなテーマだけに、“その瞬間”をテレビで映すことにはフジテレビ社内で議論もあった。それでも、「最近のテレビは批判を恐れてやれないことが増えていて、今やらなければこのテーマはますます触れられなくなるのではないかという思いがありました。そこで、安楽死に対する議論のきっかけになるという意義を確認して、進むことができました」(協力プロデューサーの西村朗氏)と、放送へGOが出た。

そんな経緯もあり、制作に当たっては細心の注意を払った。例えば、「安楽死」という言葉一つとっても、医師が希望者に直接注射を打つ「積極的安楽死」を示すことも多いが、スイスではその手段が認められておらず、希望者が自ら致死薬の入った点滴のバルブを開ける方式のため、番組で表示されるテロップには「安楽死」という文字に「自殺ほう助」とカッコ書きで併記している。

また、合法化されている国でも様々な書類をそろえる必要があり、難病を抱えていてもそれを入手することが非常に困難であること。安楽死の希望者にとって理想郷のように思われているスイスでも、実際には反対意見も多いことなど、現状をしっかり明示することで、「正しく伝えるということはかなり意識しました。違う形で議論が生まれてしまうおそれがありますので」(山本D、以下同)と強調する。

そして前述の通り、取材者と取材対象者の“線引き”は強く意識した。ライフサークルでは、自殺ほう助を受ける際に最低1人の付添い人が必要になるため、家族や友人がなかなか引き受けてくれない中で、山本Dにその役割を期待する人もいたが、当然受けることはできない。

そうした明確な依頼だけでなく、スイスで通訳をする機会もあった山本Dが、書類の書き方を翻訳して伝えることで、自殺ほう助につながりかねないと感じたシーンに直面したこともあったそうで、「本当に皆さん悪気なく聞いてくるのですが、僕が介在することによってその方たちが死に近づくのではないかとよぎることが日々あって、そこへの向き合い方は本当に難しいところがありました」と、“線引き”を迫られる場面は非常に多かったという。

ただ、彼らにしてみれば藁(わら)にもすがる思いなだけに、「すごく心苦しい気持ちがありました」と、葛藤しながらの取材となった。

  • 取材した山本将寛ディレクター

■取材協力の人たちに“託された”使命感

テーマがテーマだけに、20代の若者から取材されることに不安を覚えるのではないか――当初はそんなプレッシャーも感じながら撮影していたというが、「あるとき、このテーマでカメラの前に立つことは、相当な覚悟が必要だと思ったんです。そこから、自分がやるべきことは、遠慮をせずにこちらも覚悟を持って皆さんのリアルを映すことだと思えるようになってきて、僕自身も気持ちがざわつくようなシーンを映像に収めることができるようになってきました」と、向き合い方に変化が生まれたという。

さらに、「今回の番組は、取材に協力していただいた方々の思いを背負って作った意識があります」とも。実は、スイスの現地取材は一度断られていたが、「良子さんから手紙をもらったこともあって、皆さんの思いを“託された”気持ちがあったので、ここでめげちゃいけないと何度も懲りずに交渉して、最終的に受け入れてくれたんです」と、使命感を持って臨んでいた。