映画『シン・ウルトラマン』(総監修・企画・脚本ほか:庵野秀明、監督:樋口真嗣)の大ヒットを記念し、かつて庵野秀明氏が手がけたアマチュアフィルム版『ウルトラマン』2作の上映会が7月1日、新宿バルト9にて開催された。
上映作品は、『ウルトラマン(庵野秀明自主制作版)』(1980年/3分)と『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』(1983年/27分)の2作品。上映後には、『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』で特技監督を務めた赤井孝美氏と制作進行を務めた神村靖宏氏によるトークショーが開催され、『シン・ウルトラマン』の原点というべき「伝説の8mmフィルム作品」に触れた特撮ファンたちの興奮を誘う、数々の貴重なトークが繰り広げられた。
3分の短編『ウルトラマン(庵野秀明自主制作版)』(1980年)は、庵野氏が大阪藝術大学映像計画学科在籍中、課題提出用に作った8mmフィルム作品。「空地でジャージを着た大学生2人がウルトラマンと宇宙人になりきって戦う」といったシンプルな内容ながら、空想特撮シリーズ『ウルトラマン』(1966年)の黄金フォーマットというべき「敵の出現→隊員が変身→ウルトラマン登場→戦い→勝利」を踏襲した上、スローモーションによる重量感の再現、スペシウム光線をはじめとする作画合成、劇中効果音、BGMの使い方も巧みで、良質のパロディ作品に仕上がっている。この時点で「庵野秀明氏自身が素面のままウルトラマンを演じる」という、後の『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』にも活かされる奇抜なアイデアが生まれていた。
1983年に発表された『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』(総監督:庵野秀明/特技監督:赤井孝美)は、1981年に大阪で開催された「第20回日本SF大会(DAICON III)」のオープニングアニメの製作メンバーを中心とする自主映画制作集団「DAICON FILM」が作り上げた8mmフィルム作品。自主映画としては長編というべき27分の大作で、そもそもの発想は『ウルトラマン(庵野秀明自主制作版)』での「庵野ウルトラマン」を、とてつもなくシリアスなストーリーと、本格的な特撮を駆使してリメイクするところから始まっている。庵野氏が素面のまま演じるウルトラマンが“帰ってきた”ため、本作は『帰ってきたウルトラマン』と題されたのであった。
2作品の上映終了後、『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』で特技監督(特撮演出)を務めた赤井孝美氏(アニメプロデューサー)と、制作進行を務めた神村靖宏氏(グラウンドワークス代表)が登壇し、三好寛氏(アニメ特撮アーカイブ機構/カラー)による司会進行でトークイベントが始まった。
赤井孝美氏は大阪芸大時代から庵野氏と組んで作品を制作し『ウルトラマン(庵野秀明自主制作版)』にも深く関わっていた。赤井氏は『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』当時をふりかえり「あのころ、大阪(のSF&特撮ファン)は東京への対抗心がすごかった。大阪大会のDAICON IIIの翌々年(1983年)にはDAICON IVが決まっており、その宣伝のため1982年のTOCON(東京大会)で何か作品を作って上映しようということになり、この年の4月に『愛国戦隊大日本』や『快傑のーてんき』と一緒に企画されたのが『帰ってきたウルトラマン』でした」と、作品制作の背景を語った。
制作進行を務めた神村靖宏氏は『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』について「あまりにも制作に時間がかかりすぎてTOCONでの上映が間に合わず、先に『愛国戦隊大日本』(監督:赤井孝美)を完成させてからもう一度がんばろうということで、中断期間を含め8ヶ月ほどかけて完成し、83年3月に上映することができました」と、当初は「庵野ウルトラマン」がクライマックスに出てくることでそれまでのシリアスすぎるストーリーからのギャップによる「笑い」を起こそうという企画だったのが、結果的に異様なまでの力が込められた、アマチュア映画として破格のクオリティを備える特撮映画が誕生したことを明かした。
司会進行を務めたアニメ特撮アーカイブ機構(略称:ATAC)の三好寛氏は、「コスパ」より限定販売された「ウルトラマン」風ジャケットを着用して登壇し、会場のファンを沸かせた。横には『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』で主人公のハヤカワ隊員が着用していたMAT隊員服(実物)が展示されている。
赤井・神村両氏は『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』メイキングスナップのスライド映写を見ながら、撮影当時の思い出を語り合った。
こちらは怪獣攻撃隊「MATチーム」の隊員集合写真。隊員服はジャージをベースに作られ、ガレージキットのノウハウ(バキュームフォーム)を活かして作られたバッジなどの装飾によってリアリティをかもしだしている。
MAT本部のミニチュアセット。本作で使用されているミニチュアセットは。軽量かつ加工のしやすい「紙」が主な材料として使われている。赤井氏は「アマチュアの僕らには映画照明の技術がなかったので、ライティングは何かと『太陽光』頼みでした。MAT基地は淀川の堤防の上に置いて撮っています」と撮影裏話を明かした。巨大な物体を人間の視点で「見上げる」アングルを多用しているため自然光が最大の効果を発揮し、非常にリアルな映像ができあがっていることがわかる。
緻密に作られた民家のミニチュア。赤井氏はバキューフォームで作られたこの「屋根瓦」のあまりのリアルさに「最初見たとき感動しました」と語った。この民家のミニチュアがつい最近発見され、2022年7月8日から山口県立美術館で開催される「庵野秀明展」で展示されることが、なんとこの場で判明。東京展や大阪展では見られなかった展示物が今後また日の目を見るかもしれないと、三好氏が大いに期待を煽った。
