――具体的にどこかで、というよりも演じていくうちに変わっていったという感じでしょうか。

そうですね。ぼんやりとそう思っていたことが、第42話のようなエピソードで「この考え方で合ってたんだ」と。のどかが優しすぎて、どこかで理想になっていたと思うんです。でもそうじゃなくて、のどかものどかっていう人なんだよって。現実で他人に優しくしている誰かも救世主じゃなくて人なんだよって。その解釈は間違ってなかったんだと、ぼんやり気づいていたことをのちに肯定してもらったみたいな気持ちになりました。

――演じられている方のキャラクターに対する変化が、ストーリーにそういう形で乗っていくのはおもしろいですね。

乗せていただいてたんだと思うんです。スタッフさんたちが誰よりも愛して作ってくださっているのがわかるから。台本の丁寧さ一つとってもそうでした。劇中でしゃべってない子たちが後ろで動いている様子でも、その子たち一人一人を人間として扱っている。一話からずっとそれぞれの幸せを願って描かれているんですよね。

――そうした作品が生まれる「プリキュア」の現場の違いは?

昨今ないもので一番素敵だなと思ったのは、長く演じられるということです。普通の作品だと、どうしても12回でお別れしなきゃいけない、もっと短い子もいたりします。やっぱり寂しいし、でもそのあいだにその子のことをぎゅっと知ってあげようという焦りのようなものがあるんです。

だから、一年じっくり話しあってわかりあって、この子がどんな人なのか知って、私が知りたいと思わなくても教えてくれる時もあれば、知りたいと思ってもぜんぜんわからないというときがあるみたいなときもありつつ、迷える時間があってみんなで組み立てていくというのがすごくよくて。キャストさんたちともみんなで迷える。「こういうのが正しいかな、何が素敵かな、いま子どもたちに何を伝えるべきかな、この子たちってどうやったら幸せになれるかな」というのを一緒に話し合って迷う時間があって作っていけるのは長くできる作品ならではのよさだなって思いましたね。

――『ヒープリ』はスタートしてすぐにコロナ禍もあり、現場では大変さもあったのではないかと思うのですが。

確かに回数が減ってしまったというのは表現をする回数が減ってしまうデメリットはあると思います。でもこんな時代だからこそ、「プリキュア」という希望の塊が必要とされていたとも思うんです。いろんなことに直面して進んでいかなくちゃいけなかったのはアニメ業界だけじゃなくてもっと大変なところもいっぱいあったはずで。

そんな中で前に向かって一緒に歩んでいかなきゃいけないんだよという象徴になるべき作品として、こんなにも世に求められて重要なシリーズってあるかと逆に思ったし、必要とされた時にのどかとして選んでもらったことを誇りに思います。

「ヒープリ」自体でいうと、私が聞いている限りでは、もちろん短縮しなければならなくなった回はもちろんあったのですが、大元のお話がコロナに合わせて変わったということはなくて、当初想定されていたものはきちんと描かれています。でもきっとみんなが今だからこそ深く考えてくれたことはいっぱいあったとのかもしれません。

普通に一年やれていたら流されちゃっていたようなささいな大事なことも、今だからみんなが受け取ろうと見てくれたというのはあると思うんです。そこには削られてしまった分の価値はあると思っていて。みんなが一生懸命聞いてくれているのと聞き流しているのは話が違うから。そういう意味でいうと「ヒープリ」の言いたいことは十二分に伝わっていると思うから、これを不遇と言ってしまうと見てくれている人に申し訳ないですよね。一生懸命聞いてくれているって思ったから、我々もそれに応えようと思って全力で作りました。

――そこに不安はなかったのでしょうか。

もちろん最初は不安なところもありました。テーマがテーマなだけに、どんな風に響いちゃうのかなって。それに、社会自体も誰もが先を読めないような状況でしたから。いろんな場所で、どうするのが最善なのかな、どうするのが誠実なのかな、というのはみんなが考えたと思うんです。

そこは「だから大変でしたね」というよりも「みんなと同じように一生懸命でしたよ」という感じです。「プリキュア」だけが大変とはとても言えない状況ですから。でも、現状が大変なのを現状のせいにするのってちょっと「プリキュア」っぽくないですよね。それでも乗り越えて、大事なものをいま自分の力で守れるのかを考えるのが彼女たちだと思うので、それを踏まえると「コロナで大変でした」とは言いたくないかなと思っています。

――映画では新シリーズ「トロピカル~ジュ!プリキュア」の短編映画『映画トロピカル~ジュ!プリキュア プチ とびこめ!コラボ・ダンスパーティ!』も同時上映となりますね。

本当はずっとやっていたいという気持ちもありますが、新しいプリキュアが増えるということは、新しい友達が増えることでもあります。プリキュアがいっぱいいるのっていろんな女の子の肯定だと思っているんです。体の弱い子もいれば、最初は何もできないけど希望だけはもってるという子もいたりする。スポーツができる子、オシャレが得意な子、地球から生まれている子もいますしね(笑)。プリキュアって、そういう違いに対してすごく肯定的な存在です。新しいプリキュアが生まれるということは、また新しい人格の肯定になると思っています。

――長きにわたってシリーズが続く「プリキュア」ですが、悠木さんがつなげていきたい思いは何でしょう。

今回の映画は親子がテーマにされている作品です。プリキュアがプリキュアたる所以って何かなとすごく考えるんですけれど、それは守りたいものがあって、そのために力を尽くせるかということなんじゃないかと思ったんです。守りたいものが自分の幸福でもいいし、隣の友達でもいいし、お母さんでも娘でもよくて。

そう思った時に、変身してなくてもお母さんもプリキュアだなって思ったんですね。プリキュアとして変身した彼女たちだけが正義の味方、何かを守る戦士というわけではない。変身していなくても娘のために命がけで闘うお母さんたちもプリキュアなんじゃないかなって。その大事なもののために頑張る気持ちが、ずっと継承されてきたものだと思います。それはきっと「トロピカル~ジュ!プリキュア」も何かきっと自分の大事なもののために頑張る姿を見ることができるのかなと思うので、それが楽しみだなと思います。

――映画の見どころをあらためて教えてください。

映画は全体を通して見どころがいっぱいあります。私が一番ウルっときたとことでいうと、エンドロールのところでとある仕掛けがあって、観ていてすごく刺さりました。(公開延期で)後ろ倒しになっちゃったなというところもあるんですけれど、シリーズが終わったからこそできる演出でもあって、ここに来るまでのあいだにこんなことがあったよねと思い返してもらえる、「ヒープリ」の集大成として見てもらえるものでした。それまでにもウルっとくるシーンはあったんですけど、そこで一番泣いちゃいましたね。一年応援してくれていたみなさんもきっと同じ気持ちになってくれるんじゃないかなと思います。

そしてTVや映画などこの作品を一本やってみて、楽しいこと、幸せなことが詰まっているって生きる希望になるんだなと強く感じました。生きる希望がなにより現状に打ち勝つ力になるからこそ、作り続けなきゃなと思わせてもらった作品でした。