休憩をはさんで始まった第2部では、『ゴジラ』(1984年)で本編助監督を務め、後に『ゴジラVSモスラ』(1992年)『ゴジラVSメカゴジラ』(1993年)『ゴジラVSデストロイア』(1995年)を監督した大河原孝夫氏と、特撮助監督として中野特技監督を補佐し、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)『ゴジラFINAL WARS』(2004年)では特殊技術の肩書で特撮演出を手がけた浅田英一氏、そして中野監督の3人によるトークが繰り広げられた。

人間同士のドラマ部分を撮影する「本編」と、ゴジラなどの怪獣やメカニックの活躍を演出する「特撮」が巧みに融合することによって、優れた怪獣・特撮映画ができあがる。『ゴジラ』(1984年)における本編(橋本幸治監督)と特撮(中野昭慶特技監督)の場合は、どんなようすだったのだろうか。惜しくも故人となった橋本監督に代わり、当時助監督を務めていた大河原氏が本編演出について語り、中野監督と浅田氏が特撮演出の裏話を打ち明けた。

まず大河原氏が「特撮映画における本編撮影」について説明し「理想を言えば、特撮部分の撮影が先行し、それを参考にしながら俳優さんがリアクションの芝居をする、といった形がいいのですが、なかなかそういうスケジュールではいきません。そのため、事前に作った"絵コンテ"を本編と特撮の両方で確認し合いながら、映画を作っていくことが大事」だと話した。

続いて浅田氏が「おっしゃるとおり、特撮の撮影も絵コンテが基本になっています。それから、ラッシュ(撮影済みフィルム)の確認も大切ですね。特撮と本編とで、空の明るさとか曇り具合などがまるっきり違っていると困りますから。コンテに描かれているシーンが、実際のフィルムには違う形で映っている場合もありますので、綿密な打ち合わせをしながら、ラッシュをしっかり確認して撮っていきました」と、特撮・本編の両方における助監督の役割を語った。

スケジュールの管理を行い、定められた日程内に撮影を完了させることもチーフ助監督の務めであるという。浅田氏は「製作部長から『浅田、ステージの使用が1日延びるといくらかかるか知ってるか。100万だぞ』と脅かされました。いつも(スケジュールを)延ばすなよ、延ばすなよと口癖のように言われていましたね」、大河原氏も「ロケ撮影をするにしても、天候に左右されますから、なかなか予定通りにはいきません。また忙しい俳優さんだとこの日しか空いていませんとか、いろいろありますから、みなさんのスケジュールをぬって撮影するのが大変でした」と、撮影スケジュールには常に悩まされたことを回想していた。