書籍『世界を変えた微生物と感染症』(税込1,650円)が発売された。編著者の左巻健男氏は、感染症を引き起こす微生物、感染症と人類の関わりについて、学校で学ぶ内容よりやさしく伝えたかったという。今回はマイナビニュース読者のために、同書のエッセンスを紹介してもらった。

  • 感染症の怖さを正しく理解していますか?

新型コロナウイルスの次がないとは限らない

新型コロナウイルスは、SARS(重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)など、いずれもふつうの風邪を引き起こす「コロナウイルス(Cov)」の仲間である。SARSやMERSもウイルスも見つかった当時は新型コロナウイルスとされ、国境を越えて流行した。

しかし、日本で感染が広がることはなかった。インフルエンザもそうだが、人類はこれまでに何度も感染症のパンデミックを経験してきた。

人間は、物事を忘れやすいという一面がある。しかし、天災やパンデミックを起こすような感染症は忘れた頃にやってくる。まさに、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックは忘れた頃に世界を襲った。第二、第三の新型コロナウイルスがこれからも発生しないとは限らない。

そこで、感染症を引き起こす微生物、感染症と人類の関わりについて、基本から考え、高校理科だけではなく、中学理科が苦手だった読者にも分かりやすく書いてみようと思った。いつも基本に立ち戻って、土台を固めておくことが、いざというときに備えるためにも、地道でも一番有効なことだと思うからだ。

海外では感染症は当たり前に存在する

コロナ禍で今年は旅に出かけることが難しくなったが、私の趣味は「国内外放浪」だ。今年1月にはインドを旅して、これまで何度もツアーに参加して見られなかったベンガルタイガーを、やっと見ることができた。インドで、ときには、今では日本では珍しい感染症の患者たちを見た。路上の物乞いには、後遺症を露わにして同情を買う場合があるようだ。

例えば、本書では扱わなかったフィラリア症。糸状の寄生虫フィラリアが人のリンパ管やリンパ節に寄生し、体の末梢部の皮膚が硬化して「象の皮膚」のようになったり、陰嚢に水がたまって赤ちゃんの頭くらいに腫れ上がったりしている人がいた。

現在、わが国では人のフィラリア症は見られないが、江戸時代には蔓延していた。西郷隆盛も晩年は陰嚢が人の頭大に腫れ上がっていたという。

また、ゲストハウスで日本人旅行者がマラリアにかかって入院中という話は何度も聞いた。マラリアも、現在、国内では見られないが、実は流行が終息したのは1950年代だ。戦争中には沖縄戦で石垣島の住民ほぼ全員が感染して3,600人が亡くなっている。

第二次世界大戦中、日本軍はほとんどマラリア対策を講じなかったので、ガダルカナル戦で1万5,000人、インパール作戦で4万人、ルソン島では5万人以上がマラリアで亡くなった。敵との交戦による死者の何倍もが感染症でなくなったのだ。

私はインドを旅する時、蚊に刺される度にマラリア罹患を恐怖した。

先進国では制圧されたマラリアは、今も、しぶとく流行地域では猛威をふるっている。不気味なのは治療薬や殺虫剤が効かない耐性マラリアの増加だ。マラリア原虫に対する現在の薬剤など一時的な気休めにすぎないようにも思える。そして、温暖化による媒介蚊の生育地域拡大も懸念されている。

微生物と人との関わり

アオカビの絞り汁から世界最初の抗生物質ペニシリンが発見され、さまざまな抗生物質が使われるようになると、人類は細菌による感染症に勝てるのではないかと思われた。ところが、薬剤耐性細菌が次々と登場。薬剤耐性細菌による死者は、低く見積もっても世界で毎年70万人にのぼるといわれる。

もし薬剤耐性細菌に何の対策も取らなければ2050年には世界の年間死者数が1千万人を突破し、がんの死者数を上回る可能性があるという。

私が微生物や感染症に注目する時、こうした経験が頭に浮かぶのだ。人類は17世紀に初めて顕微鏡で細菌を見た。19世紀に感染症の原因となる細菌を発見した。19世紀末にふつうの顕微鏡では見ることができないウイルスを発見した。野口英世はウイルス学の時代が来る直前に細菌学の知見と技で躍起になり、結局は黄熱病の病原体を見誤り、悲劇の死をとげた。

微生物の世界の探究によって、少しずつその世界が明らかになってくると、ウイルスや細菌などの微生物の多くは私たちを病気にしないし、1人の人間の体に無数の微生物がすみ着いていることが分かってきた。

30年くらい前まで人の腸内の細菌数は10兆匹といわれていた。今や100兆匹、研究者によっては1,000兆匹ともいわれる。人の常在菌は腸内だけにいるのではない。人の細胞数37兆個(60兆個ともいわれる)と比べてみると、人の常在菌はずっと多い。「人間とは何か?」という問いに「それは微生物だ」という答えもあり得るのである。

私たちが生きている時、微生物はさまざまに関わっている。その一端は学校理科で学ぶが、微生物の世界はもっと広く、驚きに満ちている。微生物は、人間が生きていく時、とても大切な存在なのだ。

執筆者プロフィール:左巻健男(さまき・たけお)

東京大学講師。理科教育者・科学啓蒙文筆家。『RikaTan(理科の探検)』誌編集長。東京大学教育学部附属中・高等学校(現中等教育学校)、京都工芸繊維大学、同志社女子大学、法政大学教職課程センター教授などを経て現職。
著書に『世界を変えた微生物と感染症』(祥伝社)、『図解 身近にあふれる「微生物」が3時間でわかる本』(明日香出版社)、『暮らしのなかのニセ科学』『学校に入り込むニセ科学』(平凡社新書)、『面白くて眠れなくなる人類進化』(PHP研究所)など。