■海外からモノレール技術を導入

上野懸垂線はヴッパータールのランゲン式をモデルとしつつ、騒音低減の観点からゴムタイヤを採用するなど改良が加えられ、一般に「上野式」と呼ばれる。

この上野式は東京都交通局のほか、日本車輛製造や東京芝浦電気(現・東芝)が開発にあたった国産技術にもとづく方式だったが、その後、日本の各メーカーは海外のモノレール先進企業と技術提携することにより、モノレール技術の導入・開発を図るようになる。

日立製作所はコンクリートの軌道桁上をゴムタイヤで走行するアルヴェーグ式(西独ALWEG社)、川崎航空機(現・川崎重工)は鋼鉄レール上を鋼鉄の車輪で走るロッキード式(米ロッキード社)を導入。いずれもレールを車体が跨ぐ方式の跨座(こざ)型モノレールである。跨座型にはその他、アルヴェーグ式をベースに、車体と台車を完全に分離したボギー連接台車構造にするなど、独自の改良を加えた東芝式もある。

一方、三菱重工、三菱電機、三菱商事の3社を中心に国内の有力企業10社が出資し、1961(昭和36)年3月に設立された日本エアウェイ開発は、フランスのサフェージュ社が開発したサフェージュ式懸垂型(レールからぶら下がる形式)モノレールの技術を導入した。

各陣営がモノレール技術の導入・開発にしのぎを削る中、東芝が先陣を切り、1961(昭和36)年7月に奈良ドリームランド線(遊戯施設扱い)を開業させた。続いて日立製作所が1962(昭和37)年3月、アルヴェーグ式の犬山遊園モノレール(地方鉄道法に準拠する鉄道)を開業させている。

  • 湯の華アイランド(可児市)に保存されている犬山モノレールの車両(撮影 : 岩田武)

  • 東山動物園モノレール(提供 : 湘南モノレール)

これら跨座型陣営に対抗する動きとして、日本エアウェイ開発は1964(昭和39)年2月、名古屋市の東山動物園と植物園前を結ぶ懸垂型モノレールを開業させた。このモノレールが日本におけるサフェージュ式モノレールの第1号となったものの、路線がわずか471mと短すぎたこともあり、急カーブ・急勾配にも強いとされるサフェージュ式の技術的優越性を示すことができなかった。このことが、後に湘南モノレール(本格的な交通機関としての懸垂型モノレール)の建設へとつながっていく。

その間に、日立陣営は1964(昭和39)年10月10日の東京オリンピック開幕に間に合わせるため、急ピッチで東京モノレールを建設し、同年9月17日に浜松町~羽田間を開業させた。東京モノレールの開業は、それまで遊園地の乗り物、または遊園地へのアクセスをおもな用途としていたモノレールが、ついに本格的な都市交通としてデビューした瞬間でもあった。

  • 開業直後の東京モノレール(提供 : 東京モノレール株式会社)

ちなみに当時、世界中を見渡しても、モノレールはヴッパータール(ランゲン式、1901年開業)、カリフォルニア・ディズニーランド(アルヴェーグ式、1959年開業)、シアトル(アルヴェーグ式、1962年開業)くらいしかなく(博覧会などで一時的に運行されたものを除く)、日本は「モノレール大国」と言ってもいい状況になっていた。

■モノレールのその後と現状

  • 大阪万博モノレール(提供 : 一般社団法人日本モノレール協会)

日本ではその後、1964(昭和39)年6月に設立された日本モノレール協会を中心にモノレール技術の研究が進み、跨座型はアルヴェーグ式を改良した日本跨座式(1970年3月15日開幕の大阪万博で初運行)、懸垂型はサフェージュ式(1970年3月7日に湘南モノレールが開業)を標準仕様とする規格の統一が図られた。1972(昭和47)年には、都市モノレール整備の円滑化のため、財政措置・道路管理者の責任等を定めた「都市モノレールの整備の促進に関する法律」(都市モノレール法)が制定された。

これらの措置を受けて、国内の各地でモノレール建設の検討が進められ、1985(昭和60)年1月、北九州モノレール(運営は北九州高速鉄道)が開業。都市モノレール法にもとづき建設された都市モノレールの第1号となった。

  • 北九州モノレール(筆者撮影)

ただし、モノレールの現状について見ると、実際に建設され、現在まで存続しているモノレールは9事業者11路線のみ(休止中の上野懸垂線を含む。広島市のスカイレールは含まない)にとどまる。

新たな都市交通の担い手として脚光を浴びた割に、モノレールがあまり広まらなかった理由のひとつは、想定よりも安くなかった建設費であろう。東京モノレールの1kmあたり16億円、湘南モノレールの1kmあたり10億円という数字は、地下鉄(都営浅草線の1kmあたり45.3億円)に比べれば割安であるものの、建設費が開業後の事業運営に跳ね返り、採算ベースに乗るまでに長い時間を要することになったのは周知の通りである。

また、モノレールと同じく都市内の中規模輸送を対象とするものとして、コンピューター制御による自動運転を原則的に行う新交通システム(AGT)をはじめ、競合する他の交通システムが存在したことも理由に挙げられる。1974(昭和49)年、都市モノレールの構造物(軌道や支柱等のインフラ)を道路の一部として整備することで公的な財政補助の対象とする「インフラ補助」制度が発足すると、翌1975(昭和50)年には新交通システムにも補助対象が広げられるなど、両者の導入拡大の下地はほぼ同時に整えられた。となると、無人運転による省力化やフリークエントサービスにより、多様な輸送需要に対応できるなどの面を売りにする新交通システムのほうが、目新しさがあった。

近年は少子高齢化により、都市部でも人口減少に転じる中、より投資が少なくて済むLRT(次世代型路面電車システム)やBRT(バス高速輸送システム)も注目されるようになった。LRTに関して、富山ライトレールなどの成功は周知の通りであり、新路線としては、JR宇都宮駅の東側で芳賀・宇都宮LRT(宇都宮駅東口~芳賀・高根沢工業団地間、約14.6km)の建設が進み、2023年3月に開業予定となっている。

  • 茨城交通「ひたちBRT」で行った自動運転バスの実証実験(提供 : みちのりホールディングス)

BRTに関しては、茨城交通の「ひたちBRT」(廃止された旧日立電鉄の廃線跡の一部を専用道化)において、自動運転バスの実証実験が2018年度(2週間、小型バス使用)と2020年度(4カ月間、中型バス使用)の2回にわたり行われた。この自動運転バスは、遠隔監視の下、高性能GPSおよび路面に埋設された磁気マーカーで自車の走行位置を検出・補正し、車載カメラや各種センサー類で障害物を検知する(一部の見通しの悪い交差点等では、道路側に設置した専用センサーで自動運転を支援)。いまはまだ運転席に運転手が座っているものの、ほぼ自律的な自動運転を実現している。

これらの状況を総合的に考えるならば、今後、少なくとも国内において、現在計画されている大阪モノレールや多摩モノレールなど既存路線の延伸を除き、モノレールが現状以上の広まりを見せる可能性はきわめて低いのではないかと予想される。