WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)第2回大会で、世界一に輝いた日本代表を支えた伝説的スコアラーとしても知られる三井康浩氏は、選手、スコアラー、査定担当、編成担当といったさまざまな役割を務めながら、読売巨人軍で40年間を過ごした。その三井氏に、2000年代から2010年代にかけての巨人を「強打の捕手」として支えた天才打者・阿部慎之助について聞いた。

1990年代以降の巨人は、生え抜きの選手以外にもFAで多くの強打者たちを獲得してきたが、阿部はそうした打者たちのなかでももっともすぐれたバッターだったと三井氏は振り返る。

■松井秀喜が「勝てないかも…」とつぶやいた

2000年のドラフト会議で、中大からドラフト1位(逆指名)で巨人へと入団。キャンプから評判どおりの実力を示した阿部慎之助は、新人ながら開幕戦からマスクを被り127試合の出場を果たす。以降、キャッチャーという負担の大きなポジションを守りながら規格外の打撃力を見せ、高橋由伸や清原和博、小久保裕紀、李承燁、小笠原道大らと重量打線を構成した。2007年から2014年にかけては巨人軍の主将も務め、チームの中心選手としてプレー。

現役19シーズンで打率.284、406本塁打(球団歴代3位)、1285打点(球団歴代4位)を記録。また、8度のリーグ優勝と3度の日本一に輝くなど、V9時代以降ではもっとも強い巨人をつくりあげるうえで最大級の貢献を果たした選手である。2019年のシーズンをもって引退すると、二軍監督に就任。指導者としてのキャリアを歩みはじめている。

——阿部選手の最初の印象を覚えていますか? 三井 松井(秀喜)も、高橋(由伸)もひと目見てすごいバッターだと思いましたが、わたしが選手と接するなかで、もっともすごいと思ったのは(阿部)慎之助です。そもそも、松井や高橋たちも、1年目の阿部を見て驚いていたほどですから。

——阿部選手のバッティングを見て、実績のあったふたりが驚いていた?
三井 バッティングゲージの後ろで松井と一緒に阿部のバッティング練習を見ていたとき、「すげえな…。勝てないかもしれない……」と松井がつぶやいたんですよ。ほかの選手に対してなにかをいったりすることが極端に少ない高橋も、「こいつ、やばくない?」といっていましたね(笑)。

  • 2003年03月29日、阿部慎之助(巨人捕手)が中日戦で満塁本塁打を放つ。このとき24歳。(写真:毎日新聞社)

——超一流たちが衝撃を受けるのですから、あきらかに特別な選手だったということがわかるエピソードです。具体的に、バッターとしてどんなところが凄かったのでしょうか?
三井 そもそもの天才的なセンスがあって、そのセンスを存分に生かしたバッティングができる選手でした。プロのバッターは、ストレートを待っていたとしても、カットボールやスライダー、シュートといった、比較的速度の速い変化球は対応できます。でも、カーブのようなストレートとはまったく異なるタイミングで打つ必要がある遅い球種に対応するのはほとんど無理なのです。

でも阿部は、それをいとも簡単に打ててしまう。体が軟体動物のように柔らかく、体勢を崩されてもうまくボールをとらえ、遠くに飛ばすことができるのです。体が柔らかいバッターというのは少なくはないのですが、彼らはいろいろなボールに対応ができるものの、体の強さに欠け打球が飛びません。阿部はしなやかなのに体の芯には頑強さがあって、強い打球も打てました。

——確かに、膝を落とし低めのボールをうまく拾うなどして、ホームランを打っていましたよね。
三井 普通の選手ならまず狙わないフォークボールを狙って、あえて打っていましたからね。そんなことはプロの選手でもほとんどできません。スコアラーはチームのバッターの得意なコースを覚えているものですが、阿部についてはその印象がほとんどない。なぜなら、どんな球でも打ててしまうから、特別得意だったコースというものが思い浮かばないのです。

■リードについての厳しい声に苦しむも、気持ちの切り替えで対応

阿部慎之助が唯一苦しんでいるように見えたことといえば、ピッチャーのリードだ。圧倒的ともいえる打撃があるからこそ、なんとしてでも起用したいと考える首脳陣は、通常以上の速度で阿部の成長を望んでいた。

——バッティングでは最初から才能を発揮していた阿部選手も、キャッチャーのリードにかんしては若手時代にかなり厳しい指摘をされていましたよね。
三井 スローイングもキャッチングもよかったのですが、唯一苦しんだのはリードでした。

