大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第26回「悲しむ前に」(脚本:三谷幸喜 演出:保坂慶太)では、源頼朝(大泉洋)が静かに亡くなった。大きな喪失のなかで政子(小池栄子)と義時(小栗旬)がこの先のことを決意する場面にSNSでは感動の声が溢れた。が、このレビューではあえて素直に悲しまず、サブタイトル「悲しむ前に」ではないが、政子と義時の心情を推測する。

  • 『鎌倉殿の13人』第26回の場面写真

第25回で仏事(橋供養)の帰り馬から落ちた頼朝はそのまま目覚めることはなかった。正確にいえば一度目覚め、起き出したところを政子だけが目撃している。そのとき頼朝は「これは何ですか?」と政子とはじめて会ったときと同じことを言う。第1回で皿にのった果物を見て「これは何ですか?」という問いに答えずやけにしなを作っている政子がユーモラスだったとき、まさかこんな悲しい別れの場面と繋がるとは思いもよらなかったから、ふいをつかれて泣けるエピソードである。

『鎌倉殿』を三谷幸喜氏は『吾妻鏡』を原作のつもりで書いているそうだ。『吾妻鏡』は北条家に都合がいいように書いた記録であり、そのコンセプトも込みで三谷氏が創作しているとしたら油断はならない。頼朝が亡くなった部分は『吾妻鏡』の記録が欠落しているため三谷氏が存分に創作しているようだ。そこで気になるのは政子が用意した果物。政子は「はじめてあのかたにお会いしたときお出ししたの」と言っている。が、1話を見返すと、宗時(片岡愛之助)が実衣(宮澤エマ)に頼朝に持っていくようにと託した果物を政子が横取りしているのである。実衣はそれを忘れてしまっているようだし(きっと興味がないだろうから)、政子はいいふうに言い換えてしまっている。とはいえ政子が作為的に記憶を改ざんしたとは言い切れない。人間誰しも記憶が曖昧になり、自分にいいようにすり替えてしまうことはあるものだから。

少なくとも政子の悲しみは偽りではないだろう。問題は義時である。頼朝に献身的に仕えてきた彼は、自分の役目は終わったと涙ながらに鎌倉を離れる意思を政子に伝える。いろいろあって涙も枯れたはずの義時が久しぶりに泣いている。いや、これまでで一番、泣いているような気さえする。観た瞬間はそれだけ頼朝が好きだったんだなあとじんわりしたのだけれど、よくよく考えると、息子も大きくなりもういい年齢の義時が涙をぬぐうまでして泣いているのが気にかかる。いままでの義時は涙を堪えたいけれど意に反して出てしまうという印象だったから、今回はもしかして演技? と疑ってしまった。

このようにひねくれた見方になるわけは、『鎌倉殿』の世界はつねに靄がかかっているように感じるからだ。『吾妻鏡』が抜けの部分やほかの記録と違う部分などまだらな印象を覚えることと同じで。カメラがしょっちゅう、誰かがしゃべっているときに誰かのピントをぼかしていることもそのまだら感を強くしている。

誰もが本音を隠して周囲を伺いながら生き残るためには誰かを陥れ事実を隠蔽することも厭わない。頼朝が死んでも悲しむ者は少なく、次の鎌倉殿を誰にするか、息子の頼家(金子大地)か、弟の全成(新納慎也)か、それによって大きく変わる自分たちの立場を心配するばかり。時政(坂東彌十郎)はりく(宮沢りえ)の口車に乗せられ全成派に。実衣も次の御台所になる気満々で政子への態度を豹変させる。

地位と権力が人を変える。この状況で、唯一、まったく欲を見せないのが義時である(安達盛長もだけれど)。欲を見せると敵に狙われる。政子に頼まれてしぶしぶ政子を助ける決意を固めるとなれば、要らない敵は生まれない。力ある者たちが粛清されたところを目の当たりにしている義時が用心深くなってもおかしくはないはずだ。

例えば、この回、義時は北条と比企の関係に気を使い三浦義村(山本耕史)に頼み事をすると、義村はその頼みを頼朝が考えたことにしてくれと言う。それならどこからも文句が出ないからだ。『鎌倉殿』の世界では誰もができるだけ責任を回避しようと表向きは矢面に立たないように振る舞う。真の勝者は人知れず有利に運ぶ者である。だからこそ、義時が唯一、誠実ないい人だったでは面白くない気もして、あえての義時嘘泣き説を唱えたい。

ドラマの最終回で映像が『カメラを止めるな!』のように巻き戻って、数々の局面でこのとき実は――という答え合わせがあるのではないかと想像してしまう。

逆にこれまでとことん俗っぽく、多くの命を無慈悲に奪ってきた頼朝が、比企尼(草笛光子)にもらい3歳の頃から髻のなかに大事にしまっていた小さな観音様を、第24回で、挙兵のとき甘く見られないため捨てた(第5回で確かに洞窟に置いている)と語ったことは嘘で、いまだに大事に持っていたことがわかる。誰が洞窟から取り戻したのか、安達盛長(野添義弘)だろうか。それとも本人だろうか。

源頼朝という人間は、小さな観音像そのもののように実に繊細だったのではないか。そして幽閉された少年のまま時が止まっていた彼をまわりがよってたかって強大に見せていただけなのではないかとさえ思えてくる。あの観音像だけが、嘘が渦巻く第26回の真実なのではなかったか。

それと、もうひとつの真実は、太郎(頼時、のちの泰時/坂口健太郎)が見つけた頼朝の落馬の真実。馬に振り落とされるという不名誉ではなく、落馬する前に意識を失っていたということ。頼朝の名誉を太郎が突き止めたところに希望がある。太郎、名推理の巻あった。SNSでも「頼時の名推理!」「名推理頼時くん」「泰時の推理力すごい」といった声が上がった。

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