読売巨人軍で選手、スコアラー、査定担当、編成担当と多彩な役割を務めながら40年間を過ごした三井康浩氏。そのなかでもっとも長いキャリアとなったのがスコアラーであり、その活動期間は22年間にも及んだ。日本代表チームのチーフスコアラーを務めた2009年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第2回大会での優勝への貢献は、その経験が昇華されたものでもある。
世界一を経験し一時代を築いた「伝説のスコアラー」として知られる三井氏に、いまだ謎多き「スコアラーという仕事」について聞いた。
■謎多きプロ野球のスコアラー
三井氏が22年間にわたって務めたスコアラーという仕事は、その具体的な内容や組織のかたちについて、世間一般に伝えられることはなかなかない。だが、実際のスコアラーの仕事は、相手選手のデータ分析だけに終始しない、監督とコーチ、選手の隙間をデータとコミュニケーションで埋めていく作業であり、その職域は想像以上に広いものだ。
——単刀直入にお聞きしますが、スコアラーとは、どのような仕事なのでしょう?
三井 一言でいうと、チームが戦っていくうえで必要な情報を集め、それを分析した結果を監督やコーチ、選手に渡し、彼らの意思決定に活かしてもらう仕事です。
そして、スコアラーには、大きくふたつの部隊があります。まず、今後のカードで対戦する相手チームの試合を偵察する「先乗りスコアラー」と呼ばれる部隊。もうひとつが、チームに帯同して自チームの選手に関する情報を集め、先乗りスコアラーたちから送られてくる対戦相手のデータを組み合わせて分析を行い毎試合の作戦立案をする「チーム付きスコアラー」と呼ばれる部隊です。
先乗りスコアラーは、チームとは別行動をとり、他球団を丹念に観察してどのような状態にあるかを伝え続けることが仕事。チーム付きスコアラーは、選手に向けたミーティングを主導したり、試合映像を管理したり、試合中ベンチに入って必要なデータを監督やコーチ、選手に提供したりもするので、仕事の内容はかなり異なります。
——「チーム付き」の仕事は本当に様々で、責任も重大ですね。
三井 チーム付きは相手投手を分析する担当、相手打線を分析する担当にも分かれていて、わたしは相手投手を見ることが多かったですね。なかでも、試合中の投手の動作や映像を繰り返し見て、特定の球種を投げるときの癖を見抜くことを得意としていました。
とにもかくにも、相手選手のすべてをデータや癖から丸裸にしていく作業を徹底的に行うのが、スコアラーの仕事です。仕事の種類や量が多いうえに、時間にも追われるんですよ。
連戦中は、ナイターが夜の9時~9時半頃に終わって、翌日の午後のミーティングに間に合うように対策を立てたり資料をつくったりすることを考えると、その日のうちにデータを整理しないといけない。だから、家に着くのは深夜2時頃になることもありました。
次の日も午前中には球場にいって仕事の続きをしなければいけないわけですから、睡眠時間を削らざるを得ない。試合のない日は移動日となることも多く、シーズン中は完全な休日というのはほとんどありません。
現在はかつてに比べ効率化が図られている部分もありますが、体力勝負の仕事であることは変わらないでしょうね。
——スコアラーは各チームどれくらいの人数がいるのでしょうか?
三井 わたしがスコアラーを務めていた1980〜2000年代の巨人では、先乗りが4人程度、チーム付きが3人程度といった規模で職務にあたっていました。近年は各チームで先端機器を導入していますので、手に入る映像やデータの数や種類も増えてきています。その処理を担当する専任スタッフを雇用してスコアラーをサポートしているチームもあるので、実質的な規模はさらに大きくなっていると思われます。
——データ分析以外には?
三井 わたしは、キャンプ中や試合前の練習に毎日のように付き合っていました。松井秀喜や高橋由伸、二岡智宏といった選手と練習をともにしましたが、コーチでなくスコアラーという立場だからこそフラットに付き合えて、選手もいろいろとアドバイスを求めやすかったのだと思われます。
■長嶋茂雄さんの一言が、スコアラーの立ち位置を変えた
かつては球団の指示を受け、人知れずまるで忍者のように情報を集める役割のようなイメージもあったスコアラーだが、近年は監督やコーチを表舞台で支える存在へとイメージが変わってきていると三井氏はいう。
——スコアラーという仕事はいつ頃からあったのでしょうか?
