『ゴジラ』をはじめとする特撮怪獣映画で知られる東宝と、『機動戦士ガンダム』で有名なサンライズが強力タッグを組んで作り上げた映画『ガンヘッド(GUNHED)』(1989年/監督:原田眞人)は、巨大コンピューターが支配する未来の地球を舞台に、巨大ロボット「ガンヘッド」に乗り込む若者ブルックリンと仲間たちが凄絶な死闘を繰り広げる「SF特撮メカニックアクション作品」である。

元号が「昭和」から「平成」に代わってすぐ、新時代のSF特撮映画を目指して企画された本作は、後に『ゴジラVSビオランテ』(1989年)でゴジラを5年ぶりに「復活」させることになる川北紘一氏が特技監督を務め、90年代に「平成ゴジラシリーズ」「VSシリーズ」と呼ばれる平成期ゴジラの人気シリーズにも携わる優秀な特撮スタッフが結集。「平成ゴジラの原点」とでもいうべき『ガンヘッド』は、日本特撮ファンにとって忘れがたい意欲作として、33年を経た現在でもなお長く愛されている。

2022年6月15日にBlu-rayソフトが発売されると、通販サイトの「日本SF映画」売り上げランキング1位を獲得したり、コトブキヤより「ガンヘッド507・1/35スケールプラキット」の10年ぶりとなる再販が決定したり、7月8日に池袋・新文芸坐にて開催された「ガンヘッド 35mmフィルム特別上映会」では前売りチケットが即完売したりと、『ガンヘッド』への注目がふたたび高まってきている。

池袋・新文芸坐で開催された『ガンヘッド 35mmフィルム特別上映』イベントでは、『ガンヘッド』35mmフィルムに加えて、「ガンヘッド507プラキット」プロモーション映像『ガンヘッド2025』(2012年製作)や、主役のブルックリンを演じた俳優・髙嶋政宏が熱い『ガンヘッド』愛を語るコメント動画も上映された。上映後には『ガンヘッド』でイレヴンを演じた水島かおりが、近日発売予定の「ガンヘッドTシャツ」を身に着けて登壇。本作の撮影エピソードに加え、『ウルトラマンダイナ』(1997年)『仮面ライダークウガ』(2000年)に出演した当時の裏話なども語られ、平成特撮を愛するファンにとって、たいへん貴重な時間となった。

多くの『ガンヘッド』ファンがつめかけたイベントでは、劇中での名セリフ「パーティーしようか、ガンヘッド」を会場の全員でコールする一幕も見られた。

Blu-ray発売、プラモデル再販、35mmフィルム上映といったイベントが重なり、33年ぶりに特撮ファンからの熱い注目が集まった『ガンヘッド』。ここからは『ガンヘッド』特撮美術・大澤哲三氏を補佐してガンヘッドミニチュアの図面作成、ミニチュア操作、メンテナンス、そしてガンヘッドの強敵エアロ・ボットのデザインワークなど多岐にわたる作業をこなした三池敏夫氏に、『ガンヘッド』当時の特撮「川北組」がいかにして巨大ロボット同士の迫力バトルを映像化したのか、興味深い制作秘話を聞いた。

東映特撮でキャリアを積み、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年)や『シン・ゴジラ』(2016年)など多数の作品で特撮美術監督として活躍を続ける三池氏にとっても、この道数十年のベテランスタッフと若手スタッフが入り混じってよりよい映像を作り上げようと情熱を燃やした『ガンヘッド』には、強い思い入れがあるという。

  • 『ガンヘッド』のミニチュアを補修する美術スタッフ。三池氏の姿も見られる

――三池さんが『ガンヘッド』に参加された経緯から教えていただけますか。

僕は1984年に同級生の佛田洋(特撮監督)くんといっしょに九州から上京し、矢島信男(特撮監督)さんの「特撮研究所」で『超電子バイオマン』(1984年)や『宇宙刑事シャイダー』(1984年)の劇場版に参加したのが最初で、それ以来スーパー戦隊シリーズなどの特撮で美術助手をやっていたのですが、1988年に「他の撮影現場もいろいろ経験したい」という思いから特撮研究所を退所し、フリーになったんです(※2008年、特撮研究所に復帰)。やがて、日本テレビの年末時代劇スペシャル『五稜郭』(1988年/川北紘一特技監督ほか東宝特撮チームが特撮シーンの演出を担当)の特撮美術助手として参加し、その次に携わったのが『ガンヘッド』になります。川北紘一さんが特技監督を務め、そして好村直行さんが特撮美術監督を担当されると聞き、ぜひ参加したいと思いました。

――『ガンヘッド』の美術チームにはどんな方たちがいらっしゃいましたか。

好村さんは『日本沈没』(1973年)『東京湾炎上』(1975年)や『ゴジラ』(1984年)などの東宝特撮映画でずっと井上泰幸特撮美術監督の助手を務めた方で、その下に寺井雄二さん、清水剛さん、高橋勲さんがいました。さらに僕がいて、都築雄二くん、稲付正人くんも参加といった形です。今ではみんな美術デザイナーとなっている、そうそうたる面々が参加していました。ここに、川北監督からの招きを受けて大澤(哲三)さんが加わり、好村さんと大澤さんのダブル美術デザイナーという布陣で『ガンヘッド』がスタートしました。

