石炭博物館を出て、来た道を折り返す。2.5kmほど南下すると、左手奥に巨大なスキーリゾートホテル、その手前に小さな教会風の建物が見えてくる。この教会風の建物が夕張駅舎であり、夕張支線廃止時の終着駅はこの場所だった。
夕張支線の127年に及ぶ歴史の中で、夕張駅の場所は2回変わっている。初代の夕張駅は、炭鉱に直結する場所(「石炭の歴史村」敷地入口付近)にあったが、1985(昭和60)年に市街地に近い2代目駅(夕張市役所付近。夕張鉄道の夕張本町駅跡地)に移転。さらに1990(平成2)年、開業したスキーリゾートホテルに直結する現在地に移転した。
■夕張の廃線跡を探索
ローカル線の風情がいまなお残っているのは、夕張駅の隣駅だった鹿ノ谷(しかのたに)駅だ。廃線後、2年半の月日の間に、周囲の緑との同化が進みつつあるが、現在も線路が残されており、キハ40形が警笛を鳴らしながらやって来てもおかしくないように思う。
鹿ノ谷駅と次の清水沢駅の間には、「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」がある。『幸福の黄色いハンカチ』は、言わずと知れた山田洋次監督、高倉健主演の名作映画である。「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」は、この映画のラストシーンのロケ地だった。映画が公開された1977(昭和52)年頃は、夕張が石炭の街として最後の輝きを見せていた時代と言っていい。
清水沢駅は三菱石炭鉱業大夕張鉄道との接続駅だった。駅敷地が広々としているのは、「石炭車が並んだヤードの名残」(「鉄道ジャーナル」2017年11月号「凋落の夕張支線 廃止の真相」鈴木文彦/山井美希)だという。
ここから先は、三菱石炭鉱業大夕張鉄道の路線跡をたどり、国道452号を進むことにしよう。めざすは清水沢起点7.6kmに位置する南大夕張駅跡だ。
南大夕張駅跡周辺には、わずかに集落があるものの、かつて多くの坑夫とその家族でにぎわった時代の面影はまったくない。1985(昭和60)年に死者62名を出した三菱南大夕張炭鉱ガス爆発事故の記憶は、市民体育館横の慰霊碑に留められている。
南大夕張駅跡へ進むと、「鉄道省苗穂工場 昭和15年」の銘板が見られるラッセル車「キ1」に牽引された客車3両・貨車2両が、砂利敷きのホームに停車するかたちで保存されている。客車3両のうち2両は車内の見学も可能だ。「ストーブ列車」として運行されていた客車内では、凍てつく日に乗客が「だるまストーブ」に手をかざし、暖をとっていた様子が想像される。
今回は北海道夕張市の鉄道廃線跡を中心に探索した。この記事が公開される10月中旬頃には、夕張の山々は紅葉に真っ赤に染まっているだろう。