フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)では、がんと闘い続ける夫婦漫才コンビ、宮川大助・花子がなんばグランド花月(NGK)のセンターマイクに復帰するまでを追った『花子と大助 ~1450日ぶりのセンターマイク~』を、きょう2日に放送する。

取材したのは、10年以上にわたって大助・花子ファミリーの一員として“記録係”を担ってきた神林紀行ディレクター(クラフトマンシップ)。悲願だったNGKのセンターマイクにたどり着くまでには、知られざる危機や見せたことのない姿があった。神林Dが涙で振り返る――。

  • ベッドの宮川花子(右)と夫・大助 (C)フジテレビ

    ベッドの宮川花子(右)と夫・大助 (C)フジテレビ

■症候性多発性骨髄腫で「余命半年」宣告

神林Dが、夫婦漫才師の宮川大助・花子と出会ったのは、2010年。今回の番組のプロデューサーで、制作会社・クラフトマンシップの齋藤拓也代表取締役が、大助・花子の舞台や演劇を映像で記録していたのを手伝ったことがきっかけだ。

11年に東日本大震災が発生すると、大助・花子は頻繁に東北各地へ足を運び、復興支援で漫才や舞台を披露したり、イベントに出演したりするようになり、神林Dにその記録係の役目が回ってきた。

  • 大助・花子ファミリー=神林D提供

そんな中、2018年3月に花子(当時63)が、症候性多発性骨髄腫で「余命半年」の宣告を受けた。花子は立つどころか、下半身がまひし、足を動かすことすらできなくなってしまったが、そこから奇跡的な回復を見せ、今年5月、悲願だったNGKのセンターマイクに、1,450日ぶりに復帰することになる。

■毎日やり取りしていたメッセージが止まる

ここまで一進一退を繰り返しながらも回復に向かっていたと思いきや、実は昨年10月、花子は自宅で突然、呼吸困難に。救急車で病院に運ばれるも、意識を失い心肺停止寸前の危機に陥っていた。

普段は毎日のように「今日の大助師匠やで」「編み物編んでるけど、いくつ欲しい?」など、他愛もないメッセージで花子と連絡を取っていた神林D。すると昨年10月29日午前6時24分、花子が「おはようさん。昨夜から呼吸がおかしくて、フィーフィー言うてる。寝ててもうるさいんやわ」というテキストともに、その様子を映した自撮り動画を送ってきた。これは今回の番組でも使用している。

これに9時半頃気づいた神林D。「おはようございます。具合が悪そうですごく心配です」などと返信したが、そのときのやり取りから花子のメッセージは11月7日まで届かなくなった。

しかし、コロナ禍で病院に駆けつけることができなかった神林D。その間の様子は、娘のさゆみから「ICUに入ってます」など報告を受けるものの、「今までは花子師匠から動画や写真で治療やリハビリの様子が送られてきたのですが、あのときに関しては情報が少なかったので、心配しようにも何が起きているのか分からなかったんです」という状況に。後に詳しく状況を聞き、今回の番組でも使用している家族らの撮影した動画を見て、「そんなに大変だったんですか!」と驚いたそうだ。

それから久しぶりに会うことができたのは、昨年の大みそか。久しぶりに対面して「ホッとしました」というが、それ以上に「つらそうにしてるなという印象でした。いつも僕が生駒(=大助・花子の自宅)に行くと、2人でお迎えに来てくれるんです。だけど、そのときに限って花子師匠は来られず自宅で寝てらして、大助師匠1人で迎えに来ていただくという形でしたから」と振り返る。