• 【令和テレビ談義】はリモートで深夜まで繰り広げられた…

木月:フジテレビで言うと、コントとは別に『(笑って)いいとも!』もノウハウを継承する番組だったんですよ。毎週のようにスタジオコーナー企画を新しく作っていくので。

橋本:やっぱり生で面白くしなきゃいけないって、なかなかのハードルですよね。

木月:そうなんです。生だから早めにコーナーの中心部に行かなきゃいけないので、可能な限りルール説明や段取りを減らして作っていくんですけど、本番ではタモリさんと爆笑の太田さんでじゃんけん大会とかいろいろ始まっちゃって結局コーナーが始まらないみたいな。面白いからいいんですけど(笑)

橋本:演者さんと生のステージをやるときに、シンプルだけど分かりやすい思考でやらなきゃダメじゃないですか。ランキング当てるクイズとかもそうですし。面白いことの核って何だろうと考えたときに、人間がシンプルでも見ちゃうことの本質は、生放送で表現できることかもしれないですね。

■『ちちんぷいぷい』と浜田雅功に学んだ“生”の技術

水野:僕も大阪では生放送の文化で育った部分があるんですよ。『ちちんぷいぷい』って、4時間の番組でも台本がなくて、進行表しかないんです。それこそアドリブを大切にするから20分押すのも平気な生放送だったんですけど、そこでさっき木月さんが言ってたように、段取りが多かったら生放送って絶対面白くならないんです。これは大阪の制作時代に学んだ一番大きなことですね。さらに、今ご一緒してる浜田(雅功)さんは収録番組でもライブ感を大切にされるから、制作の理屈でここを長く見せたいというのが全くない収録形態を採っているんです。そうすると出演者のテンションが下がらない締まりのある番組になる感じがするし、僕は浜田さんにそういう教育をしていただきました。

木月:MBSさんの制作者は、みんな『ちちんぷいぷい』を経験するんですか?

水野:そうですね。『ちちんぷいぷい』でステップアップをしてきた人が多いです。ただ、『笑コラ』ってゴールデンじゃないですか。日テレさんの制作者はそこでゴールデンの経験を肌で感じられるけど、『ちちんぷいぷい』でめちゃくちゃ認められても、急にゴールデンに来るというのはちょっと勝負するものが違うところがあるんです。大阪局のディレクターが全国ネットで勝負するときって地理的なハードルに加えて、実は昼のワイド番組から突然ゴールデンで勝負するっていう放送枠のハードルも大きいなと思ってます。

木月:水野さんはそのハードルを越えられたわけですよね。その要因は何ですか?

水野:そうですね……でも、番組でご一緒した制作会社の演出家や、フリーのディレクターにかわいがってもらえたと思います。目の前で160kmをビュンビュン投げるのを見せつけられて、必死に食らいつこうってもがき続けました。

次回予告…~各局エースディレクター編~<2> 視聴率の指標変化と番組の多様性

●橋本和明
1978年生まれ、大分県出身。東京大学大学院修了後、03年に日本テレビ放送網入社。『不可思議探偵団』『ニノさん』『マツコとマツコ』『卒業バカメンタリー』『Sexy Zoneのたった3日間で人生は変わるのか!?』などで企画・演出、『24時間テレビ41』では総合演出。現在は『有吉の壁』『有吉ゼミ』『マツコ会議』といったバラエティのほか、『寝ないの?小山内三兄弟』『でっけぇ風呂場で待ってます』『ナゾドキシアター「アシタを忘れないで」』などドラマ・舞台も手がける。

●水野雅之
1977年生まれ、愛知県出身。慶應義塾大学卒業後、00年に毎日放送入社。営業局で6年勤務した後、制作に異動し、大阪本社で『ちちんぷいぷい』を担当。2年後に東京支社の制作に異動し、『チェック!ザ・No.1』『地球感動配達人 走れ!ポストマン』をへて、『イチハチ』で初の総合演出となり、浜田雅功と初仕事。現在放送中の『プレバト!!』、『日曜日の初耳学』の前身『林先生が驚く初耳学!』、『教えてもらう前と後』と、TBS系列ゴールデン・プライム帯におけるMBS制作の全番組を立ち上げた。

●木月洋介
1979年生まれ、神奈川県出身。東京大学卒業後、04年にフジテレビジョン入社。『笑っていいとも!』『ピカルの定理』『ヨルタモリ』などを経て、現在は『久保みねヒャダこじらせナイト』のほか、『新しいカギ』『痛快TVスカッとジャパン』『今夜はナゾトレ』『キスマイ超BUSAIKU!?』『ネタパレ』『出川と爆問田中と岡村のスモール3』『千鳥の対決旅』『芸人サバイバルトーク!上田に火をつけろ』『人間性暴露ゲーム 輪舞曲~RONDO~』などを担当する。