――“幾田りららしい成分”といえば、幾田さん自身が作詞作曲をされて歌うナンバーは、その成分が一番濃厚ですよね。そもそも幾田さんがシンガーソングライターになろうと思ったきっかけは何ですか?

私は、小さい頃から歌うことが大好きでした。家の中は、いつも音楽であふれていて、父はリビングでよくギターを弾いて歌っていたので、私も物心がついた頃には「歌手になりたい」と思っていました。明確にシンガーソングライターになりたいと思ったきっかけは、小学5年生の時に、父が母にホワイトデーで、曲をプレゼントしたことかなと。

――とても素敵なお父さんですね!

父がバレンタインのお返しで母に曲を作ってあげたいということで、歌詞を考えてほしいと母にお願いしたんです。それで母が歌詞を書き、それを父が作曲しました。そのやりとりを見て、自分で作る歌詞やメロディで作られた音楽は、すごく魅力的で温かいものだなと思ったので、その時初めてシンガーソングライターになりたいと思いました。

――実際にシンガーソングライターになれたのですから、ご両親はさぞかし喜ばれたのでは?

はい。ずっと音楽が大好きな家族でしたし、お父さんは特に「幾田家から音楽家が出たぞ」とすごく喜んでくれています(笑)。

――幾田さんはすでに12歳の頃から、作詞作曲をされていたそうですね。

小学校を卒業する時、外の中学校へ行ってしまう女の子に何かプレゼントをしたいなと思った時、曲を作ろうと考えて、初めて作詞作曲をしました。それで卒業式の日、学校へギターを持っていき、その曲を歌ったんです。今でも、自分の経験から曲が生まれますし、誰かの背中を押せたらいいなと、聴いてくれる人を想像しながら曲を作ることはけっこうあります。

――ブレイクされた今、プレッシャーなどが大きいのではないかと思いますが、なにか対処法はあるのでしょうか?

プレッシャーは、けっこう感じます。でも、例えば、ライブやコーディングがこの日にある、となると、その前日までにちゃんと精神的に落ち着けるようにと、自分でマインドコントロールするようにしています。

――まだ20歳ですが、すでにそんなマインドコントロールができるのですか?

マインドコントロールと言っていいのかどうかはわからないのですが、最終的に自分が崩れてしまうのが一番怖いので、我慢はせずに、一度プレッシャーを放出してしまいます。例えば、思い切り泣いてみたり、そのことを1人で抱え込まないよう、家族に相談したりして、1回外に出してしまう感じです。

――やはり、家族の存在が心の支えになっているのでしょうか?

家族もそうですし、小さい頃から仲がいい友達に会って、「最近どう?」といろんな情報を共有し合ったりもします。やはり、お仕事に向かう時は、120%くらいの準備をしたいという気持ちはあるので、そこに向けての葛藤や悩みは、事前に解決しておきたいんです。それには、一番身近な環境を変えないことが大切で、自分のことをずっと昔から変わらずに応援してくれる人たちにいい意味で甘えられると、そこから「よし、頑張って臨もう」と切り替えることができます。だから、自分が落ち着ける場所は、ずっと大事にしていきたいです。

――YOASOBIの原作小説『たぶん』の映画化作品も今年の11月13日に公開ですし、今後も幅広い活躍をされていくと思います。今後の目標についても聞かせてください。

YOASOBIとしては、まだ世にリリースしているのが5曲だけなので、今後も新しい曲が出るたびにわくわくしてもらえるようなユニットであり続けたいと思っていますし、私はボーカリストikuraとして、主人公になりきって歌えるように、努力をし続けていきたいです。ソロとしては、今回のように、幾田りらとして求められたら、真摯に向き合っていきたいですし、自分のソングライティングもどんどん発信していきたいとも思っています。とにかくすべての方向に頑張っていきたいです。

■幾田りら(いくた・りら)
2000年9月25日生まれ、東京都出身のシンガーソングライター。アコースティックセッションユニット「ぷらそにか」のメンバー、小説を音楽にするユニット「YOASOBI」のメンバー(ikura名義)としても活動