• 技の名前などがびっしり書き込まれた倉田アナの取材ノート=本人提供

倉田アナが西矢椛選手に付けたキャッチコピー「13歳、真夏の大冒険」は、スタート時点で「13歳の真夏の冒険が始まります」と使う予定だったが、そのタイミングで言い逃してしまい、結果的に技を決めたときに発したことが、名実況につながった。

これに加え、フランクな瀬尻氏と真面目な倉田アナのコントラストが話題となったこと、絵に描いたような夏の青空を背景に技が決まったこと、大会競技2日目という序盤で開催された新競技で注目を集めたこと、そして日本史上最年少金メダルという偉業になったことなど、様々な要素が重なったことで、「13歳、真夏の大冒険」という言葉が日に日にパワーを増していく。

そして「新語・流行語大賞」のノミネート30語に選ばれた。しかし、「光栄なことではあるのですが、今回はコロナということで事前の取材もオンラインの記者会見だけで、まだ西矢選手に1回も直接取材ができていないんです。だからこうやって勝手に枕詞を付けさせてもらっちゃって、『すみません』という思いが一番あります」と恐縮。今後もし、本人に会う機会があったら、「まずは『ごめんなさい』と言いますね。もう14歳になっているでしょうし…」と苦笑いした。

■「父に報告するためだったのかもしれない」

このノミネートを聞いたのは、遅めの夏休みに地元・長野へ帰省中のことだった。自身の発した言葉が「流行語大賞」にノミネートされるという人生の一大イベントのニュースを、自らが担当する『めざまし8』の生放送で伝えられないという不運なタイミングだったが、一方で運命的なものも感じている。

「実は、5月に父が他界しました。地元紙の信濃毎日新聞にスピードスケートの記事が詳しく載っているので、僕の実況のためにスクラップして、3カ月分くらいまとめて送ってくれるような人で。父が送ってくれる資料は、結構参考にしていました。スポーツは詳しくないけれど見ることが好きで、僕がオリンピックの実況をすることになったのは知っていましたが、見ることができなかったんです。だから、今回ノミネートされたときに長野の実家に帰っていたのは、それを父に報告するためだったのかもしれませんね。あまり人の生死とつなげることではないのですが、僕としては父に捧げられたのかな…という思いが、ちょっとありました」

ノミネート発表の翌日には、『めざまし8』に長野からリモート収録で登場したが、「まさかそんな機会があると思っていなかったので、きちんとした格好の服を持っていなかったんです。でも夜にスタッフから電話がかかってきて、『明日の朝のOAのためにこの後、コメントを収録させてもらっていい?』と急に依頼があり、そこで父のスーツを着たんです。今思い返すといろいろとつながって…」と、亡き父と引き寄せられていたことに驚いていた。

■レギュラーの仕事に生きることは…

各局を代表して選ばれるJCのメンバーになるのは、アナウンサーとして名誉なことであり、倉田アナは今回が初めての経験だった。

98年に行われた長野オリンピックで金メダルに輝いたスキージャンプ団体は、会場でその瞬間を目撃。「日本が金メダルを獲ったら、ある焼肉屋さんに行くらしいというウワサがあって、その夜行ってみたのですが、待てど暮らせど出てこないので、裏口に回ったら途端に選手の皆さんが出てきたんです。原田(雅彦)さんがサインを書いてくれて、今でも家にあります」と大きな思い出になったが、それから23年後、今度は金メダルの瞬間を実況する立場になった。

こうして自身も“真夏の大冒険”を経験したが、レギュラーの仕事に生きることは「特にないです(笑)」とのこと。それでも強いて挙げてもらうと、「バラエティ番組に呼ばれるようになったり、こうして取材もしていただいたりして、貴重な機会をいただきました」とした上で、「やっぱり人の話を聞くほうが性に合っていますね。自分が答えることの難しさを本当に学んだので、これから自分がインタビューするときは、『こう聞いたら答えやすいな』というコツをつかめたらいいなと思います」と意識したそうだ。