水辺に棲む妖怪として有名な河童(カッパ)。緑色のイメージがありますが、柳田国男の出身地である福崎町では、赤い河童がPRキャラクターです。果たして河童とはどのような妖怪なのでしょうか。

本記事では河童の特徴や正体、歴史の他、各地に伝わる伝説や怖い話、『妖怪ウォッチ』『河童のクゥと夏休み』『河童の三平』などの創作物についても紹介します

  • 河童とは

    河童の特徴や伝説、作品について、さまざまな角度から解説していきます

河童(カッパ)とはどんな妖怪? 歴史や特徴を紹介

河童(カッパ)と言えば、甲羅と尖ったくちばし、水かきを持った緑色の生き物を思い浮かべる人も多いでしょう。どちらかというと両生類や爬虫類のイメージです。

きゅうりと相撲が好き、ともいわれていますね。しかし現代において広く親しまれているその姿は、実は江戸時代に創作されたものだそうです。

まずは河童の姿や特徴、その変遷について見ていきましょう。

現代に伝わる河童は「江戸型」

古来より、河童の伝説は全国各地に伝わっています。呼び名もカワタロウ、ガタロ、カワコ、カワランベ、ガメ、エンコウ、ミズシ、メドチ、ヒョウスベ、河郎(カワロウ)といったものがあり、地域などによってさまざまです。

河童についての最古の記述は、15世紀の辞書『下学集(かがくしゅう)』だといわれています。そこでは、年老いたカワウソが「カワロウ」になるとされていました。

この「カワロウ」は1603年に日本イエズス会によって長崎で刊行された『日葡(にっぽ)辞書』にも、川に住んでいる猿に似た獣として登場します。

18世紀まで、河童は主に猿やカワウソに似た「獣」と伝えられていたのです。それでは、河童はいつから今のような姿として定着したのでしょうか。

もともと江戸の地域では、河童は亀やすっぽんのように甲羅を持っているとされていました。江戸には山がないので、山に住む猿のような見た目よりも、両生類のようなイメージの方が身近に感じられたのかもしれません。

そして江戸時代、文化や政治の中心が江戸に移ると、全国的には少数派だった亀型の河童のイメージが、浮世絵を通して視覚的に広がるようになります。

河童を緑色に表現するのも、江戸の浮世絵師たちの影響だったそうです。呼び名も、それまで東国の方言とされていた「カッパ」が定着しました。

こうして現在の河童のイメージは、江戸の文化とともに全国に広まっていったのです。

河童の特徴

現代に伝わる河童の特徴について、亀のような甲羅や緑色という以外にも、うろこがある、子供のような姿、頭の上には力の源である水の入ったお皿がのっている、といったことが挙げられます。

また、河童の逸話として語られることも多いのが相撲です。河童は相撲が好きで、人間に勝負を挑んでくるとされています。

河童は力が強く負けず嫌いで、相撲勝負に人間が勝つと、何度でも取り組みをしたがるそうです。これは河童が勝つまでいつまでも続くので、もしも河童に相撲を挑まれたら、まずは丁寧にお辞儀をしましょう。そうすると河童もまねをしてお辞儀をするので、頭の上の皿の水がこぼれて力が出なくなってしまい、何度も勝負を挑まれることを回避できるといわれています。

また、「河童の腕は抜けやすい」ともいわれています。両腕が体の中でつながっていて、左右に自在に動いて伸び縮みするのだそうです。人間に腕を取られ、返してもらう代わりに薬の製法を教えたという話もあります。

河童の好物としてはきゅうりが有名です。これは水の神様である祇園(ぎおん)信仰に結びつき、きゅうりを供えた水神の祭場に現れると考えられたことによるそうです。

河童の正体については、後ほど詳しく解説します。

人に悪さをする危険な河童も

きゅうりを食べたり相撲を取ったりと愛嬌(あいきょう)のある河童。江戸時代の漫画のようなものに当たる草双紙(くさぞうし)にも、滑稽なキャラクターとして描かれています。

ですが、実は人間に悪さをする恐ろしい妖怪としての姿も持ち合わせています。例えば、人間や動物の肛門のところにあるとされる「尻子玉(しりこだま)」を河童に取られると、その相手は死んでしまうとされているのです。

また、河童と相撲を取り続けると疲れ切って病気になったり、精神に異常をきたしたりするともいわれています。そのため九州地方では、「見知らぬ人と相撲を取ってはいけない」とよく言われるそうです。

水の中に引きずり込まれ、溺れさせることもあるといわれています。

ほかにも、河童は女性に自分の子どもを孕(はら)ませることもあるとされています。民俗学者である柳田国男による、民間伝承をまとめた『遠野物語』には、河童の子を孕んだ女性の話が収録されています。

かわいらしいイメージとは裏腹に、伝説の中の河童は怖い存在でもあったのです。

全国各地に伝わる河童伝説

各地に伝わる河童伝説について、もう少し詳しく見ていきましょう。河童の話では、特に「河童駒引譚」と「河童石」が有名です。地方によって少しずつ違いはあるようですが、おおまかな話の流れをまとめました。

河童駒引譚

「河童駒引譚」とは、河童が馬を水の中に引き入れようとする話のことです。例えば川で馬を洗っていると、河童が現れて馬を水中に引きずり込もうとした、というものです。

類似する話は全国に見られますが、そのほとんどは失敗譚です。前述した『遠野物語』にも、馬を淵に置いて遊びに行ってしまった村人の話が出てきます。

馬は河童に水中へ引き込まれそうになりましたが、驚いた馬は逆に河童を引きずって馬小屋に戻って来ました。家の人が不思議に思って馬小屋をのぞくと、桶の下に河童の手が見えた、というお話です。

