大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)第31回「栄一、最後の変身」(脚本:大森美香 演出:鈴木航)では、栄一がサブタイトルどおり変身を決意した。これまで栄一、篤太夫、栄一と名前を変え、倒幕派になったり幕臣になったり新政府に関わったりと立場を変えてきた栄一が日本のために大蔵省を辞めることを決心。「官ではない。ひとりの民なんだ」と自分の本来の生き方を見つけた言葉は頼もしかった。

  • 『青天を衝け』第31回の場面写真

変身という意味では、愛妻家で千代(橋本愛)一筋のように見えた栄一が第30回で突如、大阪で出会ったくに(仁村紗和)を部屋に招き寄せていたことも変身といえば変身である。いやこれこそ最大の変身なのではないだろうか。

第31回ではくにが妊娠し、千代の提案で渋沢邸で同居することに。恐縮しているくにに「おまえ様のお子です。共に育てましょう」とその場では穏やかに言うものの、ひとりになると「ああ」と深いため息をつく。そのときの苦渋に満ちた顔つきと息を全部吐ききった後の100年の恋も冷めたというような冷たい顔が実に味わい深かった。橋本愛は古今東西、全女性の怒りと諦めを代表しているようだった。

戦国ものだと正室のほかに側室がいることは当然とされていて、その存在も描かれているが、その先の時代になると妾を描くことは悩ましい問題となる。史実では渋沢栄一は本妻のほかにも浮き名を流していたとされるが『青天を衝け』では栄一は妻ひと筋の真面目な人物として描かれて来た。「現代語訳 渋沢栄一自伝」(守屋淳編訳)を読むと、慶応2年、25、6歳の血気盛んな頃、仕事に熱心なあまり「酒はもちろん女性にも一切触れないというきわめて堅固な覚悟でいた」という記述もある。それに倣って『青天を衝け』では真面目な時期があった部分を尊重し遊ばず仕事に励む姿を描いているのかと思ったら、ここへ来てふいに栄一が意外な面を見せるものだからびっくり。それもこれも時代が一新した故の変身であろうか。

ただ、妾を描かないことで妾の人権はどうなる? という疑問も湧く。妾として生きる人物をなかったことにするのは逆におかしいではないか。例えば、脚本家の大森美香氏は、『青天を衝け』と時代が重なるところもあってディーン・フジオカ演じる五代友厚も大活躍した連続テレビ小説『あさが来た』(2015年度後期)を書いたとき、史実では主人公のモデルの夫には妾がいたがいないことになっていて、なぜ書かないのだろうかと疑問の声もあがっていた。ただし女中の少女が主人公の夫に恋して妾でもいいからそばに置いてほしいと願う健気なエピソードがあり、それは人気エピソードになった。女中を演じた清原果耶はそこで注目され、『おかえりモネ』でヒロインをやるきっかけのひとつになったと言っていいだろう。妻以外の女性の存在を書く書かないの差は、『あさが来た』はあくまでも実在の人物をモデルした架空の物語であり、『青天を衝け』は実在の人物を主人公にした物語であるということや、朝と夜、放送時間帯の違いなどが理由として考えられる。

第31回では、栄一の変身の決意あり、銀行の誕生、成一郎(高良健吾)が喜作に戻って髪も短髪になり尾高惇忠(田辺誠一)が任されている富岡製糸場に関わることになり、三井組の新しく華やかな建物・三井組ハウスができてそれが銀行になるなど時代が急激に動いた。栄一も変身するが日本も変身するかのようだった。

三井ハウスを銀行の建物にするための三野村利左衛門(イッセー尾形)との駆け引きの場面は、名優・イッセー尾形相手に吉沢亮が一歩も引かない芝居を見せた。芝居的には三野村に手厳しいことを指摘されて愕然となるのだが。政府の代表として三野村にプレッシャーをかける栄一は自信に満ちて上から目線(あくまで演技のことです)で、それが三野村の商人としてのプライドに火をつけ栄一を挑発する。年齢差、キャリア差を超えての真剣勝負を感じた。「官ではない。ひとりの民なんだ」と栄一が気づく大事なシーンである。

西郷隆盛(博多華丸)とのしっとりしたやりとりもあって、主人公の活躍もしっかり描きつつ、やはり第31回で印象的なのは“女性”である。

男性が複数の女性と関係を持つことが当たり前のようにあった前時代的なやるせない状況を描く一方で、富岡製糸場が女性の社会進出の魁となったことを描く。惇忠が娘ゆう(畑芽育)に伝習公女になってほしいと頼む。製糸工場は危ない場所という噂が立っていたので見本になる人物が必要と言われ躊躇するゆうだったが、母・やへ(手塚理美)は「私らはね ずっと男たちを見ているだけだった。何をたくらんでいるかも 外で何が行われているかも 何もしらせてもらえねぇでただ黙って」と言う。これまで蚊帳の外にあった女性が男性に頭を下げて頼まれることは女性の地位の向上の萌芽である。

やへは息子たちが勇んで戦いに赴き命を落としたり酷な目に遭ったりしてきたことをただただ黙って受け入れるしかなくひどく胸をいためてきたことだろう。千代は栄一が大阪で女性を妊娠させ、そのくには男たちのはじめた戦争で夫を失っている。男性がよかれと思って主体で行ってきたことは必ずしも女性たちを幸福にはしない。これからは女性たちが男性と肩を並べた働きをする時――。そんな希望が描かれると同時に千代がくにより前に男の子を産んだことは周囲からは優位だと考えられていることも描いている。女性より男の子を産むことが重要視されているうちはまだまだ男女平等には遠い。でもちょっとずつ社会の変身は起こっている。ジェンダー平等が謳われる時代にふさわしい大河ドラマ。だからこそくにの存在も必要だったのではないだろうか。

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