――そういった方々の支えもあって、ヤマグチさんは立ち直ったわけですね。今回、再び「ヤマグチクエスト」名義で活動するに至ったのには、どんな心境の変化があったんでしょうか。

板川さんや酒井さんなどに声をかけてもらってはいましたが、正直この世界に戻る気はありませんでした。今の生活のまま、普通に死んでいけばいいかなくらいの気持ちだったんです。

でも友達が「お前がメディアから消えた後も、"ヤマグチクエスト"という名前を出してくれている人がいる。お前ってやっぱりすごいんだな」と言ってくれて、怖さがありつつもネットを見たら、「もう1度プレゼン聞きたい」「戻ってきてほしい」というたくさんの好意的な声があって、それがすごいうれしかったんです。

それで、どうせこのまま死ぬんだったらもう一度頑張ってみようかなと思い活動再開を決断しました。ずっと『勇者』でもいじってくれているなか、「どこかで区切りをつけなきゃいけない」という思いもありましたね。名義を戻したのは、今も応援してくださっている方に一番伝わる名前が"ヤマグチクエスト"だと思ったからです。割と気に入ってましたし(笑) 。

――ヤマグチさんがよく出演されていたプレゼン企画では、現在はペンギンズのノブオさんがご活躍されています。その点についてはいかがでしょうか。

僕が出なくなった後、1回ノブオさんとお会いする機会がありました。そのときに「ヤマグチくんはすごいね。本当に頭良いね」と言っていただきました。本当に人間ができてる方ですよね。ノブオさんのプレゼンはほとんど見れていないんですが、ノブオさんとの違いを出さないといけないですし、今後はちゃんと見ないといけないなと思います。

――そういった意味では、ヤマグチさんが再び『勇者ああああ』に出演されることはあるんでしょうか。

もちろん出演したいですが、出られたとしても、ただプレゼン企画では面白くないでしょうし、たぶんめちゃくちゃにいじられてしまうかもしれないですね(笑)。でも、あの番組には本当に心から感謝しているので、いつか呼んでいただけたらうれしいです。

■『勇者』がなかったら「とっくにお笑いを辞めていた」

  • ヤマグチクエスト

――そもそものお話になりますが、『勇者ああああ』にはどんなきっかけで出演するようになったんですか。

僕はもともと『M-1』などの影響で漫才をやりたくて、中高の同級生と「ボスマジック」という漫才コンビを組んでたんですけど、2016年の夏ごろに相方の事情で休止することになり、そのまま2017年の3月に解散しました。

僕は漫才をやりたくてお笑いの世界に入ったので、ピンでやる気はまったくありませんでした。でも当時の事務所の人から「4月からゲームの新番組が始まるからオーディション受けてみろ」と言われたのが『勇者』だったんです。

ピンネタもないので、オーディションではただゲームの話をしてたんですけど、板川さんがすごく面白がってくれました。「好きなゲームなに?」と聞かれたので、「リンダキューブです。これはこういうゲームで、こういう内容で~」と話したら、「これ、このまま企画にしようか」とスタートしたのが、あのプレゼンコーナーです。

――では、オーディションに合格していなかったら、お笑い芸人を辞めていたんですね。

そうですね。『勇者』がなかったら、僕はとっくにお笑いを辞めてました。『勇者』に出た後、ありがたいことにとんでもなく反響があってポンポンと仕事が決まりました。なのでなにもネタもないまま、ただゲームを紹介する人間としてお仕事をいただけるようになった、という感じですね。

――今後、「ヤマグチクエスト」として新たに活動していきたいことをお聞かせください。

「漫才で売れたい」という夢が叶わなかったこともあって、以前活動していたときは、特別な目標はありませんでした。そういう意味では、自分の将来と向き合えた良い1年半になったかなと思います。

今は、応援してくれている方々が喜んでくれるなにかを作り続けたいと思っています。ゲームのプレゼンだけでなく、ゲームの記事を書いたり、e-Sportsの解説などもまたやりたいですね。フリーになったことでより自由に活動できますし、いろいろな可能性を探っていきたいです。

■ヤマグチクエスト
1989年11月17日生まれ。中学時代の同級生と漫才コンビ「ボスマジック」を結成し、ツッコミを担当していた。2017年3月末に解散し、ピン芸人に。ゲームの知識を活かし、『勇者ああああ』(テレビ東京)のプレゼン企画コーナー「ゲーマーの異常な愛情」に出演し、知名度を上げる。その後、所属事務所を退所。9月からヤマグチクエスト名義での活動を再開した。ツイッターアカウントは@yama_quechan