JR貨物は3月29日、公式Twitterにて電気機関車EF67形のラストランを報告した。同機は山陽本線瀬野~八本松間、通称「セノハチ」において、重量の多い長大編成の貨物列車を後押しする機関車だった。40年にわたり物流を支えた「名優」がついに去った。

  • JR貨物の電気機関車EF67形。直流機に赤い塗装は珍しかった

残念ながら、鉄道ファン向けのイベントはなかった。しかし、中国新聞電子版などの報道によると、広島貨物ターミナル駅で引退式典が行われ、同機に関わってきた運転士ら職員がねぎらい、最終運行が行われたという。

EF67形は最盛期、8両で任務に就いていた。ひとつ前の形式であるEF66形は流線型で、国鉄の電気機関車としては斬新な姿だった。これに対し、EF67形は箱型車体に戻った。その理由は、新製ではなく、箱型車体のEF60形・EF65形を改造した機関車だったから。EF67形1~3号機はEF60形からの改造で、国鉄時代の1982(昭和57)年に運用開始。EF67形101~105号機はEF65形からの改造で、JR貨物発足後の1990(平成7)年に運用開始した。

  • EF60形から改造されたEF67形3号機(奥)、EF65形から改造されたEF67形105号機が並ぶ

EF67形の最後の1両は105号機だった。他の同形式車両はすでに引退し、後任のEF210形300番台に順次置き換えられていた。今年2月の段階で105号機の定期運用は終わっており、3月29日は引退式典のための特別運行だった。

■走行中に連結解除作業を行う機関車もあった

EF67形において、ひと目でわかる特徴は車体の赤色。広島地区を走ることから、広島県の木であるモミジ、その紅葉をイメージしたと言われている。EF60形・EF65形に付いていた銀の飾り帯は黄色になった。細かいところでは、運転席の窓にひさしが付いている。「つらら切り」と呼ばれ、トンネル内にできたつらら(氷柱)が窓に当たらないようにする装置だった。EF67形101~105号機は更新工事により、塗装が一部変更されている。運転席の窓付近が黒色、車体の下に白色と灰色の帯、乗務員扉がクリーム色に塗り分けられた。

制御機は抵抗による電圧制御から、電気回路のオンオフで電圧を制御するチョッパ制御に変更された。勾配区間での後押し時、車輪の空転を減らすためだ。電動機は更新されず、そのまま使われたが、チョッパ制御の採用によって出力が向上した。チョッパ制御の特徴として、回生ブレーキの採用も挙げられる。減速時は中間台車が回生ブレーキとして機能し、電力を架線に戻した。運用上の特性として、後押し時に回生ブレーキは使われず、帰路の下り勾配を単機回送する場合に用いられた。じつは省エネ機関車だった。

  • EF67形が瀬野駅に(筆者撮影)

連結器付近は後押し時に使う側を改造した。連結器は自動開放装置付きとなり、根元側に大型緩衝器が付いた。緩衝器は重量級貨物列車の加減速時、貨車から伝わってくる衝撃に耐えるための装置だ。

EF67形1~3号機では、走行中に連結解除作業を行うことからデッキを設け、デッキへの出入口となる扉も設置された。走行中の連結解除とは荒技だが、高速走行する列車を停めずに済むため、戦前から採用されていた。ちなみに、走行中の連結解除は戦前の超特急「燕」において、御殿場駅付近で行われたことが歴史的に知られている。瀬野~八本松間では2002年まで行われていた。

EF67形101~105号機は自動解放機能を持たず、デッキは小型化。後押しだけでなく、列車の先頭で牽引することも可能な仕様となっていた。

最後まで残ったEF67形105号機の引退に際し、せめて最後にお別れ列車を牽引してほしかった。おそらくJR貨物、JR西日本も考えたと思うが、コロナ禍など実施条件が揃わなかったかもしれない。

