「フェイクマナー」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。その言葉が意味するのは、文字どおり「偽のマナー」です。

  • 訪問先で出された「お茶を飲む? 飲まない?」ビジネスマナーの"うそほんと" /クロネコキューブ代表取締役・岡田充弘

ところが、このフェイクマナーが厄介なのは、「正しいマナーだと信じている人もいる」点にあるというのは、書籍『ビジネスマナーと仕事の基本ゆる図鑑』(宝島社)を監修したクロネコキューブ株式会社代表取締役の岡田充弘さん。フェイクマナーについて、実際のビジネスの場ではどう扱えばいいのでしょうか。

■目上の人に「了解いたしました」は失礼?

みなさんは、以下のようなことがマナー違反だと見聞きしたことはありませんか?

【本当にマナー違反?】
・目上の人に対する「了解いたしました」はマナー違反
・訪問先で出されたお茶を飲むのはマナー違反
・とっくりの注ぎ口を使うのはマナー違反

これらは、いわゆる「フェイクマナー」と呼ばれるもので、その名のとおり「偽のマナー」です。

たとえば、「目上の人に対して『了解いたしました』というのは敬意を欠くため、『承知いたしました』というべき」というのは、近年、急にビジネスマナーとして広まったものです。そのはじまりは、2000年代後半に出版された、メール文章力を高めることをうたった1冊の書籍でした。このことが各種メディアで取り上げられるなどして、いつの間にかマナーとして認識する人が増えたということに過ぎません。

当然ながら、それ以前の現実のビジネスシーンはもちろん、ドラマや映画といった作品のなかでも、部下が上司など目上の人に対して「了解」という言葉を使っている場面はいくらでもありました。

当然ながら、ほんの十数年前にたった1冊の書籍によってマナーとされたものは、本来のマナーとはいえないものです。残りのふたつのフェイクマナーについても、近年、突然マナーだといわれはじめたものであり、これらも本来のマナーとはいえないものでしょう。

■フェイクマナーも、信じている人にとってはすでにマナー

ところが、このフェイクマナーが厄介なのは、「フェイクマナーをフェイクだと知らないまま正しいマナーとして信じている」人も少なくないという点にあります。

フェイクニュースが問題視されていることにも通じますが、インターネットが完全に浸透したいまは、たとえ偽のマナーだとしてもインターネットを通じてあっという間に拡散し、フェイクマナーをフェイクだと知らないまま正しいマナーとして信じる人がどんどん増えてしまうのです。

そう考えると、フェイクマナーをフェイクなのだと認識しつつも、そのフェイクマナーが完全に浸透している組織の人と接するような場合には、それはもはやマナーとして意識するようなことも必要なのかもしれません。

「ところ変わればマナーも変わる」ではありませんが、いわば、ちがう文化を持つ外国人と接するようなイメージでしょうか。

左手を「不浄」のものだと考えるインドでは、左手で握手を求めることやものを渡すことはご法度とされています。中国では、会食に招かれたときに出された食事を残すことがマナーです。日本人なら、「食事が口に合わなかったと相手に思わせたら失礼だ」と考え、残さず食べようと考えますよね? でも中国では、「こんなに美味しいものをたくさん用意していただいたので、とても食べ切れません」という意味で、食べ物を残して感謝を表します。

それと同じように、たとえフェイクマナーだったとしても、それを信じている人にとってはすでにマナーになっているのですから、それに合わせることも大切だということです。

そう考えると、なにより「相手を知ろうとする」ことこそが、フェイクマナーの罠ともいうべきものに陥らないためのいちばんの方法といえるかもしれません。

なぜなら、マナーの本質とは「相手に対するリスペクト」だからです。単純に「これはフェイクマナーなのだから、実践しなくていい」と考えるのではなく、目の前の相手がなにをマナーだと思っているのかということに注目し、そのマナーを学び実践することで相手に対して最大限のリスペクトを表すことこそがベストの選択なのではないでしょうか。

■産業の在り方に合わせてビジネスマナーもどんどん変化する

その姿勢は、時代の変化に対応していくことにもつながるでしょう。時代の変化のスピードがどんどん速まっているいま、ビジネスマナーも大きく変わりつつあるとわたしは感じています。それは、ビジネスが置かれている状況の変化によるものです。

これまでの日本の自動車産業の場合であれば、自動車メーカーと数多くの子会社や元請けに下請け、孫請けの会社というピラミッド構造にありました。そのため、そのトップにある自動車メーカーとその他の会社の関係は完全な主従関係です。戦国時代でいえば絶対に逆らえない殿様と家臣のような関係のなかで、知らない人から見るとよくわからない「お作法」のようなビジネスマナーが重視されてきたのでしょう。

でも、いまは時代がまったくちがいますよね? これまでになかったような高度な電気自動車をつくるという際に、子会社や下請けの会社などでは対応できないということもあって当然です。その開発に欠かせない重要なパーツは、海外の会社にしかつくれないということもあるかもしれません。

そうなると、メーカーとサプライヤーの関係はこれまでのようなピラミッド構造にはならずフラットなものとなるのですから、そのあいだにあるビジネスマナーも変わってくるわけです。

ビジネスマナーとは、産業の在り方が規定するものなのだと思います。その産業の在り方がどんどん変化している時代なのですから、それに伴ってビジネスマナーも変わっていくのでしょう。もしかしたら、いまはフェイクマナーといわれているものもマナーとして定着していくということもあるかもしれません。

そのときに大切になるのは、その変化に合わせられる柔軟性を持つことであり、目の前の相手をよく見てその相手をしっかりとリスペクトすることです。相手がちがえば、ちがう思いやりやおもてなしの手段があるのだということを忘れないでください。

構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/清家茂樹 写真/石塚雅人