テレビ朝日系特番『僕たちは戦争を知らない〜戦禍を生きた女性たち~』(13:55~※一部地域を除く)が13日に放送される。放送に先立ち、菊池風磨(Sexy Zone)、中間淳太(ジャニーズWEST)、松村北斗(SixTONES)、阿部亮平(Snow Man)がコメントを寄せた。

  • 上段左から菊池風磨、中間淳太、下段左から松村北斗、阿部亮平=テレビ朝日提供

■満蒙開拓移民の「終わらなかった戦争」×菊池風磨

戦後78年目の終戦の日を前に、戦争を知らない4人の若者が日本各地を訪ね、戦争を体験した人々の証言を聞くドキュメンタリー。「女性たちの戦争」をテーマに掲げ、戦禍の中、女性たちはいったい何を見て何を感じたのか、戦争に翻弄されながらもたくましく生き抜いた女性たちから話を聞き、ありのままを伝えていく。

菊池がうかがったのは、7歳で満蒙開拓団として満州に渡り、現地で家族を失った北村栄美さん(89歳)の悲しい記憶。満州に渡れば豊かな暮らしができると聞かされていた一家。しかし、待っていたのは生きることで精一杯の生活だった。そんな中、対日参戦したソ連が満州に侵攻、父親が動員されてしまい、満州に取り残された家族は略奪や暴行、飢えに苦しむ地獄の日々を送ることに。極限生活の中、ひとりでも多くの子どもたちを生かすために彼女の母が迫られたのは“命の選別”で……!? 栄美さん一家がたどった運命を知った菊地は「何から何まですべて心に残ったというのが正直なところですが、命の選別ほど悲しいことはないということが胸に刺さりました」と衝撃を受けたことを告白。その上で「栄美さんのお話の迫力は、番組をご覧になる皆さんにも必ずや伝わると思うので、ひとりでも多くの方に広めていかなきゃいけないなと強く思いました」と、今回の取材で感じた決意を明かした。

■戦後も消えない原爆の苦しみ、人間魚雷・回天搭乗員を支えた島の女性たち×中間淳太

中間は人類史上初めて原子爆弾が使用された広島を訪問する。出会ったのは、80歳を過ぎてから原爆体験の語り部をはじめた切明千枝子さん(93歳)。目の前で死んでいった友人たちの遺体を校庭で火葬する、という壮絶な体験をした女性だ。忘れたいと思えば思うほど当時の光景がよみがえってくると話す千枝子さんは、当時、自分だけが生き残ってしまったことへの申し訳なさに強く苛まれていたと述懐する。中間は「生きているのが申し訳ないという気持ち、今まで僕は感じたことがなかったんです。当時を思い出せば思い出すほど苦しく、鮮明によみがえるという言葉を聞いたときに、はっとしました。その記憶を持ったまま生き続けることがどんなに辛いことなのか……」と、言葉を詰まらせながら、千枝子さんの悲痛な過去に思いを馳せた。

中間はまた、かつて人間魚雷“回天”の訓練基地が置かれた山口・大津島にも訪れ、島民の石丸ユキエさん(89歳)と対面する。戦況が悪化した戦争末期、海軍が開発した人間魚雷・回天。脱出装置はなく出撃すれば必ず命を失う、文字どおりの“特攻兵器”だった。1944年9月、そんな回天の訓練基地として秘密裏に選ばれたのが、瀬戸内海に浮かぶ小さな離島・大津島。石丸さんは、“死”を覚悟した若者たちに戦地に送り出した息子を重ねあわせ、陰ながら見守っていた母親の姿を振り返る。中間は「命を落とすことが当たり前という世の中を生きてきた男性の方も、とんでもない苦しみを味わいましたが、大切な人を送り出した女性たちもまた、被害者なのかなと思いました」と、女性たちの苦しみに触れて感じたことを打ち明けた。

■“敵兵の子”と呼ばれた女性×松村北斗

松村は、神奈川県大磯町にある児童養護施設、エリザベス・サンダース・ホームへ。戦後すぐに創設されたこのホームには、進駐軍の兵士と日本人女性とのあいだに生まれた子どもたちが預けられていた。この施設で暮らしたとうや米子さん(77歳)から聞いたのは、生き抜くために離れ離れとなった母子がたどった過酷な運命だった。松村は「米子さんの思い出や実際に経験されたことを聞いて、今まで学校の教科書やテレビ番組で見聞きしたことのないものだと、はっきりとわかりました。誰が加害者で誰が被害者かという答えがない世界は、すごく怖く感じますね。そういうものを生む戦争というものは決してあってはならないと思いました」と平和への思いを新たにしていた。

