厚生労働省の「平成30年労働安全衛生調査(実態調査)」によると、2017年11月1日~2018年10月31日にメンタル不調により連続1カ月以上休業した労働者がいた事業所の割合は6.7%(受け入れている派遣労働者は含まれない)だそう。

社員のメンタルヘルス対策は企業の重要な課題の一つ。現場でその役割を担っているのが上司だと思いますが、この厳しい時代、変化の激しい時代の中では、なかなかうまくいかないことも多いのではないでしょうか。

そこで、日本スポーツメンタルコーチ協会代表理事で、プロアスリートやオリンピック出場選手のメンタルコーチを務めている鈴木颯人さんに、部下のメンタルの高め方や、コミュニケーションのコツについてお聞きしました。

  • Re-Departure 代表 日本スポーツメンタルコーチ協会代表理事 鈴木颯人さん(写真:マイナビニュース)

    Re-Departure 代表 日本スポーツメンタルコーチ協会代表理事 鈴木颯人さん

思い込みの蓋がやる気の妨げに

鈴木さんがこれまでに向き合ってきたアスリートは1万人。競技の幅は50~60種にも及ぶ。実はルールがよく分かっていない競技もあるとか。鈴木さんは、一体どうやってそれほど多くの人たちのやる気に火をつけてきたのでしょうか。ポイントは、アスリートの心理的な「思い込み」の蓋を取り除くことだと言います。

「アスリートはよく、ある特定の場面で、無意識に自分の行動を制限してしまうことがあります。例えば、練習では調子がいいのに、試合だと結果が残せない。野球だったら、普段は一球目からバットを振れるのに、試合になるとできないなど。

それはどうしてなのか。深く掘り下げて話を聞いてみると、監督に怒られたくないとか、ここで必ず自分が結果を残さなければならないと思っているなど、その人にしかない思い込みというか、その人自身の考え方や思考パターンが、結果的に自分を苦しめているということがよくあります。

練習したら結果が出る、というのはある種の思い込みになるのですが、ある年齢に達してくると、『練習しても結果につながらない、自分の信じている価値観が必ずしも結果に結びつかなくなる』ことがあるのです。昔はその思い込みでよかったかもしれないけれど、時の流れと共に、その価値観を変えていかなければならない。そのことに、自分で気付かないといけないんですよね。

逆に言うと、いい選手というのは、常に時代にあった思い込みを持っているんです」。

仕事もそうですが、過去の成功体験は良くも悪くも本人に強い影響を与えます。そこに囚われると、その思い込みを変えるのはすごく大変。鈴木さんは、いろいろな質問や問いかけをすることで気付かせてあげ、「自分にはこういう思い込みがあるんだな」ということを知ってもらう、認知の作業を大切にしていると言います。

ギャップを意識することから始める信頼関係の構築

鈴木さんは、望む結果にたどり着くためのメンタルコーチングを行うと同時に、その周りにいる人々、例えば、監督やコーチ、マネージャーなども含めた、「チーム全体の円滑な人間関係の構築」のサポートも行っています。そうしたときに重要視しているのが、人と人の信頼関係なのだそうです。

「とくに今の若い世代は、自分で考える能力も発信する能力も高いと思います。でも言わない。なぜかというと、『失敗したくない、怒られたくない』から。そうした心の思いをいかに引き出してあげるかがポイントで、その時、重要になってくるのが信頼関係。それがないと、自分がどんなに正しいことを言っていても、相手はその言葉や意見を受け入れませんよね」。

これは、ビジネスの世界でもよく聞かれること。では、信頼関係はどうしたら築けるのでしょうか。大切なのは、相手との違い、ギャップを意識することだと鈴木さんは言います。

「会話が通じないとよく言いますが、それは相手の世界が分かっていないということ。僕も常々気を付けなきゃいけないと思っているのですが、自分の見ている世界と相手に見えている世界が同じだと思うのが間違いなんですよね。

