タレントの長嶋一茂が、きょう18日に放送されるフジテレビ系番組『直撃!シンソウ坂上 2時間SP』(19:57~21:54)で、知られざる親子の思いを語る。

  • 『直撃!シンソウ坂上』に出演する長嶋一茂=フジテレビ提供

今回は、番組MCの坂上忍が一茂に直撃インタビュー。さらに一茂のプライベートに独占密着することで、国民的スーパースター・長嶋茂雄の息子の素顔に迫る。

坂上のインタビューは、都内一等地にある一茂の個人事務所で実施。「人からどう見られているかって考えた時に、おそらく長嶋茂雄の息子として何不自由なく育っている人間だっていうのが第一に絶対くるわけですよ」と自己分析した一茂は、偉大すぎる父親との関係を告白していく。

父の影響で小学生から野球を始めた一茂の記憶では、父は世間のイメージと異なり、家では寡黙だったという。早くから家を出て学校の寮に入った一茂は、家族全員で食事をした記憶も、家族全員で旅行に行った記憶もないという。

幼少期から父に対しては親子でありながらも遠い存在だと感じていたが、プロ野球の世界に入り、一茂が最初につけた背番号は父と同じ「3」。国民的スターである父の存在を、まさに背中に背負いながらのプロ生活で、プロ入り6年目には、父が監督を務めるジャイアンツに移籍したが、父と会話を交わすことはほとんどなかったという。

故障が原因で2軍生活が続いた一茂は、30歳でジャイアンツから戦力外通告を受けて引退。この時、一茂に引導を渡したのが父・茂雄だったことが明かされる。「あの長嶋茂雄の息子として、これで良かったのかなという思いはすごくある」と胸中を吐露する一茂が、知られざる親子のエピソードを語り尽くす。

一茂は今回のインタビューで、12年前に他界した母・亜希子さんへの思いもテレビ初告白。幼少期、誰よりも一茂と多くの時間を過ごしてくれた亜希子さんは、一茂がドラフト1位指名を受けても「あなたは2軍からスタートしなさい」と厳しい助言をしたという。当時の一茂はこの助言に聞く耳を持たなかったが、わずか9年後に引退する際に自分がプロ野球の世界を甘く見ていたことを実感、母の言葉を素直に受け入れることができなかったことを強く後悔したという。

現役引退後、一茂は芸能界に進み、俳優業にも挑戦。08年には自ら主演、さらには製作総指揮まで務めた映画『ポストマン』が公開された。身銭をきってまで製作し、結果的に大赤字となってしまったこの映画には、一茂がどうしても亜希子さんに見せたいという執念が込められていた。その背景にあった小学1年生の学芸会での出来事とは…。

また、一茂は現役引退直前の30歳で「パニック障害」に襲われたことも告白。当時は狭い空間に入ると、そこから逃げ出せないような恐怖を覚え、車、新幹線、飛行機などに乗れず、突然襲われる過呼吸のためにポリ袋を手放せなかったという。タレント活動や俳優業を続けながら人知れず「パニック障害」と闘い続けていた一茂を救ったのは、愛する双子の娘たちだった。さらに、今年で結婚20年を迎える一茂は、妻が怒っている時の対処法を坂上に伝授。「ウソも方便」という一茂の夫婦円満の秘けつとは…。

さらに、一茂のプライベート密着取材では、番組収録時に控え室に入ってわずか5秒でメイクを開始するほどせっかちな一面や、超多忙なスケジュールの中でも欠かさないトレーニング、さらには現役を引退した30歳から始めた空手のトレーニング風景などを伝えていく。

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