80年代に空前のブームを巻き起こし、海外でも熱狂的なファンを生んだ視聴者参加型バラエティ番組『風雲!たけし城』が、Prime Videoで34年ぶりに復活した(21日より順次世界配信中)。たけし城の家老・家臣を務めるバナナマンは、中学生の頃にオリジナル版の大ファンだったという。2人にインタビューし、同番組への思いやビートたけしとの共演の感想など聞いた。

  • バナナマンの設楽統(左)と日村勇紀 撮影:蔦野裕

たけしが城主を務める難攻不落のたけし城を攻め落とすべく、数々のゲームにチャレンジする挑戦者たちの姿に世界中が湧いた『風雲!たけし城』。令和版では、水に浮かんだ偽石を見分けながら対岸まで渡る“竜神池”や、ボールをよけながらつり橋を進む“ジブラルタル海峡”など、お馴染みのゲームがスケールアップして登場し、新ゲームも加わった。

総勢300人以上の挑戦者たちを迎え撃つたけし城の家老・家臣をバナナマンが務め、城を守る配下の3つ城の城主には上田晋也(くりぃむしちゅー)、渡辺直美、市川猿之助。また、挑戦者を応援する攻撃隊長としてオリジナル版から続投となる谷隼人、さらに新・攻撃隊長として木村昴も参戦した。

――家老・家臣として本作に出演が決まった時の心境をお聞かせください。

設楽統:当時『風雲!たけし城』を見ていたので、うれしかったです。なんなら僕は“おさむ城”をやりたいと言っていたくらい『たけし城』が好きでしたから。復活するだけでもうれしいのにそれに出演できるなんて、「いいのかな?」と思いました。

日村勇紀:学生の頃見ていて「楽しそうで羨ましいな」と思っていました。みんなの憧れの番組だったので復活が信じられませんでしたし、そこに出演できるのも不思議な感じでした。

――当時の『たけし城』の印象を教えてください。

設楽:周りで見ていない人なんていないのでは? というくらいみんなが見ていて、攻撃隊長の谷隼人さんの「行け~!」はよく真似していました。大人になってこういう業界で働いてみて、今じゃできないよなと思いますし、すごいことをやっていたんだなと改めて実感しました。それくらい伝説的な番組でした。

日村:記憶をたどってみても、一般の方がゲームにチャレンジしてクリアを目指すというのは、『たけし城』が初めてだったんじゃないでしょうか。当時、学校でみんなが見ていたし出たかった。ただの石を飛び越える時も「竜神池!」なんて言いながら飛び越えたりしていましたし、ボールを使って「ジブラルタル海峡」もやっていました。

――大好きな『たけし城』から、テレビの世界やお笑いの世界に入りたいというような影響も受けたのでしょうか。

設楽:中学生の頃だったので、具体的に芸能界に入りたいとまでは思わず、当時はただただ楽しいテレビだなと思って見ていました。コンビを組んでから、日村さんに「僕は将来『たけし城』みたいなものがやりたい」と話しました。

日村:超人気番組で、みんなたけしさんのことが好きだし、とにかく『たけし城』を見て盛り上がっていました。そして、“おさむ城”をやりたいと聞いていたから、『たけし城』に関わっているというのは感慨深いものがあります。

――“おさむ城”をやりたいというのは、どういうところに惹かれてやりたいなと?

設楽:こういう大きなセットや、みんなで「わ~!」ってやるような番組は、なかなかできないので、やれるものならやってみたいなと。

――当時は純粋に楽しんでいたという『たけし城』ですが、番組から影響を受けて芸人として大切にしていることがありましたら教えてください。

設楽:一生懸命やるということじゃないですかね。一生懸命やるから失敗したときに面白い。「竜神池」なんて、ケガを恐れないのかなというくらいみんなダッシュで行きますから。その一生懸命さが笑いを生み出すのだろうなと思います。

――バナナマンのお二人も一生懸命を大切に?

設楽:そうですよ! コントでもよく言ってますから。逃げようとする場面で、本気で逃げようとするヤツを抑えるから面白い。本気でやっているから面白いというのはあると思います。

日村:設楽さんが言ったことももちろんですし、当時でいうと、最後にたけしさんに挑戦できるのは本当に限られた1人ないし2人ですから、たけしさんにやっぱり会いたいですよね! 「たけしさんに会うぞ!」という、その情熱は同じようにあったと思います。

――「たけしさんに会いたい!」というのが、芸人としての一つモチベーションになっていたということですね。

日村:たぶんお笑い界の全員が、たけしさんに会いたいんじゃないですかね。「たけしさんにピコピコハンマーで叩かれたい」とか。お笑い界でいうと、芸能界のたけし城みたいなものですから。