とらえられた河童は二度と村の馬に悪さをしないと誓い、逃がしてもらったそうです。

その他、助けてくれたお礼として河童が椀や膳を置いて行ったり、魚を届けたり、詫び証文を残したりするという話もあります。

『遠野物語』の作者である柳田国男は、こうした伝承は水の中から駿馬(しゅんめ)が現れるという俗信や、馬を水神にささげた儀礼などの名残ではないかと考察しています。

河童石

「河童石」と呼ばれる石の言い伝えも、各地に残っています。河童は山と川を往復するのでその中継点として置かれた石である、人間に助けられた河童がお礼の品を置いた石であるなど、その由来はさまざまです。

例えば福島県の野尻川にあったとされる河童石には、河童と証書をもって取り決めを交わしたという話が伝えられています。内容としては、淵で馬を洗っていたところ河童が現れ、尾についてきたので、今後は橋の側の石より上には来ないと約束させて逃がしたそうです。

しかしその石は洪水で流れ、お堂に置いておいた証書もいつの間にかなくなった、といわれています。

河童にまつわる話は、これ以外にも日本各地にたくさん残っています。

河童の正体は?

  • 河童の正体とは

    河童の正体にはさまざまな説があります

前述した通り、河童とは水の神様だともいわれています。柳田国男は「河童は水の神が零落したもの」と考えていました。

また水の神である河童は春と秋には田の神と交代し、穀物の実りを約束するという説もあります。そのことから、山に入ればヤマタロウ、川に入ればカワタロウと呼ばれることもあるそうです。

河童は、かつて陰陽師(おんみょうじ)が使役した式神が作った人形が、転じたものだとする説もあります。これは主に東日本で伝えられてきました。

一方、河童は間引きされた子供の水死体だとする説もあります。悲しい話ではありますが、河童が全国に広まった江戸時代には、貧困のため、子供の間引きが行われることは珍しくなかったのです。間引きをしていることを隠すために、大人が「あれは河童だよ」とうそをついたのではないかといわれています。

キャラクター(ご当地キャラ、ゆるキャラ、アニメなど)としての河童

川や池、淵などの身近な場所に出没する妖怪でもある河童は、浮世絵や草双紙にとどまらず、現代においてもマンガやアニメ、ゲームのキャラクターとして人々に愛されています。中にはPRキャラクターとして採用している自治体も。

次は、キャラクターとしてアレンジされた河童を見ていきましょう。

兵庫県福崎町のPRキャラクターは赤い河童の「ガジロウ」

柳田国男の故郷である兵庫県福崎町のPRキャラクターである、河童の河次郎(ガジロウ)。柳田国男の回顧録『故郷七十年』に登場する、駒ヶ岩の「河童(ガタロ)」の弟役として誕生したそうです。

ガジロウの特徴は、リアルな造形と体の色。一般的には緑色や青、黒などで表されることの多い河童ですが、ガジロウの体は赤い色をしています。

実は当初、ガジロウの像はベージュ色でした。しかし柳田国男が岩手県遠野地方の民間伝承をまとめた『遠野物語』では、遠野の河童は赤いことが記されています。そこに着想を得て、ガジロウの肌の色を赤に変更したところ、たちまち人気になったのだそうです。

なお福崎町には、ガジロウの像の他、ガジロウの兄、つまり「河童(ガタロ)」をモチーフにした河童の河太郎(ガタロウ)というキャラクターの像も存在します。

『妖怪ウォッチ』の河童

子供たちに大人気の『妖怪ウォッチ』にも、河童が登場します。緑色の体に甲羅、頭にはお皿。いわゆる、わたしたちのイメージ通りの河童です。

また、同ゲームには「ノガッパ」という妖怪も登場します。こちらは体の色は水色ですが、見た目はやはり一般的な「河童」のイメージとそれほど変わりません。河童とノガッパの関係は不明だそうですが、ノガッパのほうが幼い印象ですね。

『河童の三平』(水木しげる)

『河童の三平』は1961年に貸本漫画として発表された水木しげるの代表作です。河原三平と、彼に顔がそっくりな河童のかん平が活躍します。1993年にはアニメ映画に、2021年には舞台化もされました。

児童向けで、カッパの三平が人間になりすまして学校に通う『カッパの三平』も出版されています。幅広い世代に親しまれている作品です。

『河童のクゥと夏休み』

2007年の夏に公開された『河童のクゥと夏休み』は、木暮正夫さんの児童文学が原作の、大人も泣けるアニメ映画です。 平成19年度(第11回)文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞や第62回毎日映画コンクールアニメーション部門アニメーション映画賞などを受賞し、話題となりました。

小学生の上原康一が、拾った石から出てきた河童の子供、クゥと友情を育むファンタジーで、『クレヨンしんちゃん』劇場版シリーズを手掛けた原恵一監督がメガホンを取っています。

清水崑の『かっぱ川太郎』『かっぱ天国』

清水崑(しみずこん)は、柔らかい筆使いのイラストが特徴の、昭和期の漫画家です。

清水崑は1951年(昭和26年)に、『小学生朝日』で児童向け漫画の『かっぱ川太郎』を発表しました。さらに1953年(昭和28年)から『週刊朝日』で連載された『かっぱ天国』が大ヒットし、カッパブームを巻き起こしたことでも知られています。

大手酒造メーカーである黄桜の初代河童も、清水崑の手によるものです。

現代も愛され続ける河童

地域に伝わる伝説から現代的なキャラクターまで、いろいろな姿で愛され続けてきた河童。恐ろしい伝承も語り継がれていますが、そのひょうきんな姿はどことなく憎めないものです。

わたしたちの身近な妖怪の一つとして、河童はこれからも愛され続けることでしょう。