三井 聞くところによると、スコアラーというものが誕生したのは1950年代だそうです。わたしは現役選手を引退し、1年間二軍マネージャーを務めた後の1986年からスコアラーになりましたが、正直、仕事の内容はまったく知りませんでした。
わたし自身が選手時代にあまりデータに興味を持っていなかったということもあるのですが……選手だったわたしが知らないくらいですから、世間にはその仕事ぶりがほぼ知られていない、文字通りの裏方仕事だったと思います。
——いまでは細かい仕事の内容は別として、スコアラーの存在についてはファンのあいだでも知られているようになりましたよね。
三井 わたしたちの世代が、スコアラーとして権限をもたせてもらうようになった1990年代頃から変わっていきました。ヤクルトの監督に就任した野村克也さんがデータをフル活用した「ID野球」を提唱し、実際に日本一になるなど結果を出したことも大きかったですよね。
それから、いまではスコアラーが試合中に必ずベンチにいますが、そのようなケースが広がったのもあの時代に起こり、そこで起きた変化もまたスコアラーの存在感を高めました。
実は「ベンチ入り第一号」になったのはわたしです。当時(1995年)、巨人を率いていた長嶋茂雄監督が決断したのです。きっかけは「10・8」決戦を経て巨人が日本一となった1994年のシーズン。中日とのデッドヒートを演じていた終盤戦の最中、低迷した打線のテコ入れを図ろうとわたしたちスコアラーに相手投手対策が託され、コーチが仕切っていたミーティングもまかされるという出来事が起きたのです。
そのときの成果が評価され、「スコアラーをベンチに置く」というプランが誕生しました。
フットワークを使って情報を稼ぐ側面もあるスコアラーにとって、移動を制限されるコロナ禍がもたらす影響は大きそうだ。だが三井氏は、そんな状況がもたらすプラス面にも目を向け「考え方によっては、いい機会にできるかもしれない」と見ている。
——スコアラーを務めていた頃は、開幕前のこの時期はどんな過ごし方をしていましたか?
三井 開幕前はとにかく忙しい時期でしたね。スコアラーにとって、キャンプからオープン戦にかけては貴重な情報収集の機会です。新しくチームに加わった選手がどんな選手かを調べたり、投手が新しい変化球を習得しているかどうかをチェックしたりするために、キャンプが始まると各地を飛び回っていたものです。
とくに投手が新しい球種にチャレンジしているという情報は是が非でもほしいところ。ピッチングの組み立てというのは、球種がひとつ増えるだけで大きく変わってくるからです。打者にとっての選択肢が増えるのはもちろん、新しい球種を意識することで、これまで打てていた既存の球種が打てなくなったりすることもめずらしくありません。
場合によってはまったく新しいイメージで打席に入ってもらう必要も出てくるので、できるだけ早めに情報を掴んで対策を立てます。
——キャンプで行われるトレーニングやオープン戦から、どれだけの情報が得られるのですか?
三井 新外国人選手などの新しく加わった選手については、練習の様子を実際に見れば、おおまかな力量はわかるので、警戒すべき選手を絞り込むことができます。マイナーからやってきた選手は、キャンプ、オープン戦と本気でチャンスを摑みにくるので実力がわかりやすく、スコアラーとしては分析しやすい傾向にあります。
ただ、メジャーからきた大物外国人は少しわかりにくい。なぜなら、そういった選手は調整も個々にまかされているし、開幕後もある程度の出場機会が保障されていることが多く、実力のすべてを出してこないことがあるからです。
——開幕まで手の内を見せないということですね。
三井 広島にいたジョン・ベイル(2004年~2006、2010年在籍)というピッチャーは、オープン戦までは140キロにも満たないストレートとシンカーしか投げていなかったので、「これは大丈夫だ。攻略できるだろう」と思っていたのですが、いざ開幕してみると……ストレートは150キロに達し、キレのいいスライダーなども交えてきて面食らったのを覚えています。
ベイルは一例に過ぎませんが、そんな化かし合いが日常茶飯事にあるのがプロ野球の世界です。
——プロ野球は今年もコロナ禍の影響のなかで戦われることになりそうです。スコアラーの仕事にはどんな影響が出ていると予想されますか?
三井 今年はスコアラーが各球団のキャンプ地を自由に動き回ることはできませんから、相手の情報が互いに得にくい状況が続くのでしょう。オープン戦での情報収集も例年通りというわけにはいかないかもしれませんしね。でも、もしかすると悪いことばかりでもないかなとも感じます。
——それは興味深いところです。たとえば、どんなメリットが出てくると思われますか?
三井 偵察に動けないスコアラーたちは、おそらく自分たちのチームに目を向ける時間が長くなると思うのです。そうなると、自軍の選手たちが現在どんな状態にあるのか、細かい部分を再確認することができるはずです。他のチームのことばかりを見ていると、自軍の選手のプレースタイルや状態の変化を見逃してしまうことがあるのですが、それはスコアラーが選手にプランを提案する際のずれにもつながる。
「あの選手はこういう打撃をする」「あの投手の変化球はこういう変化をする」といった目の前いる選手たちの特徴をあらためて見直すことは必ずプラスにつながります。それこそ、そういった特徴を摑むことで、なにか試合で活用できる作戦だって立てられるかもしれない。ここはぜひ、ポジティブに考えて戦ってほしいですね。
構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/秋山健一郎 写真/石塚雅人