■「セノハチ」での後押し運用の歴史は終わらない

「セノハチ」こと山陽本線瀬野~八本松間は、1894(明治27)年、山陽鉄道によって開通した。海沿いのルートだと遠回りになるため、直線的な最短距離で結んだ。その結果、上り方向の勾配は22.6パーミルの勾配が連続する区間になった。そこで蒸気機関車時代から、補機を付けての後押しを実施していた。電化された後も、こげ茶色の電気機関車にによる後押しを継続した。

  • 山陽本線の瀬野~八本松間(地理院地図を加工)

  • 地図を色別標高図と重ねると、長い上り勾配を推測できる(地理院地図を加工)

当初は客車列車も後押しが必要で、東京駅へ向かうブルートレインも補機による後押しが行われた。先日亡くなられた西村京太郎氏の小説『特急さくら殺人事件』でも、その様子が重要な場面で使用されている。池田邦彦氏の漫画『カレチ』第2巻の第16話「セノハチ」では、連結解除作業を担当する係員の姿が描かれた。

客車列車の後押しについては、機関車の性能向上にともない廃止され、快速・普通列車に使用される電車も自力で上れる性能になった。現在は貨物列車のみ、補機による後押しが行われている。

EF67形の後任となったEF210形は、JR貨物の標準型直流電気機関車であり、東海道・山陽本線を中心に、直流電化された幹線で幅広く運用される。「セノハチ」仕様はEF210形300番台として新製された。在来型との違いは、両端の連結器に新型の緩衝器を取り付けたこと。これは前後の運転のどちらでも後押しを可能にするためだ。EF210形300番台は牽引機としての機能も有し、「セノハチ」以外でも幅広く運用される。各地を回っているうちに前後が逆向きになったとしても、後押しを行えるようにしている。

  • 「セノハチ」仕様のEF210形300番台。車体側面に配した2本の黄色いラインが特徴

EF210形300番台は大型緩衝器を搭載したため、他のEF210形と比べて車体が40cm長い。車体側面に2本の黄色いラインが入ったことも、従来型と異なる300番台ならではの特徴となっている。EF67形の飾り帯も黄色だったから、「セノハチ」仕様を見分けやすくしたと言えるかもしれない。牽引機として関東エリアで運行する姿も目撃されている。

ところで、もっと高性能な機関車を投入すれば、牽引機だけで勾配を克服し、後押しは不要になるはず。実際、JR貨物は「後押しなし」をめざしたことがあり、その実験にEF200形が使われた。

EF200形はJR貨物史上最大の出力を持ち、「セノハチ」向けと言うより、貨物輸送の拡大をめざしてつくられた機関車。その目標は、コンテナ貨車32両、1,600tクラスの貨物列車を牽引することだった。開発当時、最高速の貨物列車はコンテナ貨車20両、1,000tクラスだったから、1.6倍の輸送力になる。しかし、1,600tクラス運行計画は実現しなかった。EF200形の性能を最大限に引き出す電力供給の見込みが立たないこと、20両だったコンテナ列車を32両にするために貨物駅の拡張など行う必要があり、コストが大きくなることが理由だった。

JR貨物はEF200形を使い、「セノハチ」で1,100tコンテナ列車の牽引試験を行った。試験は成功するも、実現には至らなかった。理由のひとつは電力の供給が間に合わなかったこと。もうひとつは、1,600t計画が頓挫したとはいえ、せめて26両1,300tクラスにしたいという計画になったからだった。

  • EF200形は2019年に引退。京都鉄道博物館でお別れセレモニーが行われた

EF200形が1,000tクラスの貨物列車を単独で運行できない環境で、1,300tクラスの牽引は不可能。牽引試験も行われなかった。結局、「セノハチ」では補機による後押しを継続することになった。EF200形はオーバースペックな機関車となってしまい、21両しか製造されず、現在は全車引退している。現在活躍しているEF210形は、EF200形のオーバースペックだった部分を改め、1,300tクラスの列車に対応した普及機といえる。

いまのところ、電力設備に莫大な投資を行い機関車1両で運行するより、機関車2両で後押しを行ったほうが安上がり。地上設備も含めた大規模な設備投資が実施されない限り、「セノハチ」の後押し運用は続くだろう。