大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第30回「全成の確率」(脚本:三谷幸喜 演出:吉田照幸)は、政子(小池栄子)の「こんなことがいつまで続くの」というセリフが悲痛に響いた。次々消えていく鎌倉殿・頼家(金子大地)の関係者たち。今回は叔父の全成(新納慎也)が逝った。ピュアな彼の壮絶な最期もさることながら、彼を取り巻く実衣(宮澤エマ)と比企能員(佐藤二朗)の面白さも映えた回だった。

  • 『鎌倉殿の13人』比企能員役の佐藤二朗(左)と北条義時役の小栗旬

全成はもともとそれほど野心のないように見えたが、舅、つまり妻・実衣の父・時政(坂東彌十郎)の頼みで頼家に呪いをかけていた罪で討たれる。

全成の呪術が効くのは2分の1の確率。2分の1というのはとても胡散臭い。なぜなら、なんだって裏か表かどちらかだから。折しも頼家が病気で倒れたのも呪術のためかそうでないか半々である。全成が打ち首になる瞬間、雷雨が起こったことも、偶然か呪術か半々。呪術と信じて「やってくれましたねえ」と涙する実衣。彼女のセリフも、本気で呪術を信じているのか、信じたかったのかわからない。彼女は夫の呪術は効かないと思っていた。はじめて出会ったとき(第7回)、全成は嵐は起こして実衣たちを助けようとして失敗している。それが最期の最期に、同じ呪文を使って激しい嵐を呼んだ。何かと不器用な夫が、本当はすごい能力者だったのだと讃えたい、実衣の愛と意地が悲しみを一層深くした。

流罪に処されることになった全成としばしの別れを惜しむ実衣、2人がしかと抱き合う場面は、真実そのものだった。

実衣を演じる宮澤エマが、実衣が本当に生きているように見えた。鎌倉時代のお姫様というちょっと遠い人ではなく、私達と同じ感情を持った人間のように見えて、遠い鎌倉時代と今を接続した。愛情というものはいつの時代も変わらないのだなと宮澤の演技を見て感じた。やや気まずい関係になっていた姉・政子(小池栄子)に頼らざるを得なくなったとき「大丈夫、あなたはわたくしが守ります」と言われ、うれしいけれど素直に感謝できず、どうでもいい話題で茶化す。「ごめんなさい」や「ありがとう」を使わなくても心をほぐし、相手と溶け合わせることができる。それを泣き笑いで見事に表現していた。

じつに自然な演技をする宮澤とは逆に、いかにも芝居の面白さを前面に出しているのが比企能員役の佐藤二朗である。全成の死の発端は時政だが、大事(おおごと)にしたのは能員である。それもこれも比企と北条の権力争いが原因。頼家の乳母の家になったことで出世欲を増幅させた能員だったが、その頼家に土地を手放し、ほかの御家人に分け与えよと命じられ、いらだちを募らせる。

頼家の命令にむっとしつつも、にこりと笑って部屋を出ていくが廊下では「ああ~っ! ああ~っ!」と絶叫し、渦巻く負の感情を外へと大放出する。全成に実衣の身が危ないと嘘を言ってまた呪詛させようとしたときは「あ~、ああ、ああ、ああ」と芝居がかった言い方で実衣のことを強調する。このように能員をいかにも腹に一物あるクセ者として佐藤は明瞭に演じている。それも決して巨悪ではなく、やや小物的で親しみを感じるキャラになっている。

視聴者的には何を考えているわからない人物の多い『鎌倉殿』のなかで能員は唯一、わかりやすい人物である。物語のなかでは、あくまで誰も彼の真意を確信できない。第30回では「鎌倉殿のものとで悪い根を断ち切る この私が」とついに決意した義時(小栗旬)が、能員の陰謀を暴くために彼を追い込んでいった。

能員の背後に善児(梶原善)が立ち、身の危険を感じた能員が、まるで崖っぷちに立ったミステリーの犯人のように心情を思い切り吐露。これが現代劇だったら義時がボイスレコーダーで録音しているところだろうが、ここは鎌倉時代。頼家を立ち聞きさせる作戦だった。が、運悪く、頼家に異変が……。

芝居の質は違うが、宮澤も佐藤も、実衣と能員が追い詰められたときに心の内を鮮やかに演じている。『鎌倉殿』を続けて見る面白さの一つはそこにある。何を考えているかわからない人たちが退場のときに本音をさらけ出す。そしてそれは見えないときは、何かすごくおそろしいもののように思えるのだが、ふたを開けるととても素朴なものなのだ。

いよいよ、自分でなんとかしようと立ち上がった義時も、北条家家族会議のとき、まず畠山(中川大志)の肩をぽんと叩き、案を出させたあと、「この策で必ず救い出す」とまるで自分が出した案のような言い方をして、畠山が「あれ?」と首をかしげるような、素朴な行いをしている。

いま、最も純朴な人物は、泰時(坂口健太郎)と時連から改名した時房(瀬戸康史)。陰謀だらけの大人たちのなかで純粋に見える。とりわけ時房。平知康(矢柴俊博)に蹴鞠の球筋に邪念がないと言われるほどの真っ直ぐな人物。全成の人形が見つかるきっかけは、彼の蹴った玉だった。

「師匠!」→ボコ! (頭に玉が当たる)→「これは……」(こけた拍子に床下の人形を見つける)という素朴過ぎる展開。理由がわからないほど凶悪な人物を作り出すのも面白いけれど、現実の世界が何かとしんどいいまは、誰も根っこはそれほど悪くないというほうが救われる。

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