『とくダネ!』メインMCの小倉智昭

――最初に退社を相談したのは、小倉さんですか?

そうですね。去年の6月くらいにお話ししたんですが、小倉さんに「応援するから、その決断は間違ってない」と言われたことも大きかったですね。妻にも話したんですが、小倉さんと同じことを言ったんですよ。それは「5年遅い」って。5年前は50歳くらいでしたが、その頃は『とくダネ!』でもガンガンやってましたし、辞めようなんてこれっぽっちも思わなかったんですけど、「そんな時こそ勝機がある」って言うんですよ。でも、自分は“長いものには巻かれろ”タイプの人間だから、何も思わなかったんです(笑)

――小倉さんや奥さまの声が、決断を後押ししたんですね。

実は、山下達郎さんにも後押ししてもらってるんです。高校時代から大好きで毎年、達郎さんのコンサートに行ってるんですけど、去年のコンサートのMCで、達郎さんが「若い頃からやっていた全国ツアーを一度やめたんだけど、55歳のときに一念発起して再開したら、そこからまた新しい自分の人生の歩みになった」と言ってたんですね。私はちょうど55歳だったので、「やっぱりそうなのかぁ、辞めるかなぁ」って(笑)。さらに同じ頃、『SPA!』で“55歳の決断”みたいな見出しの特集記事もあって(笑)

――もうこれは運命ですね(笑)

そういういくつかのことが重なって小倉さんに相談したんですけど、私としてはずっと小倉さんのもとでお世話になってやってきたので、会社を辞めるからといって小倉さんからも離れるのは寂しい思いがあったんですね。そしたら小倉さんが、自分の所属する事務所に相談してくれて、社長さんがもう喜んで「来てくれ!」って言ってくれたのも大きかったです。自分をこうやって求めてくれる人がいるんだというのが分かって、フリーになる決断ができましたね。

――それでも、『とくダネ!』まで卒業したのは、あらためて大きな決断でしたよね。

『とくダネ!』はフリーになっても続けられるかな…という思いもあって、本当に最後まで悩んだんですけど、自分がこの組織の中で危機感を覚えて辞めるわけだから、「『とくダネ!』は続けます」だったらフリーになる必要がなくなってくるし、何より覚悟というものが見えない。たしかに、地上波の帯番組でレギュラーを持ってるっていうのは、タレントの価値としてとてもとても大事なことなんですが、私の方から「降ろさせてください」とお願いしました。

――退路を断つ、と。

そうそう、全くその通り。小倉さんは「もし笠井が続けたいんだったら、俺がなんとかしてやってもいいぞ」と言ってくれたんですけどね。あの人はテレビでは意地悪そうに見えるけど、本当は心優しいおじさんなのよ!(笑)

――『とくダネ!』最後の出演では、思わず涙ぐんでいましたね。

原因は、小倉さんです(笑)。打ち合わせのときは、「笠井君が泣かない!って主張するときは、必ず泣いてるから」って周りを笑わせていましたが、いざ、本番の花束贈呈のときになったら、最初に小倉さんが涙ぐみ始めたんです。とても珍しく、私もスタッフも誰も予想していなかった展開で、心動かされてしまいました。20年お世話になった番組を去るのって、自分から決めたこととはいえ、やはりつらいものがありましたから。ただ、いつもなら泣き崩れるところ、今回はこらえて立て直しました。56歳退社で、ビービー泣いていたら、まじめに恥ずかしいですからね。家族には「よく耐えました」と褒められましたよ。

■親友・軽部アナとは“死ぬまでコンビ”

  • 『男おばさん!!』笠井信輔アナ(左)と軽部真一アナ (C)フジテレビ

―― 一方で、軽部アナとエンタメの話題をトークする『男おばさん!!』(CS・フジテレビTWO)は続投になりますね。

退社することは、小倉さん以外だと、軽部さんだけに相談したんですが、まず「『男おばさん!!』はどうするの!?」って言われましたから(笑)。もう19年やってるんですけど、自分の中でライフワークになっている重要な番組なので、フリーになっても続けたいということをお願いしました。1人がフリーになって、1人が局アナというコンビになるから、いろんな難しい交渉やハードルがあったと思いますけど、それを乗り越えて継続が決まったんです。軽部さんは会社の先輩であり親友でもあって、このコンビネーションはやっぱり崩してはいけない、崩れるときはどっちかが死ぬときだと思ってるくらいなので。

――やはり、得意分野の映画・演劇関連の仕事を今後の1つの柱として考える中で、『男おばさん!!』はベースになっていくんですか?

