お笑いコンビ・ピースで活躍しながら、小説『火花』で芥川賞を受賞した作家でもある又吉直樹さん。このほど、2019年に発表した長編小説『人間』に加筆を行い、4月21日、文庫版に生まれ変わる。本書の語り手は、執筆当時の又吉さんと同じ38歳。何者かになることを夢見た青春時代と何者にもなれなかった現在の、挫折や痛みを描きながら、寛容に至るさまが印象的だ。

お笑い芸人と執筆活動を両立させ、コンスタントに作品を発表し続ける原動力はどこにあるのだろう。今回は、発売に先立ち、本書や社会に込めた思いについて話を聞いた。

  • 加筆を行い、文庫版に生まれ変わる又吉直樹さん著書『人間』

    加筆を行い、文庫版に生まれ変わる又吉直樹さん著書『人間』

現代の社会を舞台に小説を書くなら主人公を敗北者に

――『人間』とは壮大なタイトルで、内容もリアルですが、書いていて楽しい、苦しいといった心の動きはありましたか?

人間というは簡単には語れないものなので、物語としてどう表現するかを追求したのがこの作品です。執筆しながら編集者の方に感想をいただいて考え直し、といったことはしますが、人に命令されて何かを作ったりすることはないですね。

また、作業をしていて一切負荷がかかっていなくて、緊張も精神的な弛緩もない状態を「楽しい」とするなら、あまりそういうのは楽しいとは思いませんね。無駄とまで言わないですが、そういう時間は何もしていないことに等しいなと思うので、ある程度負荷があってしんどいなって思う作業をしている状態の方が充実感はあります。

――コロナ禍に戦争と、不穏な情勢ですが、心境や作風に変化がありましたか?

僕の場合はあんまり変わらないかもしれないですね。自分の人生の軸があり、そのために本を書くという感じです。物語はすでにあって、既刊の単行本から今に至るまでに新しく掘り起こせた部分を書き足す感じでした。

コロナ禍で時間ができ、思春期以来最も時間があるという状態になったんですが、その時間がそのまま仕事に当てられるわけではないんだな、と気づきました。それまでに見たもの、感じたことはそのまま作品にしませんが、必要な経験だったと思います。

  • 主人公を敗北者に設定した理由

    最近は早めに起きて朝作業、感情的な部分を出すのは夜、それを整理するのは朝というように時間の使い方を変えているそう

――『人間』では、社会的に評価されない人や人間の苦悩を描いていますよね。

元気だけが評価される世界なら僕は芸人にもなれていないと思います。芸人の世界は、明るい人もいれば暗い人もいてというのがすごくいいんですよね。

たとえば、40人のクラスがあって、全員明るかったらもう暮らしていけないでしょ?みんな同じ性格だったら、半日で日本が終わってしまいますよ(笑)。企業が求める人材というのは存在すると思いますが、全員がそうなるのは不可能ですよね。

芸人の世界もそうですけど、スターはわずか数人で、敗北感を感じている人間の方が圧倒的に多いんですよね。だから、「苦しみを乗り越えて成功しました」という話って、0.1%とかで。現代の社会を舞台に小説を書くなら、主人公は敗北者であるべきだと思っています。

失敗や挫折を通して自分の適性を見つける

――又吉さんご自身の挫折体験は何でしょう?

バイトの面接で10回以上落ちたことですかね。「元気ないね」と言われて。生活に関わるから、絶対に受かりたい面接では、一番きれいなシャツを着て挑んだのですが落ちたんです。受かったのは、すごく丁寧に仕事をするインド人の留学生でした。僕は「日本語が喋れる」という圧倒的なアドバンテージがありながら落ちたのかと(笑)

でも、「絶対受かってやろう」という気持ちではなく、普段のテンションのまま行って、それで受かれば普段のままできます。元気なフリをして面接に受かったら、元気よくやり続けないといけないですよね。

一般の就職活動でいえば、面接では普段以上に自分を素敵に見せなければいけないのでしょうね。誰からも好かれて、面接なんて全部受かっちゃうといった人がいたら、いつかとんでもない大事故が起こる可能性があります。失敗や挫折を通して自分の適性がわかれば、時間をどう使うべきか、だんだんわかってくると思います。

  • 又吉さん自身の挫折経験は、バイトの面接10回以上落ちたことだと話す

    周辺のコンビニを片っ端から周り、人の出入りが少ないコンビニの面接を受けたそうで、「力を注ぐところが違いますよね(笑)」と青春時代のエピソードも語ってくれた

――失敗や挫折をすれば、傷つきますよね。

納得できる部分もありますし、ちゃんと傷つきますよね。でも、失敗なんて人生のズレではなくて、むしろ王道。失敗も形になっていくものなので、焦らなくてもいいとも思いますし。ただ、「失敗しても大丈夫」と悟りきっているのも違うと思います。失敗の概念自体が崩れて、その人の力にならないので、ある程度失敗は失敗として受け止めないといけない部分もあるかと。

でも、採用する側には、「元気がなくても頑張る人なのかもしれないな」といった視点でも見てほしいですよね。

社会には矛盾とか複雑さが間違いなくある

――最後に、これから社会で新たな経験や挑戦していく人たちに向けてメッセージをお願いします。

年取った人間が、これから頑張る人に言えることって実はあんまりありません。本人が「頑張ろう」と思っているならそれが一番正しくて、それだけで十分。やる気のないまま突入してもうまくいきませんし、その「うまくいかない」を経験するまで、他者の言葉は絶対響きません。思うようにやってうまくいけばそれでいいし、ダメだったらやり方を変えればいいんじゃないですかね。

自分も、「俺も若い頃そうだったわ」とか「そんな悩み大人になったらどうでもよくなる」とか言われるのが嫌だったというのもあります。そういう言葉って、若者のための言葉じゃなくて、「若者のために言っているという立場」を利用した大人の充実度を増すための言葉なんですよね。

社会には矛盾とか複雑さが間違いなくあるので、好きなようにするのが一番だと思いますね。かつての日本だと、就職後はこういう人生を歩むよね、という定番ストーリーがありましたが、崩れかかっています。かといって転職してもキャリアをそのまま引き継いでいける人は一握り。それは若者の責任ではないし、社会全体、我々やもっと上の世代がシステムそのものを考えていかないといけないですよね。

  • 『人間』では、社会的に評価されない人や人間の苦悩を描いている

本書のカバーは、『火花』で装画を担当した西川美穂さんが手がけたそうだ。さらに、文庫発売を記念して、動画プロジェクトをスタート。又吉さんがリスペクトする「きのこ帝国」(2019年に活動休止)の佐藤千亜妃さんと小説のテーマソングも作成するという。又吉さんのYouTube「ピース又吉直樹【渦】公式チャンネル」でその制作過程を追い、4月20日の第1回配信を皮切りに随時更新していくとのこと。ぜひそちらも注目してほしい。

小説『人間』のテーマソングを作る!佐藤千亜妃とのコラボプロジェクト始動!又吉初の作詞に挑戦!?文庫化記念スペシャル対談【# 1人間プロジェクト】

書籍『人間』(KADOKAWA)

2020年に発表した初の長編小説『人間』に、単行本では描かれなかった新たなエピソードを加えて文庫化。又吉直樹著、価格は924円(本体840円+税)。