いよいよ来年に迫ってきた2020年東京オリンピック・パラリンピック。さまざまな競技、世界中の一流アスリートを生観戦できるチャンスです。せっかくですから、普段はあまり馴染みのない競技についても、今から知っておくとより楽しめるはず。そこで今回は、「パラアーチェリー」で2020年の東京パラリンピックでの金メダルが期待されている注目選手の1人、上山友裕(うえやま ともひろ)選手にインタビューを行いました。

  • パラアーチェリー選手・上山友裕さん

自分の人生を大きく変えてくれた競技

――上山選手は、小さい頃はどんなお子さんでしたか?

昔から、体を動かすことが好きで、活発な子どもでした。ちょっとした休み時間でも、友達と遊んでいましたね。

――昔からスポーツは好きでしたか? また、部活などでアーチェリー以外のスポーツの経験はあるのでしょうか。

小学校から中学校まではラグビーをやっていました。生まれ育った東大阪が、ラグビーが盛んな土地だったので楕円形のボールを追っていました。ラグビーは団体競技で、チーム力ということに対する考えが、現在の個人で勝負するアーチェリーとは違うので、そういった面では団体競技を経験できて良かったです。

――実際にアーチェリーを始めてみて、最初はどのように感じましたか。

まったくの初心者だったので、もちろん難しさもありましたが、それ以上に面白さを感じました。やっぱり、的に当たったときの感覚は気持ちいいですしね。

――どんな練習からアーチェリーを始めたのでしょうか。また、初めて大会に出たのはいつ頃ですか。

初心者は、まず「素引き」という矢を使わずに弓をひく練習から始めます。素振りのようなものですね。アーチェリーで使う筋肉は、普段あまり動かし慣れていない部分なので、初めてだと矢がなくても難しいんですよ。

初めてレギュラーとして大会に出たのは大学2年4月のときです。スポーツ推薦で入部する人も多くいる中で大学入学後に始めた選手がレギュラーになるのは稀だったので、うれしかったですね。

――大学卒業後に、両下肢機能障害を発症したとお伺いしています。発症当時の状況やお気持ち等についてお聞かせください。

友人から「歩き方が内股で不自然」と指摘されて、なんとなく気になってはいました。そのあと、社会人一年目の冬、電車に乗ろうと走った時に足がついてこなくて、「これはおかしい」と思って。診断は「両下肢機能障害」でした。原因不明で「状況が好転することはない」と告げられて、まずは「そんなに重い」のかと驚きました。

――その後、障がい者アーチェリーにチャレンジした理由について教えてください。

たまたま知人から誘われたのがきっかけです。「車いすアーチェリーの年齢層が高くなっているから助けてあげてほしい」と言われて。誘っていただいた方には、「国の代表になれる」と言っていただき(笑)、貴重な経験になるのではと思い、やってみることにしました。

――競技に取り組もうというポジティブな姿勢を持つことができたのは、どうしてですか? また、上山さんはもともと明るくポジティブな性格だとご自分で思いますか。

足が不自由になったことに対して落ち込んでいてもしょうがないので、まずは「できることからやってみよう」と思い、チャレンジすることにしました。確かに、自分でももともとポジティブな性格かなとは思います。

――実際に障がい者アーチェリーをはじめてみて、健常者のアーチェリーとはどのような違いを感じましたか。

立った状態と、車いすに座った状態では、「視界」が全然違うので、まずはそこでとまどいを感じました。また、座骨だけで体を支えると、どうしてもバランスが崩れて傾いてしまうので、そこも苦労しましたね。立っている状態であれば、二本の足が軸になるので、自然とバランスがとれるのですが。車いすに乗った状態で、傾くことなく「まっすぐ」という意識を体にしみこませるまでには、時間がかかりました。

――車いすで競技をするむずかしさや、逆にパラアーチェリー競技者としての喜びについても教えてください。

前述の通り、視界やバランスなど、立った状態との違いで、とまどいを感じる部分はありました。ただ、アーチェリーは練習量が成績に直結するスポーツなので、自分が頑張ったぶんだけ点数があがっていくので、そこは選手としての喜びにつながっています。また、パラアーチェリーをやっていなければ、世界を舞台に戦っている今の状況はきっと無かったので、そういう意味でも自分の人生を大きく変えてくれた競技だと思っています。

――上山選手は日本オリンピック委員会が企業と選手をマッチングする就職支援ナビゲーションシステム「アスナビ」を利用して、現在は三菱電機に所属されているそうですが、トレーニングや時間の使い方は変化しましたか?

三菱電機に入社してからは、競技に集中するための環境を大きくサポートしてもらえるようになり、週2回だったアーチェリーの練習を週5~6回に増やすことができました。それまでは、一般企業に勤めていたので、週末しかまとまった練習時間が確保できていなかったのですが、今は世界のトップの選手たちと比べても、負けないぐらいに練習をしているという自信があります。

――現在は、どのようなスケジュールでトレーニングをされていらっしゃるのか教えてください。

平日は、だいたい「東大阪市ウィルチェアースポーツ広場」という練習場でトレーニングをしています。何時に起きるかはその日の感覚次第なのですが、だいたい朝から練習をしていますね。その後は、自分が納得するまで、ひたすら矢を撃ちこんでいます。1人きりで練習することがほとんどで、1日200~300本くらい撃っていると思います。週末は、土曜日はメンテナンスに充てて、日曜日は試合、というパターンが多いです。