確かに若い頃の慎之助のリードは、スコアラーとしても思うところはありました。相手の考えの裏をかく意図の配球のつもりが、それを容易に予測され、相手の狙っている球を選んでしまったりしていて、まだまだ勉強する必要があるなと感じていたことは事実です。ただ彼は、ルーキーながら開幕スタメンに抜擢されるほどの絶対的な期待を背負っていたこともあり、短期間でリード面の成長を求められたのは酷だったと思います。

——バッシングに近い報道もあったように記憶しています。
三井 試合後には、コーチからもかなり細かく注意されていましたよね。工藤公康(現・福岡ソフトバンクホークス監督)のような、投球理論を持っていてキャッチャーを育てようという姿勢で向かい合うピッチャーもいましたから、慎之助もそれに応じる必要もありました。工藤からはイニングごとにベンチ裏に呼び出されて、いろいろと指導を受けていましたよ。

慎之助は強気な選手ですから、表面上はそこまで大変そうにしてはいなかったのですが、あるとき工藤が投じたボールを捕球し返すときにコントロールが乱れはじめたんです。あれは、「イップス」のような症状だったと思います。

——打撃では天才たちに絶賛されていた阿部選手ですが、同じ頃にそんな試練に向き合っていたとは。
三井 プロ野球選手ではなくても、似たようなことはありますよね。新しい仕事に就き、ある分野ではすごく評価を受けていい感じで働いていた。そんなときに、自分の苦手な分野の知識を豊富に持つ先輩と仕事をすることになって、自分ができない部分を冷静に、また繰り返し指摘される…。

そんなことがあったら、評価され少しいい気分になっていた自分が情けなくなったりすると思うのです。あのときの阿部も、もしかしたらそんな気持ちだったのかなと想像します。

——阿部選手は長いあいだそうした苦しみを抱えていたのですか?
三井 慎之助のことでよく覚えているのは、ロッカールームで自分の世界に入っている姿です。誰とも話さず、よくひとりでじっと音楽を聴いていました。いつもは明るい選手なのですが、あの場所にいるときだけはちがった。おそらく、気持ちを切り替え集中するためのルーティーンみたいなものだったのでしょう。

そういった自分の感情をコントロールする術も持っている選手でしたから、プレッシャーとのうまいつきあい方を徐々に習得していったように思います。かなり厳しく指導を受けた日でも、球場を出ていくときにはスコアラーたちに「お疲れっス!」と明るく挨拶をして帰っていきましたから。

——リードそのものは時間とともに改善されたのでしょうか?
三井 それはもう勉強したのでしょう。相手のバッターをよく観察したリードをするようになって、一気によくなったように思います。慎之助は、いろいろなバッターの形態模写(ものまね)がうまいんですよ。あれはバッターをよく観察していないとできません。形態模写が上手ということは、相手打者の観察も得意だったということなのだと思います。

■スコアラーのイメージを打席で実現してくれるバッター

そして三井氏は、スコアラーからの情報にも耳を傾け、指示を生かして結果を出してみせる天才でもあったと語る。捕手としての思い込みを打席に持ち込むことがなかったことも、成功の理由だった。

——スコアラーである三井さんの指示には、どんな反応をしていましたか?
三井 慎之助はスコアラーの指示をよく聞いて実践する選手のひとりでした。たとえば、「今日はシュート系で攻めてくると思う。でも、初球はカーブで入ってくることが多いので、それを狙うのも面白いかもしれない」というように伝えると、「じゃあ、今日はカーブを狙ってみる」なんて、明るく返してくれたものです。

狙い球を決めたら、基本的には我慢強くそれを待ってくれて、途中で変えたりすることも少ない。そして、その指示どおり打ってみせる技術もありました。

スコアラーにしてみれば、自分たちが描いたイメージをきれいに実現してくれるありがたい選手だったと思います。キャッチャーを務める選手は、打席で相手のキャッチャーも自分と同じような考え方で配球をすると思い込んで失敗することもあるのですが、打席での阿部はシンプルに相手バッテリーの考えを探ろうとしていました。それもまた、バッターとしての成功につながった要因です。

——キャッチャー以外の野手であれば向かい合わなくていい苦労をしながら、これだけの活躍をしたのだからやはり凄い選手です。もし彼がキャリアの後半で守った一塁手として野球人生を送っていたら、どれくらいのバッターになっていたと思いますか?
三井 キャッチャー以外の野手というのは、守りながらでも自分のバッティングのことを考えているものです。でもその時間、慎之助は必死にリードしていたわけですから、それは大変なことですよ。

これはもう想像に過ぎませんが、キャッチャーをやりながら406本塁打ですから、500本は当然のこと、600本という数字に迫るくらいの本数を打っていたのではないでしょうか。

構成/岩川悟(合同会社スリップストリーム) 取材・文/秋山健一郎 写真/石塚雅人