2018年、玉城ティナを輩出した芸能事務所・ディネアンドインディーが、次世代のモデル・タレントを発掘する「第2のたましろオーディション」を開催。対象は12歳から20歳までの女性、「未経験者も歓迎」という間口の広さで、宮城県在住の当時18歳・神南里奈は運命的な出来事が重なって見事グランプリを射止める。

それから2年。11月6日で20歳を迎え、芸能界でのやりがいや厳しさも日々実感している神南。悔し涙を流したあの日、そして恩人とも言える玉城ティナからの金言を胸に、今まさに女優として急成長を遂げようとしていた。

  • 神南里奈

    神南里奈 撮影:泉山美代子

■一度は諦めかけたオーディション

――デビューして2年が経ちましたね。

あっという間でした。事務所に入ってから半年ぐらいは地元の宮城で過ごしていて、オーディションがある時には東京に通っていました。高校卒業したタイミングで上京すると、一気に時間が過ぎたというか。仲の良い友だちはほとんど地元に残って、卒業して県外に行くのは私ぐらい。上京の前日、みんなで焼肉に行ったりしましたが、上京する日に仕事が入っていて時間もギリギリで急いでいたので、駅のホームで涙のお別れ……みたいなことにはならなくて(笑)。

最初は事務所の先輩と社宅で暮らしていました。もともと家事や自炊は実家でもやっていたので大丈夫なんですけど、やっぱり寂しいですね(笑)。3人きょうだいで私が末っ子。長女の姉、長男の兄はすでに自立していて、私も上京したので、今の実家には猫しかいないんです(笑)。

――親御さんは寂しさを感じつつも、送り出されたわけですね。

最初、オーディションを受けることは伝えていなくて、審査が進んで東京に行くタイミングで母には言いました。芸能の仕事に興味があることも一切見せてなかったのでビックリしていて(笑)。私が何かを「やりたい」と言ったのはその時が初めてだったので、すごく応援してくれました。

オーディションを受けるために夜行バスを予約したんですが、次の日と間違ってしまって……。気づいたのがバス停で、母に電話したら「明日の新幹線で行って来なさい」と。「ご縁がなかったのかな」とも思っていたんですが、母の言葉で諦めずに受けることができました。

■面接で確信「私は絶対に勝てない」

――高校の進路相談でも、「芸能の世界に進みたい」と伝えたそうですね。

ドラマや映画、ライブ映像などを観ていると、「みんな輝いていて羨ましいな……」「私もそうなりたい」と思い始めて。親にも友達にも言わず、Twitterで事務所のオーディションがあることを知って一度は勇気がなくてスルー。次に目にしたら応募しようと心に決めて、もう一度Twitterで目に留まったので思い切って応募しました。

――ほとんどの人は憧れのまま終わる職業。ずっと胸に秘めていたんですかね?

どうなんでしょうね……マンガや本はその主人公にひたすらなりきって読み上げたりしていたので、小さい時から興味はあったのかもしれません。でも、そういうことも恥ずかしくて、誰にも言えませんでした。

――高校生になると、周りは将来の夢や進路が徐々に明確になっていきますよね。

大学や就職とか現実的な進むべき道をみんなが考え始める中で、私は夜中に観たアイドルのライブが忘れられず、モヤモヤしていて……でも、何の仕事を目指せばいいのかも分からない。「どうしよう」「どうしたらいいんだろう」という焦りがありました。大学に行く選択肢はなくて、なんとなくどこかに就職するのかな……と。小さい子の相手をするのが好きだったので、母からは「保育士の資格を取ったら?」と勧められたこともありました。今まで何かを強制されたこともなくて、末っ子ですごく自由に育ててもらって感謝しています。

――そんな思いを抱えながらの事務所オーディション。手応えはありましたか?

3人ずつの面接で、みんなすごい特技を披露していました。歌がうまい人や5カ国語で自己紹介している人に、「私は絶対に勝てない……」と諦めかけていた中で、いよいよ自分の番。仏教高校に通っていて、私にしかできない「仏の顔マネ」をやったら、緊張が解けて吹っ切れたような感覚になって、「これはいけるかも!」と。ここにいる人たちとはもう二度と会わないだろうから、思い切ってやろうと決心できたんだと思います。

■あの日の涙が今の「ガソリン」

――初めてのオーディションでそこまで冷静なのもすごい!

もちろん心臓はドキドキです。でも、自分の出番になって椅子に座った瞬間にスッと冷静になることができて。半分諦めもあって、思い切ってやれたのかもしれません。周りの反応は覚えてないんですが、唯一社長が笑ってくれたのは覚えています(笑)。

数週間後、電話で「グランプリです」と言われて。突然言われたから意味がよく分からず、特別賞的なものなのかなと思って、「はい。分かりました」と電話を切りました。「グランプリだったみたい」と伝えると、母が「えー!?」とビックリして、そこでやっと理解できました(笑)。

レッスンを受けながら演技のお仕事を頂いてから、演技をすることの楽しさも少しずつ感じるようになりました。初めての映画『惡の華』では、有名な役者さんがたくさん出演されていて、現場では圧倒されてしまって。迷惑を掛けられないので冷静になることを心掛けていましたが、内心では「わーっ!」とパニック状態でした(笑)。

――昨年10月16日にインスタグラムに投稿した、「結局なにをするにも自分次第なんだよね」「自信をなくして羨んで悔しくて泣いたりするけどそこで終わりたくなくってそのモヤモヤたちがガソリンに変わって よしやってやる ってわたしを動かしてくれるからたまには悩んだりするのもいいのかもしれない」。悔しさや悩みが原動力になると実感したのは、いつ頃ですか?

上京してすぐの頃です。孤独でどうしていいのか分からなかった。自分ではしっかりと準備していったはずなのに、あるオーディションで何もできなかったことがすごく悔しくて。台本を読んでの審査でしたが、相手との方とも全く合わなかったんです。その日、マネージャーさんとお別れしたあと、そのまま家には帰れなくて、しばらく歩いていたら悲しくなって、涙が出てしまいました。でも、いつまでも落ち込んでもいられないので、切り替えるしかなかった。落ち込むけど、そこでしっかりと次のことを考える。それが今の私の原動力だと思います。

――デビューするきっかけにもなった玉城ティナさんは、どのような方ですか?

容姿はもちろんですが、その内面もすばらしくて。ご飯に連れて行ってくださった時に、「かっこいいところだけ見せるべきなんだろうけど、今日は自分の失敗した話をするね」と言ってくださって。「同じタイプの人はいっぱいいると思う。その中でいかに目立てるかが大切」だと教えてくださいました。いつも言ってくださるのは、「私は私しかいないから」。「私には誰もなれないし、私自身もほかの人にはなれない」という言葉はすごく心に残っています。

――神南さんにとっては、救いになるような言葉ですね。

そうですね。いつも励ましてくださいます。最初は、事務所の先輩の玉城さんにも失礼なことがあっちゃいけないと考えていたんですが、殻に閉じこもっていると自分自身のアピールもできない。そんな悩みもあったので、玉城さんの言葉で吹っ切ることができました。

――今後の目標は?

これから、もっとお芝居のお仕事に挑戦していきたいです。そして、観てくださる方の心を温められるような、そんな人になれればいいなと思います。

■プロフィール
神南里奈(かんなみ・りな)
2000年11月6日生まれ。宮城県塩釜市出身。2018年に「第2のたましろオーディション 」でグランプリを受賞し、芸能界入り。これまで、映画『惡の華』(19)、ドラマ『そして、ユリコは一人になった』(20)などに出演。