あす13日に放送されるフジテレビ系番組『直撃!シンソウ坂上』(毎週木曜21:00~)では、故・美空ひばりさんを特集。MCの坂上忍が、息子の加藤和也氏にインタビューを敢行する。

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加藤和也(左)と故・美空ひばりさん

インタビューを行ったのは、ひばりさんが生前に暮らしていた東京・目黒の邸宅で、プライベートな時間を過ごしたリビング。ひばりさんが瞬く間にスターとなった背景には、母であり、ひばりさんのプロデューサーでもあった喜美枝さんの存在があったといい、加藤氏によれば「一心同体という言葉がぴったり」。ひばりさんがあまりにも早くスターとなったため、周囲の反感を買うこともあったそうで、番組では、喜美枝さんとひばりさんが親子そろって出演し、当時のつらい思いを語った貴重な映像を紹介する。

1962年に、ひばりさんは小林旭との婚約を発表し、坂上は「旭さんとひばりさんが、恋愛して結婚されたことに驚いた」と言うが、加藤氏は「僕はすごく分かる気がします」と理解。ひばりさんが小林と結婚をした意外な理由を語る。しかし、2人はわずか1年7カ月後に離婚を発表。これまで語られることのなかった結婚と離婚の真相について、加藤氏と妹の勢津子さんが、包み隠さずに語り尽くす。

さらに番組では、ひばりさんの実の子供ではなく、ひばりさんの弟・哲也さんの息子だった加藤氏を養子として迎えた決断など、「人間・美空ひばり」の足跡について、ひばりさん一家のプライベート映像を交え迫っていく。特に、加藤氏の小学校卒業時の謝恩会に出席したひばりさんの秘蔵映像は、「歌謡界の女王」とは想像もつかない姿で、坂上からも驚きの声が上がる。

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そして、ひばりさんは両足の「大腿骨頭壊死症」という病に。3カ月以上の入院生活を強いられ、メディアからは引退説まで飛び出したが、退院から8カ月後の1988年4月には東京ドームのこけら落としとなるコンサート「不死鳥/美空ひばり in TOKYO DOME 翔ぶ!! 新しき空に向かって」を開催した。このコンサートは、表向きには5万5,000人を熱狂させた伝説のコンサートとして語り継がれているが、病と必死に闘いながら立った壮絶なステージの裏側が明かされる。

このコンサートから1年後の1989年、ひばりさんは肺の組織が損傷し呼吸困難に陥る「間質性肺炎」を患い、再入院することに。当時、弱冠17歳でひばりさんの最期をみとった加藤氏は、病室でのひばりさんの様子、そしてひばりさんが最後にのこした言葉を語る。

さらに、ひばりさんが亡くなる1カ月前にもらった手紙を公開。そこにつづられていた「母・美空ひばり」の素顔とは果たして…。

(C)フジテレビ