担当当時の小林豊氏=本人提供

――タモリさんは3カ月で終わると思っていたという『笑っていいとも!』ですが、結果として31年半という長寿番組になりました。なぜここまで続いたのか、基礎を作られたお三方はどのように見ていますか?

小林:それは基礎の力でしょう! ウソウソ(笑)。やっぱりタモさんしかないでしょう。番組が長く続くとスタッフが変わっていくんだけど、やっぱり後輩は最初にやっていた連中の真似をするのが嫌なので、自分なりにしたいと思って変えようとするんですよ。そこで変わらずにいるタモさんは、ディレクターが新しいことをやろうとすると、さっき言ったように全部受け入れるんです。そういうのが新鮮なんだろうね。その新しいことがうまくハマって、非常に定着して続いてきたということだと思います。タモさんの雲のようにふわふわ浮いているようなキャラクターの魅力が、あれだけ続けられた力として大きいと思います。

永峰:具体的に言えば、我々の頃の前半は素人さんとか、お笑いの人が中心だったのが、SMAPなど新しいジャンルのメンバーが入って来たじゃないですか。

小林:荒井(昭博プロデューサー)が入れてね。

永峰:そこでタモさんが1つ興味を感じて、次の段階に行った感じが強いんじゃないかと思いますね。

吉田:おっしゃるとおりですね。初期の『いいとも』と見比べると、後期は芸能人の出る割合がものすごく増えてるんですよ。それはSMAPであり爆笑問題であり、もう少し前に僕らが入れたダウンタウン、ウッチャンナンチャンというところもあるけど、最初はタモさんと1曜日に芸能人1人くらいですよ。だから、番組がもっとのんびりしていたのかもしれないですね。タモさんが電話で問い合わせて疑問を解決する「それ聞いてみよう」っていうコーナーでNHKに電話したことがあって、10分くらいたらい回しにされるんだけど、その様子を延々と放送してたんですから。その後、NHKに「事前に言ってもらわないと!」って怒られましたけど(笑)

小林:よくスポンサーにも電話かけてたじゃない。営業からよく怒られたもん。

吉田:その復讐で、小林さんは後に営業に行かれるわけですよね(笑)

小林:それでか! まさか営業に行くとは思わなかったもん(笑)

■「タモさんを飽きさせない」が初回からのテーマだった

小林:でもディレクターの立場からすると、視聴者が飽きちゃう番組は、やっぱり演者や僕ら作ってるほうも飽きちゃってるんですよ。『笑っていいとも!』に関しては、タモさんを飽きさせないというのが、初回からテーマとしてあったよね。それが、話題性や突発性を求めていった1つの理由かもしれない。

――コーナーもどんどん変わっていきましたよね。

小林:だから、コーナー用のセットなんて、本当に板一枚なんですよ。「もう新しいコーナーに変えるつもりじゃねえか!」みたいな(笑)。本当にコーナーを変えるのはみんな早かったですね。

初代プロデューサーの横澤彪氏=永峰氏提供

吉田:タモさんの人生訓に「反省しない」っていうのがあるじゃないですか。だからスタッフも反省しないで、嫌なことはすぐ忘れていくから、どんどん変えていくんですよね(笑)。プロデューサーも何代もいますが、一番大変だったのは2代目プロデューサーの佐藤義和さんだったと思います。横澤(彪プロデューサー)さんという“創業社長”の後をやるのはやっぱり大変で、タモさんと毎晩飲みに行ったと言ってましたから。本当は自分が飲みたかっただけかもしれませんが(笑)、まあそれはご苦労されていたらしいです。一方のタモさんも不安で、横澤さんが現場を離れる送別会のときに、ちょっと酔っぱらって「いいよなあ、タケちゃんは自由で~」って、(ビート)たけしさんに言ってたそうで(笑)。そうやって、横澤さんの個性、佐藤さんの個性、荒井ちゃんの個性と続いて、その後もプロデューサーが代わっていって、うまく変えていったことも良かったんじゃないかなと思いますね。

小林:やっぱりタモさんは順応性が高いんだろうね。

吉田:僕は後に『トリビアの泉』をやることになるんですけど、タモさんは若いディレクターが大好きなんですよ。塩谷(亮)と木村(剛)を伊豆の別荘に呼んで、ヨットに乗せたりして。やっぱり、若い人から刺激を受けたり、教えたりしていましたね。

次回予告…今こそテレビにタモリ&横澤イズムを

●小林豊
1951年生まれ、静岡県出身。専修大学卒業後、74年に制作会社・フジポニーに入社。80年に制作部門を復活させるフジテレビジョンに転籍。『欽ドン!』シリーズや『笑ってる場合ですよ!』『笑っていいとも!』『ライオンのいただきます』『所さんのただものではない!』などを担当し、92年営業局に異動。営業局長、スポーツ局長、取締役を経て、09年から19年までテレビ静岡社長を務めた。21年に旭日小綬章を受賞。

●永峰明
1954年生まれ、東京都出身。制作会社・フジポニーにアルバイトから入り、80年に制作部門を復活させたフジテレビジョンに転籍。『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも!』『冗談画報』などを担当し、89年に退社。フリーの演出家として活動し、東京NSCの講師、『キングオブコント』の審査員も務める。13年からワタナベコメディスクールの講師を務め、同事務所のライブの監修を行い、芸人育成を担当している。

●吉田正樹
1959年生まれ、兵庫県出身。東京大学卒業後、83年にフジテレビジョン入社。『笑っていいとも!』『夢で逢えたら』『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』『笑う犬の生活』『ネプリーグ』『トリビアの泉』などを制作し、編成制作局バラエティ制作センター部長、デジタルコンテンツ局デジタル企画室部長も兼務。09年にフジテレビを退職、吉田正樹事務所を設立し、ワタナベエンターテインメント会長に就任(現職)。