W杯が本来の時期、ヨーロッパのシーズンが終わった後の6月から7月にかけて開催されていたら久保の代表入りは微妙だった。実際、日本を率いる森保一監督が6月を前にして久保に厳しく言及していた。曰く「タケが成長するために、ひと皮むけないといけない時期だ」と。

プロサッカー選手の多くは、自身のキャリアを短期、中期、長期に分けて設定する。久保も例外ではないが、それでもカタールW杯との距離だけは思うように縮められなかった。

「漫画の締め切りではないけど、ここではこうしておく、という目標みたいなものをサッカー人生である程度決めてきた。基本的には思い描いていた通りというか、何個かは遅れたりはしたけど、それでも予想の範疇でやってきた。ただ、いまごろは代表のスタメンで出ていなきゃいけないと考えていたなかで、今回だけは計算と合わない、と思ってしまう自分がどこかにいる」

6月の段階で弱音にも近い言葉を残していた久保が、4度のW杯優勝を誇る強豪ドイツ代表と対峙した、11月23日のグループステージ初戦で左サイドハーフとして先発した。W杯による中断前で3位につけるレアル・ソシエダで、レギュラーを射止めた軌跡がW杯をも一気に手繰り寄せた。

「中断前で3位のチームで、レギュラーで試合に出ている選手がW杯代表に選ばれないことはまずないだろうと、ある意味で楽観視していた。環境を変えたことが、今回はいい方向に転んだ。これに関しては、レアル・ソシエダというクラブが僕をいい選手にしてくれた。いろいろなポジションでプレーできるようになったし、平均値というかアベレージが上がったのかなとは自分のなかでは思っている。いい監督、いいチームメイトに恵まれたことに感謝したいですね」

10月下旬の試合中には左肩を脱臼して周囲を心配させた。それでも「でも肩だったので、別に痛くてもプレーすればいいかなと」とどこ吹く風だった久保だが、ドイツ戦ではチーム全体が攻守両面で圧倒される展開が続いたなかで、ハーフタイムに交代を告げられた。DF冨安健洋(アーセナル)が代わってピッチに立ち、システムを[4-2-3-1]から[3-4-2-1]に変わった後半。前へのプレッシャーを一気に強めた日本は猛攻を仕掛け、MF堂安律(フライブルク)、FW浅野拓磨(ボーフム)の連続ゴールで逆転に成功した。

「個人でどうこうは正直、ドイツ戦は難しかったと思う。あれはしょうがないけど、チームとして言えばどんな相手に対しても、あそこまで引いたら難しくなってしまう。この大会も前から行くチームが勝ち点を取っているし、結果論ですけど、戦ってみてのひとつ収穫なのかなと」