ビジネスの世界において、現場にいる部下の人たちは時代の流れに沿った物事の考え方をしているけれど、上司たちはずっと昔の価値観のままというのは、よく聞きますよね。スポーツの世界も同じなんです。

僕は、知らないことや分からないことは、選手に直接聞くようにしています。自分一人で調べて分かったような気になっていても、それはただの知ったかぶり。聞けばちゃんと説明してくれますし、それが、良いコミュニケーションになり、信頼関係の元にもなると思います」。

  • 相手との違いを意識することが大切だと話す鈴木さん

    相手との違いを意識することが大切だと話す鈴木さん

監督が選手を、また上司が部下を動かす時の注意点は、自分の成功体験に根ざした発言は避け、言ったとしても参考程度に留めること。ましてや、背中を見せるなんて時代遅れ。ギャップを個性と捉え、相手と違う部分を認識したうえで、どうすればより良い方向に導けるのかを考え、対話する。その繰り返しによって、人間関係という"幹"ができ、より良いアドバイスという"水"が相手に浸透し始めると鈴木さんは話します。

「頑張って」は部下のメンタルをマイナスにする?!

では、上司が部下のメンタルを高めたい時は、どんな声かけをすればいいのでしょうか。逆に、部下のメンタルをマイナスにしてしまう言葉とは。鈴木さんに聞いてみました。

「スポーツの現場では、選手に、『私に頑張ってと言わないでください』と言われてマネージャーが困惑したという話がありますが、ビジネスにおいても、『頑張って』や『期待しています』はあまり言わない方がいいと思いますね。

うつ病の人に『頑張って』と言ってはいけないという話があるのですが、『頑張って』とか『期待しています』という言葉には、寄り添い感がまったくないんですよね。逆に、僕はあえて相手を突き放したい時にこの言葉を使います。

その人を自立に導いていくっていうことを考えると、突き放していかなきゃいけないタイミングも絶対にあると思うんですよね。厳しいですけれど、ちょっと甘えてきたり、尻込みして一歩を踏み出さなかったりする時には、笑顔で『はい。頑張ってね』と言います」。

選手には、「『頑張って』って言ったら突き放したっていうことだからね。覚えておいてね」とあらかじめ伝えているので、そう言われるとハッと気が付き、変わるのだそう。

部下の気持ちを高める声かけは、抽象的な一言ではない。頑張ってという言葉を言いたくなるのは、上司が他力本願になっている証拠。具体的なことを言えないのは、相手のことを十分に理解できていないからでは?と鈴木さんは話します。

良い声かけとは

一方で、上司が部下を見ていて「どうしてできないのか」と思うこともよくあると思います。そんな時にはどんな声かけが有効なのでしょうか。

「もちろん僕も、そう思うことはよくあります。でも言葉には出しません。一般的なコーチングでは、『どうしたらできると思う?』という質問を投げかけるのですが、僕はそれもあまり使いません。その代わりに、『何かあった?』と聞きますね。その人が今何を考えているのかを知ろうとする。その姿勢がポイントだと思います」。

忙しい日々、思い通りにことが進まないと、思わず自分の思いや言いたいことを先に発してしまいたくなるもの。でも、鈴木さんはこう言います。

「急がば回れ。ぐっとこらえて相手の思いや意見を聞けるかどうかで、結果的に、命令なしで人を動かし、長期的な成果を生み出すことにつながるのではないでしょうか」。

取材協力:鈴木颯人(すずき・はやと)

1983年、イギリス生まれの東京育ち。スポーツメンタルコーチ。Re-Departure合同会社代表。一般社団法人日本スポーツメンタルコーチ協会代表理事。モチベーションをうまく引き出すコーチングを通じて、競技・プロアマ・有名無名問わず、パフォーマンスを激変させるアスリートを続出させているほか、指導者や選手の親、ビジネスマンへのメンタルコーチも好評。著書も多く、最新刊は『最高のリーダーは「命令なし」で人を動かす』(KADOKAWA )。