その後、仮面ライダーシリーズはオリジナルビデオ映画『真・仮面ライダー序章(プロローグ)』(1992年)、劇場用映画『仮面ライダーZO』(1993年)『仮面ライダーJ』(1994年)と、「ライダーの原点を探る」作業が繰り返されていく。『真』では特殊メイクを駆使した衝撃的な「変身」シークエンスの創造、『ZO』では若手映像作家のエースとして当時注目されていた雨宮慶太監督が生み出す斬新なビジュアル表現、そして『J』では前代未聞の「ライダー巨大化」というアイデアでいずれも強烈な個性を打ち出し、人気を集めた。もうこれから仮面ライダーはテレビの連続シリーズではなく、劇場用として1作1作のクオリティを高める方向で存続していくのだと、多くのファンは思っていた。

そんな中、石ノ森章太郎氏が1998年にこの世を去り(享年60歳)、追悼の意味を込めて『燃えろ!!ロボコン』が1999年に製作された。1974年から2年半の長きにわたって放送された大ヒット番組『がんばれ!!ロボコン』の現代風リメイク作である『燃えろ!!ロボコン』では、見事に「石ノ森テイスト」が次世代によって継承されていることを証明し、「石ノ森章太郎は永遠に不滅」ということを世に知らしめる作品となった。これに続く企画として、ふたたび『仮面ライダー』をテレビシリーズで「復活」させるアイデアが浮上した。それが『仮面ライダークウガ』(2000~2001年)だった。

平成ライダー始動

原作者・石ノ森章太郎没後、初の仮面ライダーとなった『仮面ライダークウガ』では、20世紀最後の年である「2000年」の作品ということもあり、「今までの東映特撮ヒーローの歴史をゼロから作り直す」気構えをもって企画が練られたという。実際、東映ヒーロー作品で初めてハイビジョン撮影を導入し、画面サイズがそれまでの4:3からワイド仕様の16:9になったのは『クウガ』からである。内容についても、いわゆる特撮変身ヒーロー作品の面白さを一から見つめ直し、もしも現代の日本に怪人やヒーローが出現したら警察組織はどのように行動するか、といったところから丁寧にシチュエーションを作りこむ姿勢を徹底。純粋にヒーローと怪人の戦いを楽しんでいる子どもたちにとっても、「今度の番組は何かが違う」と思わせる、そんな迫力と魅力が『クウガ』には存在した。

『クウガ』は東映特撮ヒーローの流れに一石を投げ込んだ作品として注目を集め、続いて『仮面ライダーアギト』(2001年~2002年)が製作された。『アギト』は「仮面ライダーシリーズ放送30周年」を記念した作品でもあり『クウガ』の世界観を踏襲しながら、新たな「仮面ライダー」の方向性を探っている。『アギト』の特徴はなんといっても、アギト、ギルス、G3(G3-X)といった個性の違う3人の仮面ライダーが、それぞれ別々の人間模様を展開する「群像劇」のスタイルをとっているところだろう。同時期のスーパー戦隊シリーズ(当時は『百獣戦隊ガオレンジャー』を放送)と明確に区別する目的もあって、3人の仮面ライダーは基本的に力を合わせて敵(アンノウン)と戦うわけではなかった。3人の主人公がひとつの時間軸の上で複雑に絡みあい、時にぶつかって、時に協力するなど、緊張感のあるドラマ展開でこちらも高い人気を集めた。

正義とは何か、ライダーとは何か

『クウガ』『アギト』の後を受けて企画された『仮面ライダー龍騎』(2002年~2003年)は、これまでの「仮面ライダー」シリーズとはまったく考え方が異なり、「仮面ライダー」から「正義のヒーロー」という要素を"排除"しているのが大きな特徴となった。この作品での仮面ライダーは、それぞれがどうしても叶えたい「願い」を持っており、それを叶えるため最後の1人になるまで争い合うという設定である。2001年9月11日にアメリカで起きた痛ましい「同時多発テロ」を受け、作り手が「正義とは何か」を真摯に考えた結果、生まれたのが『龍騎』だったという。総勢13人もの仮面ライダーは、それぞれがまったく異なる自分だけの「正義」を持っており、それらは他者と争って潰し合わないと目的が達成できない。3作目の『龍騎』において、「平成仮面ライダー」シリーズという呼び名が定着し、子どもから大人までストーリーやアクションを楽しむことのできる極めて良質なエンタテインメントだという評価も定まっていった。『アギト』のころから顕著になってきたが、ライダーに変身する俳優を「イケメンヒーロー」と呼び、子どもと一緒にテレビを観る若い母親世代が熱狂する現象までもが起き始めた。

続く『仮面ライダー555(ファイズ)』(2003年~2004年)は、「仮面ライダー」の原点を見つめ直そうという意図のもと、企画された。それは、仮面ライダーもショッカーの怪人も、もとはどちらもショッカーの改造人間ではないか、という部分に着目している。『555』では、主人公・乾巧と仲間たちに加え、従来の怪人にあたるオルフェノク(人類の進化形)を主人公とほぼ同じウエイトで描き、オルフェノク側の視点から人間の愚かさ、醜さを暴くドラマ作りが行なわれている。また「ファイズギア」と呼ばれる変身ベルトを装着する者が一定しておらず、ベルトの奪いあいによってファイズやカイザに変身する者が次々に変化するという、先の読めない筋書きのドラマもファンの興味をひいた。