今回、初めて安楽死の現場に立ち会った山本D。その瞬間を目の当たりにして、「一つ一つの動作が、今でもすごく鮮明に残っています。まず自分でバルブを開けて、致死薬の入った点滴が垂れて、穏やかな顔で目を閉じていく……というのを、僕の撮影したカメラが本当に気持ちのままに追っている画になっているのですが、そのすべてのアクションが忘れられないですね」という。この場面は、映像をカットせずそのまま放送することで、「これがリアルだということをちゃんと見てもらいたいと思って編集しました」と意図を語る。

また放送では、眠りに落ちたところまでの映像を使っているが、そこから数分後、本当に心臓が止まると、「一気に血が引いて、顔が真っ青になるのを見て、人の命というものは、こんなに簡単に終わってしまうのかと、儚(はかな)さをすごく感じました。直前までご家族と笑いながら話しているのに、バルブを開けた数分後には亡くなるということもあると思うのですが、その感情は、どの人を見ても変わらないんです」と受け止めた。

一方で、「見守る家族の皆さんは、もちろんすごくつらいと思うのですが、『この日のこの時間に亡くなると分かっていたから、思っていた以上に受け入れられた』と言う方が多いんです。それに驚くと同時に、安楽死への賛否は別にして、この手段で救われる人たちが少なからずいるということを、現場を見て知りました」と、気づきがあったという。

スイスの現地取材は、コーディネーターもカメラマンもおらず、自らカメラを持って完全に1人で行った。安楽死の瞬間に何度も立ち会うことは、自らの精神的負担も大きいことが想像されるが、「気を張っていたのは確かですが、幸いサポート団体の方と仲良くなれたのも大きいです。自殺ほう助という手段によって亡くなるため、警察と法医学医が来て、いろいろ確認する間、そこにいた人はその場から離れてはいけないので、今日の死のことを振り返って『最期はいい時間だったね』と話したり、家族が思い出話をしたりする時間になるので、そこで自分も救われていた部分がありました」といい、自身の心を保つことができたそうだ。

  • 母と娘の最初で最後のスイス旅 (C)フジテレビ

■死と向き合う人たちを見て、自分の生き方に向き合う

安楽死の瞬間を目の当たりにし、自身の家族のことも思い浮かんだという山本Dは「僕が小さい頃に、父が『俺が管につながれた状態になったら外してくれ』とよく言っていた記憶があって、それをふと思い出したんです。あの頃はよく意味が分からなかったし、外したくないと思っていたんですけど、親がそう考えているということを、改めて理解しておかなければいけないなと思いました」と打ち明ける。

自分の親よりも若い人たちが安楽死という手段で亡くなっていく姿に何度も立ち会ったことに加え、実は今回の取材期間中、山本Dは100歳を迎えた祖母を亡くし、大学の同級生が若くして病で亡くなるという出来事もあった。

そんな経験をして、「生きたい意志のある人がいる一方で、死にたいと思うことがどこまで制限されるべきなのかと、頭の中をぐるぐる巡るのですが、もちろん答えは出なくて、本当に難しいテーマだと感じました。それに、誰にいつ何が襲いかかるか分からないと改めて思って、当たり前のことなのですが、日々なんとなく過ごしていたらダメだなと思いましたね。死と向き合う人たちを取材させてもらったことで、自分の生き方に対して、もっと真剣に向き合えるようになったと思います」と、心境の変化を語った。