マットアロー、そしてマットジャイロのミニチュア群。製作を手がけたのは、現在も造型・美術の第一人者として活躍を続ける三枝徹氏。『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』では戦闘機などのメカニックのミニチュアを三枝氏が、コクピットやMAT作戦室、コンピュータパネルといった大道具類を米良健一郎氏が作った。赤井氏は「庵野くんは常々、ウルトラマンシリーズではウルトラマンと戦闘機の対比がいいかげんな場合が多かったと言っていて、本作では1/24くらいの大きな戦闘機を作ることにこだわっていた。それとは別に、操演のしやすい小さなミニチュアなど、数種類を作った」と庵野氏の厳しいリアリズムへのこだわりを回想した。
『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』でその力を存分に発揮した8mmフィルムカメラ「フジカZC1000」を用いての撮影風景。80年代当時の自主制作映画ファンの憧れといえる名機ZC1000は当時の価格で20数万。赤井氏も「4年ローンを組んで購入した」と語るほどの高価格であった。3倍の高速度撮影(スローモーション)機能、コマ撮り機能、逆転撮影機能があるほか、フィルムカウンターが搭載されてフィルムの巻き戻し・早送りが可能(これによって、二重露光による合成カットを撮ることができる)という、特撮映画に憧れる若者にとってはまさに「夢」をかたちにするために力を貸してくれるカメラだったといえる。ちなみに、当時DAICON FILMにはこのZC1000が3台準備されていたという。
増殖怪獣バグジュエル・スーツの製作スナップ。下半身の試着をしているのが、若き日の赤井氏である。ボディはウレタンとラテックス製で、顔の先端や背中のヒレなどはプラスチックを用いてシャープさを出している。正月休みを利用して郷里の鳥取県米子市に帰省した赤井氏が実家でスーツ製作にあたっていたが、ラテックスの溶剤(アンモニア)が強烈な臭いを放って大変だったそうだ。
カメラを構える赤井氏とバグジュエルの記念写真。バグジュエルとMATチームの戦闘や、ウルトラマンとのアクションシーンでは、2週間にわたる米子ロケ撮影が行なわれた。怪獣の巨大感、リアル感を出すため、赤井氏は地面にはいつくばってカメラを回しており、その苦闘のようすはメイキングビデオやスナップにしっかりと記録されている。
庵野ウルトラマンが「ウルトラスラッシュ(八つ裂き光輪)」を発射するシーンは、10数枚もの発射モーションの分解写真を撮り、そこに透過光によるアニメーションをはめこんで撮影された。光輪をはじめ、バグジュエルのバリヤー、スペシウム光線などの作画は庵野氏が手がけている。
飛び去っていくウルトラマンの撮影メイキング。こちらもカメラケースの上で飛行ポーズを取る庵野氏の姿を写真に撮り、実景の空を二重露光で合成した映像が使用された。カメラを向けた数秒間とはいえ、支えのない状態でこの体勢を維持していた庵野氏の背筋力の強さに驚かされる。
今回の『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』は8mmフィルム作品でありながら、劇場の大スクリーンでの上映に耐えられるほどの高画質、高音質だった。これについては神村氏から「実は、比較的最近、マスターの8mmフィルムが発見されまして、これを東京現像所さんに持ち込んで、2Kリマスターにしていただいたんです」と、東宝怪獣シリーズや黒澤明監督作品などのデジタルリマスターを手がけている東京現像所スタッフの技術によって見事に作品が生まれ変わった経緯が明かされた。今回のデジタル2Kリマスター『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』、リクエストがたくさんあればぜひ「映像ソフト」にして発売したいと3氏は熱望しており、客席のファンたちもみな、力強い賛同の拍手を惜しみなく浴びせていた。
赤井氏は最後に「当時の作品をじっくりと観たのは久しぶり。いろいろと苦労しましたが、このような映画の製作を許してくれたまわりの環境や、時代に感謝します。今日は客席に集まってくれたみなさんと同じ時間を過ごすことができて嬉しかったです」と万感の思いを込めて挨拶。神村氏は「DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマンには、『美術』で参加した人たちが異様に多い。みんな自主映画を作っているのなら『俺も俺も』と手伝ってくれたんです。彼らをはじめとする大勢の人たちが、庵野さんや赤井さんたちにパワーを与えてくれた。稀有なフィルムだと思います。これからも大勢の人に観てもらいたい」と、40年前に「自分たちで特撮映画を作ろう」と熱意を燃やしたアマチュアスタッフの心意気が焼き付けられている本作への、変わらぬ愛着を示して挨拶した。 三好氏は「今回の作品をはじめとする映像や、作品で使われた貴重なミニチュアなどを後世に残す目的で、庵野秀明が立ち上げたNPOが『アニメ特撮アーカイブ機構(ATAC)』です。これからもずっと活動を続け、みなさんに楽しんでもらえる機会を作っていこうと思います」と力強く語り、特撮ファン、アニメファンの方々に熱い応援を呼びかけた。
『シン・ウルトラマン』では、初代ウルトラマンを演じた俳優・古谷敏氏と共に、庵野秀明氏も「モーションアクター」を担当。イベント終了後には、映画序盤でウルトラマンがスペシウム光線を発射する場面のメイキング映像がスクリーンに映し出され、『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』のころから変わらぬ庵野氏の「ウルトラマン演技」への強い思いをうかがうことができた。
空想特撮映画『シン・ウルトラマン』はただいま全国劇場にて公開中。
(C)円谷プロ (C)DAICON FILM (C)2022「シン・ウルトラマン」製作委員会