当然そうなりますね。そんな中で、東京国際映画祭のオープニングセレモニーの総合司会をここ3年連続でやらせてもらっているんですが、フリー宣言したので、今年もオファーが来るかどうか…って思ってたんですけど、無事お話が来たので良かったです。でも、これからはイベントや番組のゲスト、あるいは講演など、どんなことでもやっていこうと思っています。情報番組・報道番組の世界でずっとやってきて、実はバラエティはそんなに経験がないので、オファーが来たら当然喜んでやろうと思いますし、いろんなことにチャレンジしていきたい。

――金曜日にレギュラー出演していた『バイキング』はニュースを取り扱う番組ですが、スタッフはバラエティ番組を作る第二制作室なので、空気感など体感できたのではないでしょうか。

『バイキング』を最後にできたのは、面白かったですね。バラエティ的な感覚のトークが展開されるので、坂上(忍)さんを見ながら「あぁ、こうやるんだ」みたいな勉強もできました。みんな坂上さんの巧みな話術に「そうですね」って持っていかれてしまいますけど、自分はチャンスがあればツッコんでいこうというスタンスでやっていたので、ライオンコーナーの金曜日だけは、ちょっと違うテイストが出せたかなと思ってます(笑)

■パンツ一丁で踊るオファーが来たら…

――フジテレビ時代にも、『ちびまる子ちゃん』の実写版ドラマや、映画『ゴジラ』シリーズに出演されていましたが、映画や演劇のキャストという挑戦はいかがですか?

それは声がかかればチャレンジしたいです。局アナでやっているときはどうしても制約があったので。俳優になりたいわけではないですが、「ウエルカムでやりますよ!」っていう感じですね。

――女性では八木亜希子さんを筆頭に、加藤綾子さんや田中みな実さんなど、フリーになったアナウンサーの皆さんが次々に役者業に挑んでいますよね。

八木が一番びっくりですよ! どちらかと言うと「そんなに一生懸命働きたくなーい」っていう感じでしたから(笑)。早稲田のミュージカル研究会だから舞台に立つ素地はあったんだろうけど、そこの才能に気づく人がいるんだなあと思いましたね。自分も「笠井信輔」というもので何かいろんなことを試してもらえたらいいなと思います。「もう56歳なのでそんなことはいたしません」ってならないとは言い切れないけど、気概としてはそうなんです。ただ、「日テレの大みそかの『笑ってはいけない』でパンツ一丁で踊ってくれ」って言われたら、そこはすごく悩むわけですよ。あれはたしかにオイシイですけどね(笑)

――視聴率も高いからみんな見てますし(笑)

フリーになると、そういったいろんな選択があるんでしょうね。それでうまくいけば次があるだろうし、テレビの視聴者やラジオの聴取者、あるいはイベントの観客やプロデューサーがどういう部分を見てくれるのかを意識しながら、自分の力やパフォーマンスを発揮できるような形でやっていきたいと思います。

先日、今年の山下達郎さんのコンサートがあって、楽屋あいさつに行って「去年の話を聞いて、背中を押された気がしたんです」って言ったら、達郎さんに「そういう歳だよね。収入倍増だね!」って言われて(笑)。「そんな簡単じゃないですよ!」ってツッコミを入れたら、「大丈夫大丈夫」って言ってくれたので、その言葉を糧に支えにやっていくしかないなと、毎日達郎さんの歌を聴きながら思っています(笑)

――退社して早速、元同僚の宮瀬茉祐子アナが出演するTOKYO MXの『モーニングCROSS』でフジ他局初出演を果たされましたが、今後決まっている出演予定を教えてください。

5日にTBSラジオの『ナイツのちゃきちゃき大放送』に、7日に文化放送の『くにまるジャパン 極』、10日にニッポン放送で安東弘樹君の『DAYS』、15日にAbemaTVの『AbemaPrime』に出ます。ナイツさんのラジオは芸人さんとの共演なので、勝負ですね。でも、あまりシャカリキになりすぎると、年甲斐もなく…と思われるなあとか考えて、どういう立ち回りがいいのか、自分の中でもまだ決まってないです。安東君もTBSを辞めてから頑張ってるなと思うので、フリーアナウンサーの先輩に秘けつを聞いてみたいですね。

●笠井信輔
1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、87年フジテレビジョンに入社し、『おはよう!ナイスデイ』『タイム3』『今夜は好奇心!』『THE WEEK』『FNNニュース555ザ・ヒューマン』『とくダネ!』『男おばさん!!』『バイキング』など、報道・情報番組を中心に担当。19年9月で同局を退社し、フリーアナウンサーとして活動する。