漫才師・宮川花子が昨年12月、「症候性多発性骨髄腫」で“余命半年”の宣告を受けていたことを記者会見で公表した。実は、2018年春から闘病生活を送っていた花子。その様子に密着したドキュメンタリーが、フジテレビ『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)で、『花子と大助 ~余命宣告から夫婦の700日~』と題し、2月23日・3月1日の2週にわたって放送される。

取材したのは、同局系情報番組『直撃LIVE グッディ!』の神林紀行ディレクター(クラフトマンシップ)。今回の密着に「最後まで見届ける覚悟」で臨んだという神林氏に、取材の経緯や撮影中の心境などを聞いた――。

  • 『ザ・ノンフィクション』の密着を受ける闘病中の宮川花子 (C)フジテレビ

    『ザ・ノンフィクション』の密着を受ける闘病中の宮川花子 (C)フジテレビ

■ファミリーの一員として

神林氏が、夫婦漫才師の宮川大助・花子と出会ったのは、2010年。今回の番組のプロデューサーで、制作会社・クラフトマンシップの齋藤拓也代表取締役が、大助・花子の舞台や演劇を映像で記録していたのを手伝ったことがきっかけだ。

11年に東日本大震災が発生すると、大助・花子は頻繁に東北各地へ足を運び、復興支援で漫才や舞台を披露したり、イベントに出演したりするようになり、神林氏にその記録係の役目が回ってきた。

こうして、直接声がかかるようになった神林氏だが、「花子師匠はまず名前を覚えたいので、あだ名を決めるんです。僕は、花子師匠に『あんたどういう性格の人間なの?』と聞かれて、『しいて言えばドMですかね』と答えたら、『じゃああんたは“エムオ”だね』と言われて、そこから“エムちゃん”って呼ばれるようになりました(笑)」。今では「花子師匠に『あんたは弟子見習いだから』と言われます」といい、すっかり「大助・花子・ファミリー」(DHF)の一員だ。

  • 秋の紫綬褒章の伝達式終了後に集合した「大花ファミリー」=17年11月14日(前列左から 神林紀行ディレクター、宮川花子、宮川大助ら)

■「実はまた、がんになってしまった」

そんなファミリーの中でも、花子の病名を当初から知っていたのは、ごくわずかだった。花子は90歳になる母親にも伝えておらず、18年の3月に腰の骨にがんが見つかった際に知っていたのは、本人、夫の大助、一人娘のさゆみ、一番弟子の宮川隼人、当時のマネージャーの5人のみ。その後、同年4月1日に、紫綬褒章受章記念イベントが大阪・なんばグランド花月で行われたが、神林氏は齋藤氏とともに、いつものように映像記録のために駆けつけた。

この公演前、「楽屋に行ったら花子師匠が倒れていたので、『どうしたんですか?』と聞いたら、大助師匠が『みんな、1回外に出ていってくれるか?』と言って、花子師匠と大助師匠と僕と齋藤の4人だけになったんです。そしたら、『実はまた、がんになってしまった(※)』」と、告げられたのだ。

(※)…花子は88年にも、34歳で胃がんを患っている。

多くの弟子を抱える中で、「なぜ5人しか知らないことを僕らに伝えてくれたんだろう」と不思議に思った神林氏。それでも、「こっちが勝手に思ってるだけなんですけど、僕が『グッディ!』を担当しているので、いつか元気になったときのために映像で記録して、世の中に出してほしいというメッセージだと汲み取って、必死で付き添っていこうと思いました」と、取材者である自分たちへの配慮も感じて密着を決意した。それは、「最後まで見届ける覚悟」だったという。

その“世の中に出す”という着地点が、昨年12月の病名公表会見のタイミングになった。この実施にあたっては、「とにかく希望に満ちあふれた元気な姿を見せられるというのが前提にありました。がんが体から消えて体調も良くなってからというのはもちろんですが、ヨボヨボだったり、髪の毛が抜けて見た目がかわいそうと思われてしまうのを、大花(大助・花子)師匠は望んでいないですから」ということで、当初は11月に予定していたが、花子が「もうちょっと時間欲しいかもな」と要望し、リハビリをさらに繰り返して会見に臨んだ。

こうして、『グッディ!』では、会見の模様とともに、それまで撮りためていた600日間におよぶ密着映像を放送。その後、さらにリハビリなどの様子を撮影し、番組化したのが今回の『ザ・ノンフィクション』だ。