■エスカレートしていった空襲の悲劇×阿部亮平

阿部は知られざる空襲の実態を知るため、地方最悪の被害を出した富山大空襲の体験者に会いに行く。話を聞いたのは、富山大空襲で左肩に障害を負いながらも、医師として戦後をたくましく生き抜いた飯田恭子さん(85歳)。阿部はさらに、この空襲の被害を拡大した背景に“隠された事実”があったことも知り、「戦争というものは人の命を奪うことに対する感覚を麻痺させてしまうんだ、と痛感しました」とがく然。「戦後78年経って、戦争を経験した方のお話をうかがう機会もどんどん失われつつあります。戦争についての価値観がどんどん変わってしまって、また戦争が起きる世の中になるのは嫌です。だからこそ微力かもしれないけど、こういう番組で伝えていくことが大事だなと思いました」と、戦争の記憶を伝え続けることの意義を力強く語った。

■菊池風磨・中間淳太・松村北斗・阿部亮平コメント

■菊池風磨(Sexy Zone)

今回お話をうかがい、何から何まですべて心に残ったというのが正直なところですが、命の選別ほど悲しいことはないということが胸に刺さりました。ただ、それは、ひとりでも多く生きていくためには、やむなく決断せざるを得なかったのかなとも思います。想像を絶する状況を生き抜く中で、もしかしたら選別という意識さえ、なかったのではないでしょうか。そういう当時の辛い思いと、何十年か経った後に、当時「自分たちも侵略者だったんだ」と思わざるを得ない状況になってしまった、両方の辛さ。それがまたご自身を傷つけ、追い込んでしまう。その二重の苦しみは、本当に計り知れないです。きっと僕らだったら耐えられないぐらい、辛い思いを抱えながら生きてこられたんだなと感じました。北村栄美さんのお話の迫力は、番組をご覧になる皆さんにも必ずや伝わると思うので、本当にひとりでも多くの方に広めなければと強く思いました。

■中間淳太(ジャニーズWEST)

原爆に遭った切明千枝子さんの話を聞いて、被害を受けた悲しさだけじゃない、それ以外も苦しみに変わるんだなとすごく感じました。生きているのが申し訳ないという気持ち、今まで僕は感じたことがなかったんです。当時を思い出せば思い出すほど苦しく、鮮明によみがえるという言葉を聞いたときに、はっとしました。その記憶を持ったまま生き続けることがどんなに辛いことなのか……。被害、加害という側面はもちろんありますが、もう戦争に参加した時点で負けなんだなと思いました。

もしかしたら回天に乗った方々は戦争が終わる未来の日本を、大津島の波の中に見ていたかもしれない。でもそれはキラキラした希望とは違う、悲しい希望ですよね。どれだけ訓練を耐え抜いても、結果、自分の命はなくなる。でもそれが救いであると彼らは信じてきた。改めて恐ろしいことだと感じます。

命を落とすことが当たり前という時代を生きた男性もとんでもない苦しみを味わいましたが、今回の取材で、大切な人を送り出した女性たちもまた、被害者なのかなと思いました。見送ることしかできず、止めることすら許されなかった時代で、そういった気持ちがどんなに苦しいものか。残された方は、とにかく生きてほしいという気持ちだったと思います。そして戦地に向かった方も、家族にだけはどうにか生きていてほしいと……。どちらも“生きる”ということが希望なのに、どちらの希望も叶わなくなるのが戦争だと考えると、胸が苦しくなります。僕らはしっかりと向き合って、学んで、考えて、生きていかなければと思います。

■松村北斗(SixTONES)

とうや米子さんの思い出や実際に経験されたことを聞いて、今まで学校の教科書やテレビ番組で見聞きしたことのないものだと、はっきりとわかりました。そして、これはもっときちんと教えなければいけないことなんじゃないかなと感じるものがたくさんありました。

僕自身は戦争が残したものをほとんど体感できない時代に生まれて、28年間生きてきました。だから、置き去りにした親と置き去りにされた子どもという関係性だけを見て、罪がある者、罪がない者のような印象を受けてしまいがちですが、実際にお話を聞いていくと、加害者が誰かという話ではなく、どちらも被害者だということをすごく痛感させられました。誰が加害者で誰が被害者かという答えがない世界は、すごく怖く感じますね。そういうものを生む戦争というものは決してあってはならないと思いました。

■阿部亮平(Snow Man)

今回お話をうかがって、戦争というものは人の命を奪うことに対する感覚を麻痺させてしまうんだ、と痛感しました。どちらが勝ってどちらが負けるとかではなく、戦争がなくなってくれと強く思っていたということが飯田さんのお話からとてもわかりました。戦後78年経って、戦争を経験した方のお話をうかがう機会もどんどん失われつつあります。それを経験した人から伝えてもらうことに勝る、戦争を語り継ぐ手段ってないと思うんです。それが失われたときに、戦争についての価値観がどんどん変わってしまって、また戦争が起きる世の中になるのは嫌です。だからこそ微力かもしれないけど、こういう番組で伝えていくことが大事だなと思いました。