――上白石さんご自身は何かに悩んだとき、どうやって乗り越えていますか?

深刻な悩みは他人に話しづらいので、かれこれ8年くらい私は日記をつけているんです。書くとスッキリするし、それを読み返すことで俯瞰できて、解決策が見つかることもあるので、1日の終わりにバーっと書き出すようにしています。仕事でうれしかったことや忘れたくないこと、仕事で出会った人たちの名前など、頭に思い浮かんだことは何でも書いてます。

――とはいえ、さすがに愚痴っぽいことまでは書かれたりしないですよね……?

いや、それも書きます! だから、死ぬ前に全部燃やさないと困ったことになりますね(笑)。自分のなかに負の感情が芽生えてしまうのは仕方がないことですし、ありがたいことにお芝居をするうえではどんな感情も燃料にできるので、いろんな気持ちになれたほうがいい。たとえすごく落ち込むようなことがあったとしても、「これをいつか燃料にしてやろう!」と思って、忘れないように書き留めておく、みたいな意味合いもあるかもしれないですね。

後から振り返ると話のネタになったり、「あぁあの時のあの感情か!」と引き出せたりする瞬間がたくさんあるので、これからも書く習慣は大事にしていきたいなぁと思っています。

――今回、涼子を演じるうえでも過去の日記が役に立った部分もありますか?

そうですね。「あの頃の自分はどんな気持ちだったかなぁ」と高校時代の日記を読み返してみたんですが、やっぱり今よりも多感でずっとモヤモヤしていましたし、クラスメイトとの関係もすごく繊細に受け止めていたりして、不器用に生きていたことを思い出しました。

――『ソロモンの偽証』の撮影を終えて、さまざまな重圧から解放されましたか?

いやぁ、きっとこの作品が放送されるまでまだまだ安心できないですし、このドラマを観てくださった方々に「この役が上白石萌歌で良かったなぁ」と思ってもらえない限りは、重圧からは解放されないと思います。でも、完成したドラマを観て自分なりに少し手ごたえを感じているので、早くこの作品を皆さんにご覧いただきたいなと思っています。。

――改めてWOWOWの『連続ドラマW 東野圭吾「分身」』でデビューしてからこれまでを振り返っていかがですか?

あっという間のようで、結構長かったです。デビュー当時は12歳の小学生で、何が何だか分からない状態からお芝居をさせてもらって、本当にいろんな方と出会って。9年が経って、昔ご一緒した方にもう一度呼んでいただいて、また新たな作品で再会できたりすると、自分も少しは成長できたのかなって思えます。一瞬のようで、どっしりとした10年でした(笑)。

――同じ上白石萌歌さんの主演作でも、『ソロモンの偽証』と現在公開中の映画『子供はわかってあげない』とでは、全く違う表情を見せているのも印象的でした。

作品によってこんなにガラッと雰囲気が変わるのは自分でもすごく不思議で、まるで毎日違う人の人生を生きていたかのようでした。自分のなかでは1年で5年分くらいの濃密な時間を過ごしている感覚なんです。だからこそ、絶対に忘れないように日記に書き留めているのかもしれません。お芝居をするときは自分を完全には消すことはできないし、どのお芝居も自分の感情によって生み出されるという意味では、与えていただく役って、自分の鏡みたいなものかもしれないって最近思うんです。「私ってそういう風に見られているんだ」「こういうことを求められているんだ」って。これからも、役を演じるというよりは、役を生きられるように、もっと魂を削りながらお芝居できるようになっていけたらと思っています。