カンテレの特番『松坂大輔 甲子園に愛された平成の怪物 松坂世代・藤川球児が迫る野球人生』が、1月3日(8:40~ ※関西ローカル)に放送される。

  • 松坂大輔=カンテレ提供

今年23年間のプロ野球生活に別れを告げた松坂。「平成の怪物」と言われた松坂の怪物伝説がはじまったのは「甲子園」だった。1998年8月20日、高校野球・夏の甲子園大会準々決勝「横浜vsPL学園」の一戦で、現代の野球では考えられない延長17回・250球を1人で投げぬいて、勝利した。

松坂は引退会見で「自分を褒めるとしたら」という問いにこう答えた。

「諦めの悪さ。たくさんの方に迷惑をかけてきたけど、よく諦めずにやってきたなと思う。最後まで諦めなければ報われる、勝てる、喜べる。あの試合が諦めの悪さの原点なのかな」

高校野球・あの夏の甲子園が松坂大輔の支えとなり、日米を渡り歩き23年という長きプロ野球人生を支えたのだ。

また、松坂はプロになっても甲子園と縁深い選手だった。2018年9月13日には中日のユニフォームを身にまとい、勝利を飾った。実は、その勝利が日米通算170勝目。くしくも松坂が野球選手として記録した最後の勝利となった。「平成の怪物」の栄光の節目には必ず甲子園があった。

番組では、引退後初めて松坂本人が野球人生の支えとなった甲子園を訪れる。ナビゲーターは、松坂を「松」と呼ぶ、松坂世代の一人、藤川球児。「やっぱりここは特別な球場」と語る松坂と藤川は、甲子園のバックスクリーンを背に対談をはじめる。2人だけの甲子園で、高校野球をはじめプロ野球・メジャーリーグ・引退試合までの野球人生を振り返る。

プロ23年間でのベストボールから、ライバル・イチローとの秘話・満身創痍(そうい)の体で引退試合に登板した理由まで激白。さらに、松坂の人生に寄り添ってきた証言者たちがサプライズVTRで続々登場。知られざる平成の怪物伝説も明かす。番組のクライマックスは甲子園のマウンドでのラストピッチング。「平成の怪物」伝説は甲子園で始まり、甲子園で終わる――。

番組のナレーターは、松坂と同じ横浜高校野球部の1学年先輩でバッテリーを組んでいた上地雄輔。横浜高校時代はキャッチャーとして松坂のボールを受けていた上地は「(松坂が)入部してきた時は不器用で…プロに入って器用って言われていて、うそでしょと思いました(笑)」と高校時代を振り返り、「若い子たちは松坂大輔っていう選手とか人柄を知らない子たちもたくさんいると思うんですけど…こういう時代にこういう選手が戦い続けて残したものの偉大さを少しでも知ってもらえたら、仲間としてうれしいなと思います」とコメントを寄せた。

番組収録に、松坂は「まさか最後に甲子園のマウンドを使って投げさせてもらえるとは思っていなかったです。最高でした」と心境を語り、「現役の時、関西に来ると非常に面白いヤジが聞けるのでいつも楽しみにしていました。関西に来るのは非常に楽しみでしたね。そして、こうして皆さんに最後甲子園のマウンドに立たせてもらう機会をいただけたことを本当に感謝しています」と締めくくった。