お笑いコンビのマヂカルラブリーが、読売テレビのバラエティ番組『八方・陣内・方正の黄金列伝!』(14日16:25~17:30)に出演する。

  • マヂカルラブリーの野田クリスタル(左)と村上=読売テレビ提供

素人時代からテレビ番組のお笑い企画で優勝するなど、若くして才気煥発だった野田クリスタル。16歳の若さで別のコンビで吉本入りするも解散し、ピン芸人として活動していた。そして、07年に法政大学のお笑いサークルで活動していた2歳年上の村上からの誘いでマヂカルラブリーを結成する。

結成翌年には『M-1グランプリ』の準決勝まで進出する快挙を見せるも、仕事は全く増えない。ルミネなどの劇場にも立たせてもらえなかったといい、「吉本は僕らをナメている」と恨み節も。自分たちの笑いはとがっているので、ネタがスベってもいい、という考え方を貫き通し、テレビで活躍する芸人を「小器用芸人」と見ていた野田だが、『M-1グランプリ』で笑い飯の漫才を目の当たりにし、「自分たちより面白い人がいる」と圧倒的挫折を味わう。当時の鬱屈した2人の様子をトレンディエンジェルが証言する。

13年以降は『THE MANZAI』でも結果が出せず、仕事は月に1~2本というありさま。17年まで2人はバイトを続けていたという。その頃には、全力で受けるネタを模索するようになり、17年に大きな転機が。ついに憧れの『M-1グランプリ』決勝進出を果たす。しかし、結果は10位。さらに審査員・上沼恵美子に「よう決勝残れたな」とキツいダメ出しをくらうおまけつきだった。

大きなショックを受けた2人だったが、皮肉なことに知名度はグンと上がり仕事は10倍に。この複雑な状況に当時の幸せ不幸せグラフは乱高下し、野田いわく「測定不能」だったという。そのときの心境を表す、実母に送ったメールの一言が明らかに。

M-1で大恥をかいたことを糧に笑いへの情熱は一層高まり、努力の日々を送り、去年はまず3月に野田が『R-1ぐらんぷり』で優勝。そして年末には『M-1グランプリ』優勝で3年越しの雪辱を果たしたのだった。

そんな2人の自宅の様子を取材。ストイックな野田に対し、昔ながらの芸人イメージの生活を送る村上。全く違う2人の私生活が明らかになる。彼らと同じく埼玉・大宮の劇場で活躍するすゑひろがりずも2人の素顔を証言する。

M-1王者となり、以前とは違った王道の形で仕事も急増。野田は、今だからこそ、「小器用芸人」のすごさを痛感し、1回1回のテレビ出演を大事にしていると語る。そして今後は、『キングオブコント』でも優勝し、前人未到の“お笑いグランドスラム”を目指すと息巻く。