「百姓だってこの世の一片を担ってるんだ」、「俺も今日この日から草莽の志士になる」。大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第10回「栄一、志士になる」(演出:松木健祐)では栄一(吉沢亮)が勇ましくなってきた。少年の頃から思っていたこの世に対する疑問が大きくなり、世界を知るために江戸に行きたいと強く願う。

  • 『青天を衝け』渋沢栄一役の吉沢亮

■大橋訥庵の発言に反論も感化される栄一

その頃、江戸では、攘夷派に暗殺された井伊直弼(岸谷五朗)に代わって老中・安藤信正(岩瀬亮)が、孝明天皇(尾上右近)の妹・和宮(深川麻衣)を家茂(磯村勇斗)の嫁に迎えることで朝廷との結びつきを深めようとしていた。武蔵の国は野蛮なところと嘆く和宮。いまや東京が首都として日本では最も大都会だけれどその元は徳川家康が築いた。この頃はまだ首都は京都(平安京)であった。

父の許可を得て栄一が8年前ぶりに来ると以前とはまるで違って、物価が上昇して人々の暮らしが苦しくなっていた。

「江戸は呪われたのじゃ」と攘夷派の儒学者・大橋訥庵(山崎銀之丞)は言う。大地震や桜田門の変が起きたのは異人を国内に入れた天罰だと迷信めいたことを言う大橋に栄一は、だったら神風で吹き飛ばせばいいのにと反論する。姉の狐憑き問題のときもそうで、栄一の合理的な考え方は気持ちいい。でも彼はまだ未熟。「よいか減らず口よ。我らが神風を起こすのじゃ」とカリスマ大橋が煽られるとたちまち感化されはじめる。

「風を吹かす」と幕吏・安藤対馬守を倒そうと盛り上がる大橋の門下生たちの風にあれよあれよと巻き込まれていく。碧眼の河野顕三(福山翔太)の使った「草莽の志士」(名もなき志士)というかっこいい言葉に胸を打たれ、門下生たち(喜作や長七郎、真田など)に混じって人を斬る訓練をしてみる。狂ったように真剣を振り下ろして、止められる。千代(橋本愛)にもらったお守り袋(喜作の妻・およしが喜作に作ったものと色違い)を握りしめてようやく正気に戻る。

■千代が栄一の抑止力に おめでたも判明

栄一は聡明ではあるが、ともすれば、過激な思想に流れそうにもなる。彼の若気の至りを留めるのが千代だ。彼女が栄一の抑止力になっている。

江戸から血洗島に戻った栄一は、千代を背後からそっと抱きしめる。

千代が妊娠。なかなか子どもができなくて気になっていたがようやくのおめでたに栄一は大喜びでせっせと労働に励む。

妻との生活も大事。でもいつまでもこの村で百姓として生活することに悩みもある。文久元年(1860年)、和宮が江戸に向かう途中の世話を命じられ、そうなると畑がほったらかしになる。なぜそんな末端の仕事をおしつけられるのかと反発する栄一。この日の本を身内のように感じている我が身のことのようにすら思えるからこそ納得がいかない(今日は「承服できねえ」と言わなくてすこし残念)が、千代は「日本を守る気持ちも、この村や家を守る気持ちも尊い」と思慮深い。

千代のおかげで栄一は猪突猛進しないで済んでいるがつかんでおかないと「俺たちだって風を起こせるんだと」ばかりにすごい勢いで飛んでいってしまいそう。

■長七郎の覚悟に惇忠が“待った”

激しい風に乗ってしまったのが長七郎(満島真之介)。「その手で安藤を斬れ」と大橋に命じられた長七郎は、一旦、地元・血洗島に戻ってくる。「うまくいった暁には腹を切る」と皆に覚悟を語る長七郎があっけらかんとしていて、皆あっけにとられる。「一介の百姓のこの俺が老中を斬って名を残すのだ」と言う弟を尾高惇忠(田辺誠一)が「無駄死にだ」と止める。一介の百姓が老中を斬ったところで「根本から正さないと世の中なんも変わらねえ」と栄一は思慮深い。『青天を衝け』はひとつの考え方に偏らないように登場人物が慎重に配置され、そのなかで栄一が何を自身の頭で選び取るか。そこにドラマの醍醐味がある。

1862年1月15日坂下門外の変にて、安藤暗殺を図った河野顕三(福山翔太)は志半ばで命を落とす。安藤は死なず、訥庵は捕まる。長七郎は惇忠に考えがあり上州に身を隠していたが、彼にも嫌疑がかかる。河野とはいい友達になったと思ったので哀しい栄一はその夜 眠れない。そこに、長七郎が江戸に向かっているらしいという報が入り、いても立ってもいられなくなって……。いよいよ栄一が風の渦に巻き込まれていく。

第9回の桜田門外の変は雪の3月、第10回も和宮の江戸入の10月~、坂下門外の変の1月と冬場のため、ドラマ開始時の青々とした自然が茶色く青々した自然がなくなって、茶色が増えたことも時代の過渡期を感じさせる。風を吹かせ過ぎてカラッカラに乾いてしまったような殺伐とした世界に、再び、青々と瑞々しい季節を取り戻すには、栄一の叡智が頼りだ。茶色い世界でも藍色に染まった布は栄一の魂のように冴えている。

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