――後の『ゴジラVSビオランテ』から始まる「平成ゴジラ」シリーズで活躍される、川北特技監督と大澤デザイナーのタッグが『ガンヘッド』から始まっているんですね。

川北さんは東宝のスタッフだけではなくて、他社でキャリアを積んだ新しい人材に参加してほしいと考えていたと思います。『帝都物語』(1988年)で東宝特大ステージに組まれた大正時代の東京街並みのミニチュアワークを観て、大澤さんの力量を認めたらしいです。

――『ガンヘッド』の特撮現場で三池さんは主にどのようなお仕事をされていたのでしょう。

最初は「ガンヘッド付き」つまりガンヘッドのミニチュア撮影に立ち会って、準備や補助、撮影で壊れた部分の補修など、一人ですべての面倒を見ていました。ガンヘッドは直立モード、戦車モード、坑道モードに変形する設定ですが、ミニチュアは直立モードと戦車モードのみ。坑道モードは直立モードを改造したもので撮影をしています。操演助手の香取康修さんが卓越した技術を持った方で、パーツを分解して走行モードから直立モードに変形するギミックを作ってくれました。ガンヘッドは人間が入る「着ぐるみ」タイプ(縮尺1/3)があり、その図面やひな形も作りました。途中から大澤さんに「敵のエアロ・ボットもやってくれ」と言われ、最終的なデザイン作業からミニチュアの図面まで全般を任されました。エアロ・ボットはガンヘッドよりかなり大きいロボットで、エアシリンダー内蔵でアームなどの各パーツが動き、フロンガスの噴射ギミックがあり、ゆっくりではありますが自走もするミニチュアです。操演の松本光司さんがエアロ・ボットのことを「怪獣」と呼んでいたのを思い出します。「おーい、怪獣もってこい!」って(笑)。

――『ガンヘッド』特撮現場での思い出を聞かせてください。

『ガンヘッド』はそれまでの伝統的な「東宝特撮」に、新しい流れを汲み込んだ記念碑的な作品だったと思います。たとえば以前の作品なら、まずセットをステージいっぱいに作り込み、そこからカメラアングルを決めるというやり方でした。そのため、狙いたいアングルがあるのにカメラが置けない、みたいなことがありました。どうしてもここから撮りたいってときには、セットの一部を解体しなければなりませんから能率は悪いです。『ガンヘッド』では大澤さんのアイデアで、セットの壁は分割で作って別のセットで組み替えて使いまわしています。ですからカメラがセットの中に入る自由度も大きいわけです。この手法はとても合理的で、僕が「平成ガメラ」や「ゴジラ」の特撮美術をやったときもセットを移動可能にして、どこにでもカメラを入れられるように心がけました。それからほとんど屋内の話(カイロンドーム内が主な舞台)なので、画面が似たようなイメージにならないよう、セットデザインや撮り方、ライティングなどを工夫して、なるべくいろいろな場所を移動している風に見せようと、あの手この手を尽くしていました。

――特技監督・川北紘一さんの演出についてどう思われますか。

本格的に川北監督とご一緒したのが『ガンヘッド』でした。川北監督は円谷英二監督や中野昭慶監督の下で経験を積み、操演や特殊効果の長所、短所が頭に入っているし、合成部での経験もあるので、どういう方法論を用いればどういう映像が撮れるか熟知していました。ですから撮影手法の打ち合わせは具体的で現場での指示は的確でしたね。やりながら試行錯誤するというようなことはほとんどなくて、時間がかかっても苦労しただけの映像は撮れていたと思います。それに川北さん自身、手先が器用なのでミニチュアの塗装とか補修とか、いろいろと美術の作業も手を出すんですよ(笑)。監督の椅子にどっしり座って待っているタイプのひとではありませんでしたね。『ガンヘッド』の映像を見ると、あのころCGなしでよくここまでの映像が作れたなと、改めて驚きます。あの当時の日本特撮の最高峰と言っていいでしょう。メカ描写にこだわりがある監督でしたから、『ガンヘッド』は川北さんの方向性がバッチリはまっていた作品でしたね。

――もしふたたび『ガンヘッド』的な巨大ロボットアクション映画を作るなら、三池さんとしてはどんなことをやってみたいですか?

巨大ロボットのキャラクターを際立たせるためには、もっとわかりやすい「手足」があったほうがいい気がしますね。でも『ガンヘッド』の世界観で、目と鼻がある「トランスフォーマー」のロボみたいなのが出てきたら、違和感があるかな(笑)。当時は、せっかくサンライズが東宝と組んで実写ロボットを作るんだから、スマートな人型ロボットのほうがいいんじゃないのって、少し思っていました。でも、人型で『ガンヘッド』をやっていたら、川北監督のこだわりでは撮影が終わらなかったかもしれませんね(笑)。

プロフィール
三池敏夫(みいけ・としお) 美術監督。

1961年熊本県出身。1984年、九州大学工学部卒業後「特撮研究所」に入社。同級生の佛田洋(特撮監督/特撮研究所代表)と共に矢島信男(特撮監督)に師事し、「メタルヒーロー」「スーパー戦隊」シリーズを手がけたほか『ガンヘッド』(1988年/特殊美術助手)、『ゴジラVSビオランテ』(1989年/操演助手)『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年/特撮美術)など多くの作品で活躍している。角川『大魔神カノン』(2010年)円谷プロ『ウルトラマンサーガ』(2012年)では特技監督を務めた。

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