日本テレビ系ドキュメンタリー番組『NNNドキュメント’22』(毎週日曜24:55~)では、“原爆の子の像”のモデルになった少女の生涯を伝える人々を追った『禎子さんの折り鶴 千羽になったら願いが叶うんよ』(広島テレビ制作)を、きょう31日に放送する。
広島市の平和公園にある“原爆の子の像”のモデルとなったのは、2歳で被爆した少女・佐々木禎子さん。禎子さんの2歳上の兄・雅弘さん(80)とは仲の良い兄妹で、雅弘さんは「禎子はしっかりものだった」と語る。
雅弘さんは「禎子の“思いやりの心”を伝えたい」と、禎子さんが折った鶴の寄贈や証言活動などを続けている。心臓を2度手術するなど通院が欠かせないが、「まだやらないといけないことがたくさんある」と、決して歩みを止めない。ウクライナ侵攻が起き、その思いは強くなっている。
息子・祐滋さんと禎子さんのドキュメンタリーを作る雅弘さんだが、禎子さんについて口を閉ざした時期があった。
禎子さんは2歳のとき、自宅で祖母・母・兄とともに被爆。ケガはなく、元気にすくすく成長した。小学校の同級生で親友の川野登美子さんによると、禎子さんはクラスの男子から「サル」と呼ばれるほど、足が速かったという。しかし小学6年の冬、突然学校に来なくなった。お見舞いに行くと、「中学校に行きたい」と言う禎子さん。胸が苦しくなる気持ちと、「自分も白血病になるのでは…」という不安に襲われた。
そんな禎子さんは病室で鶴を折り続けた。「千羽折ると願いが叶う」と知ったからだ。「病気が治りますように」「家に帰れますように」「お父ちゃんの借金がなくなりますように」…。1,000羽以上の鶴を亡くなる直前まで折ったが、願いは届かなかった。父・繁夫さんは、十分な治療を受けさせられなかったことをずっと悔やんだ。
苦痛に耐えながら、周りへの思いやりを忘れなかった禎子さんの“折り鶴”に込められた祈りを今こそ世界にと、安芸郡府中町の高校では、禎子さんの生涯を題材にした紙芝居を英語で8月6日に平和公園で披露しようと、練習を重ねている。今の子どもたちが禎子さんから何を感じ、そして伝えたいこととは…。
ナレーションは、吉川晃司が担当する。