――発災の瞬間のロケ映像は長らく放送せず、震災から6年半経って流しましたよね。

メディアが津波の映像を自粛したように、大きな揺れでみんなが驚いている映像を流してしまうと、フラッシュバックだったり、嫌な思い出が出てきてしまったりすると思ったんです。僕らは報道ではなく、バラエティ番組ということもあったので、ああいった映像の取り扱い方はより慎重になりました。

でも、TOKIOも僕らスタッフもみんな悔しかったのは、樋(とい)で雨水を集めて、壺でろ過して、手作りのタイルで作った台所につないで、野菜とかを洗えるシステムを作っていたんですけど、それがようやく出来上がって乾かしている頃にあの震災が起こったんですよ。あとは、樋を母屋の外にはめて、屋内の台所につなぐだけだったのに、全部チャラになっちゃったので、あまりにも悔しくて。その後も何回かDASH村に行くたびに母屋の中に入って、タイル製の流しと樋が残されているのを見ると、どこかでこのシステムを生かしたいという願望がずっとあったんです。

それから6年半経って、たまたま新宿DASHで、池の水をろ過するシステムとして使えたときに、ロケVTRの素材も含めて「あのときの苦労がようやく使えたな」と、報われた気持ちになれました。めちゃくちゃロケに時間かけてみんなで作ったのに放送しないのはテレビマンとして悔しいという、プロデューサーのいやらしい執念かもしれないですけど(笑)

  • 樋をつなげて使用する予定だったタイル製の流し(提供写真)

■すべての企画が“福島経由”で生まれる

――そのエピソードに象徴されるように、DASH村のノウハウが、「新宿DASH」や「DASH島」などに生かされていますよね。

下手したら「DASH海岸」もそうですし、今の番組の企画が全部、“福島経由”なんですよ。僕らスタッフやTOKIOが話して「これやろうよ」って生まれるのは会議室だったり、ロケ現場なんだけれど、「そういえばあのときDASH村でやったあれを生かしてみようよ」とか「DASH村で習ったあれやろうよ」とかいう発想なんです。本当に全部が“福島経由”で生まれるから、企画が統一されているのかなと思いますね。

――「災い転じて福となす」という言葉が合っているのか分かりませんが、福島のDASH村で活動ができなくなったことで、その技術がいろんな企画を通して全国に伝搬しているという印象もあります。

そうですね。もしあのままDASH村が続いていたら、巨大な温室でコーヒーやマンゴーを栽培していたり、乳牛を飼ってヨーグルトとかチーズを作ったり、栽培したブドウでワインを造ったり、養蚕をやってリーダーのお子さんの産着をシルクで作ったり……とか想像するんです。だけど今、あの場所ではできない。だからDASH島やDASH海岸、そして新宿DASHで夢の続きを実現していきたいんです。

『鉄腕DASH』が今もこうやって続いているのは、間違いなく福島のDASH村で、福島の先輩たちに様々な知識や経験を与えていただいたおかげです。TOKIOが広い世代に愛されるグループである理由の1つも、福島のDASH村にあると思います。きっとTOKIOが福島にあれだけ向き合っているのは、そこへの深い感謝があるからなのかもしれません。

■被災地のためにバラエティ番組ができること

――今年1月1日に放送された『ザ!鉄腕!元日!DASH!!』では、岩手県の三陸鉄道vsDASH自転車チームのリレー対決があり、福島だけでなく被災地に向き合っている番組という印象を受けました。

やっぱり福島にはなじみがありますが、今年は東日本大震災から10年ということもあるので、津波被害から力強く復活を果たした三陸鉄道に敬意を表して企画しました。震災を振り返って検証するというのは報道がやるものなので、僕らバラエティができる役割は、東北の人たちの強さだったり、立ち直って復興していくエネルギーのカッコよさだったり、この先に向かう希望を感じられるような側面をエンタテインメントとして見せることだと思うんです。

三陸鉄道も、震災の経験を生かして台風で被害を受けてもすぐ立て直して復旧するんだという粘り強さやカッコよさ、すごいと思わせるエネルギーの部分を見せたかったというのがありますね。これは、TOKIOといつも話していることです。

――福島の皆さんとは、DASH村を離れてから、どのようなお話をされているんですか?

最近はコロナで会えていないんですが、福島の皆さんはDASH村が始まったとき、TOKIOやスタッフにとっての兄貴分だったりお父さんみたいな感じで教えてくれる存在だったのが、ここ数年、福島市内でまた一緒に米作りをやるときは、もう農業をやる仲間というか、リーダーに至っては同志みたいな感じになっています。

その中で気付かされるのは、皆さんは「DASH村に戻りたいね」とか「あの頃が懐かしいね」という話ではなく、「来年はこんな米作りがしたいね」とか「こういうのを育てたいならこうしたほうがいいよ」とか、未来に向かった話をしているんです。それは、亡くなった三瓶明雄さんもそうで、「こうしていったほうがいいぞ」「諦めたらダメだぞ」と、常に前を向く姿勢を教えてくれました。

――図らずも、島田さんが意識されるバラエティ番組としての役割と、同じ方向を見ているんですね。

そうなんですよ。おじいさん、おばあさんたちが、みんな先々のことを話すんです。そこのエネルギーというのは、すごく感じますね。