ウォール・オブ・サウンドの巨匠、フィル・スペクターが2021年1月16日、第2級殺人罪で服役中の刑務所から搬送された病院で新型コロナウイルスによる合併症で亡くなった。81歳だった。
フィル・スペクターの存在を知ったのは、やはりビートルズのレット・イット・ビーだった。1974年ビートルズを聞き始めた僕は、青版、赤版、レット・イット・ビー、リボルバーと後期中心に攻め込んでいった。当時のビートルズ本も読みあさっていた僕はレット・イット・ビーの成り立ちについて学んだ。そこで、プロデューサー、フィル・スペクターの偉大さを知った。プロデューサーがどんな仕事をするかは知らなかったけど。でもその時は特にフィル・スペクターを深追いすることはなかった。
その数年後、何の気なしにAMラジオを聞き流していると「ドン、ドドン」というバスドラムのビートで始まる、ものすごくヴォーカルの音圧の強い曲が流れ、一瞬で好きになった。ザ・ロネッツのビー・マイ・ベイビーだった。『ウォール・オブ・サウンド』に初めて触れた瞬間だった。すぐにシングル盤を買い、ペラペラのジャケット裏に書かれたクレジットでフィル・スペクターがプロデューサーで作詞・作曲にも関わっていることを知り衝撃を受けた。プロデューサーが曲作りまでやるなんて……。
ポール・マッカートニーは「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」のオーバープロデュースを嫌ってフィル・スペクターとは仕事をしなかったが、ジョージ・ハリスン、ジョン・レノンはソロでもフィルを起用している。ジョージ好きの僕としては「オール・シングス・マスト・パス」の共同プロデュースにより、ジョージの溢れる才能をよりゴージャスなサウンドに進化させてくれたことに感謝です。
特に「マイ・スウィート・ロード」のぶ厚い12弦のイントロ、ジョージの3声以上のコーラス、曲半ばの転調から入るバスドラ、タムの深いリバーブは聴いたことがない重厚感があった。痺れました。
こちらもフィル・スペクター、ジョン・レノンによる共同プロデュース作品。ヴォーカルに掛かったショートエコーが印象に残る。リンゴ・スターの淡々としてシンプルなドラムもいい。何よりもジョンの悲痛とも思える叫びが耳に残る。アルバム「ジョンの魂」に納められた「マザー」
強烈な人生を送った巨人が消えました。
60年代初頭のレコーディング技術の未発達な時代に、重厚なサウンド、オーケストレーション、多彩なエコー・リバーブで未体験の音を作り出したフィル・スペクター。偉大なプロデューサーのご冥福をお祈りします。